柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

制限

2009-04-29 08:03:24 | Weblog
豚インフルエンザが新型インフルエンザに格上げされて、新聞各紙やTVは一般への教示(こういう時によく啓蒙という言葉を使いますが、私は言葉狩りに大反対する方で長く人口に膾炙されてきた言葉を一方的な正義感やら嫌悪感、マニュアル化した平等至上主義で抹殺することを嫌う者なのですが、この言葉は嫌いです。大衆を蒙昧と前提していますからね。今の時代には少なくともそぐわないと思います)を繰り返します。そして二言目には水際作戦と強調します。一体どこまで徹底されているんでしょうか。パンデミックとやらの横文字で恐怖感を煽る。これまた常套ですがスペイン風邪の惨状を持ち出して不安を煽る。スペイン風邪って1918年のこと、大正7年の出来事です、医療状況ってどんなことだったんですか?死亡者数を書き並べるは無用の脅迫です。きっと今の医療技術があれば死亡者数は1/10、1/100のオーダーで減ったことでしょう。つまり普通のインフルエンザ。インフルエンザで毎年何千何万人と死ぬのですが(正確な数字を知りません)、こっちは問題にしません。インフルエンザを高齢者の死亡装置、つまりこういう病気があるから年寄りから順に死んでいくのだ、そういう大なる力なのだという解釈もあるくらいのことです。年寄りが死んでいくのは仕方ないことだからでしょうね。じゃぁ、今の「新型」はどこが違うのか、どうしてこんなに騒ぐのか。メキシコの死者の死因が全てこのインフルエンザによるものと仮定して、それが世界中に広がるなんて大変だ!、この情報化した世の中です、恐怖も不安も世界中に一気に回ります、こうなると各国政府行政は手を拱くことは許されませんから大声でアナウンスするしかない、そういう流れですか。ですから実態からどんどん離れていきますね、空騒ぎです。いえ、空騒ぎでもいいんです、オーバーにやる分には公衆衛生上、安全管理上は大切でしょう、事が起こらねばそれで成功なんですから。その逆がまずいから行政は大騒ぎするのです。何がまずい?国民の不利益と言うより、後からの非難突き上げが辛いことですからね。もう一つ、若い人たちが死んでしまうという「恐怖」ですか。何年か前のSARSもそうでした、東南アジアでのインフルエンザ騒ぎの時もそうでした、若い奴らが死んでいく。それは免疫反応が過剰過激に起こってしまって自分を傷めつけてしまうのだと説明されることが多いです。ウイルスの毒性が強いものなら年寄り子供のほうが弱いはずですね。若い、強いはずの者が先に死んでしまうというのはウイルスの毒性じゃない、他の要因だとういう説には説得力があると思います。なれば体の正常反応ですから防ぎようがありませぬ。侵入者に対して体が正常に反応した結果が過剰反応となって自らを痛めるものなら、そういう体だったってことですわね。くどいですがスペイン風邪の時代とは違いますよ。今回のような機序(理由)で死んだ若い人たちもきっといたでしょうが、今の時代なら点滴して体力の回復を待つだけで治る人たちの方が多く死んだに違いないです。つまりウイルスの直接の毒性による死因ではない、二次的な(インフルエンザに罹って弱った体が、別のばい菌によって肺炎になったり別の病気を併発して死に至らせる)死因が多かったに違いないです。こんな流行もあったのよ、という歴史的な意味しかないことと思います、スペイン風邪は。で、水際作戦です。これどこまで徹底されるんでしょうね。こういう時に問題になるのは、いかに国民が非常事態における自由の制限を許容できるか、制限されることを諾するかというレベルでしょうね。裏返せば、政府が(国が)どこまで国民の自由平等を制限できるか、どこまで制限できると考えているか、です。歩いている発熱者を捕まえて隔離するなんて行為に対して、する側とされる側がどこまで共通認識持っているのか。する方がおっかなびっくりならされるほうも腰が引けます。する方が居丈高なら、される方は反発しましょう。こういう時にはこういう処置措置は仕方ないのだと考えるほど、国民が成熟していましょうか。する方にそこまで安全意識が高かりましょうか。と言っている間にどんどん飛行機はやってきて、海外から人や荷物が入ってきます。水際水際と言えば言うほど不備不足が露になるという皮肉ではあります。権利には義務が伴うのです。全体の利益の為には個人の自由は制限されるのです。ここのところ、ちゃんと理解されていますか?
コメント
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