柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

文化と心根

2006-11-14 08:39:04 | Weblog
旭鷲山、引退です。舞の海を技のデパートと呼んで、この人をそのモンゴル支店なんて言っていた時代が懐かしいです。確かに何をやるかわからない面白さがあったですが、ここ数年は見た目に体に冴えがなく(肥えて緩んだ感じ)引き技ばかりであっさり負ける相撲が多かったです。スポーツ選手の宿命です。パイオニアの辛さをくぐってきた人です、昔の高見山のように。今の外人力士隆盛時代を先駆けたうちの一人です。もっと正確に言えば、ハワイ以外の道を開いた人です。歴史に残る力士でありました。
 灯台守がいなくなった(全ての灯台が自動化された)という話題、TVでは映画「喜びも悲しみも幾歳月」やその主題歌を流してイメージを作っていました。新聞もそういう記事です。この映画、昭和32年の作品(だったと思います)で、とても印象に深いのです。こういう古い映画は俳優の若々しい姿を見るのも楽しみなんでしょうが、私はそれよりうんと背景、風景、その時代の匂いを嗅ぐのが好きです。この映画も実に堪能させてくれます。途中灯台守で転勤を繰り返す夫婦の子が不慮の死を遂げる場面があるのですが、実に淡々とさらりと描かれていてあっけないほどなのですが、つまり子どもの死も一つ事件に過ぎない、通り過ぎるしかない、今日も仕事は続いているという現実が知らされるのです。どんな事件が起きても日常はびくとも動かないという現実です。あの映画の印象はとても淡いのですが、もの悲しくて、人はそうやって生きていた、生きてきたのだという感慨は強いのです。そして、灯台ですから海、自然の風景。そしてその時代の匂い。服装やら食事の様子やら主人公のセリフやら。こういうのにものすごく興味がそそられる私には昔の映画はたまらぬ魅力があります。その意味では、寅さんも十分に「古い」映画です。あの監督はきっとそういう意図があって撮っていたのでしょう風景の描写が多いでしょう、ストーリーばかりでなくあの映画も時代の匂いが満載なのです。TVで若き高峰秀子を見ながら、昔見たときの感慨やら懐かしさやらが一気に蘇ったことでした。技術が進む、人の手から機械に仕事が奪われていく、技術が廃れていく、文化もそこで消えていく。昔の日本は映像の中にしか残っていませんが、心根までも捨ててきたのでしょうか。あの時代に確かに人は生きていたのです。ううむ、子殺し、親殺し、自殺、横領・・崩れていく日本を人ごとのように眺めるしかないことは辛いことです。
コメント
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