柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

慰謝すること

2006-05-01 08:39:07 | Weblog
巨人の馬鹿勝ちはさておき、阪神いい勝ち方ができるようになりました。このパターンはとても良いです。あとは井川ですがねぇ。
 イーホームズの社長の「ホームの端を歩くなよ」には笑いましたねぇ。夜道に気をつけろよとか、一人で帰るなよとかね。陳腐で品のない脅し文句ですがしかし、なんとも old-fashioned でいいですねぇ。笑いました。そして、連中同じ穴の狢でしたねぇ、初めからそう思ってはいましたけれど。
 今日の毎日新聞ちとヘビーです。昨日の続きの東京裁判の特集記事と水俣病関連の記事。今日は盛んにTVも水俣病公式確認記念日であることを報じています。平成7年の社会党村山首相による政治決着は、裁判を一切しないことが条件の一人260万円の慰謝料だったそうです。一人の人生、たったの260万!被害者にとれば、こんな金銭的な保証でこの問題は終わりはしないという憤りの一方で、この方法しか解決方法のない事実(傷んだ体は元には戻らないのです)を受け入れるしかないというジレンマは想像に余りあるところです。そして悲しいかな、相手は大会社、その後ろに国。知識も財力も何もない被害者が採る方策はおのずと限られましょう。国は苦渋の選択のような顔で承諾を迫ってくるばかり。村山さんには何の痛痒もないこと、国の責任は誰の責任でもないという為政者の驕りそのままに。これが政治的決着方法なのだと連中はきっと嘯くわけでしょうが、どうにも私は気に入りません。国の発展富裕化のためには旧態の破壊は避けられないのでしょう、そしてその方針によって被害を被る人たちが必ずいるわけです。どうしてそういう人々(いや悉皆にしてはいけません、その基準作りには十分工夫が要りますが)に国としての慰謝ができないのでしょうか。企業責任とはまったく別次元で、国の発展のために必要不可欠の事業であったところ、どうかお許しいただきたいと。ううん、甘いですかねぇ。そんなことやり始めたら、どなたにもこなたにも謝らねばならなくなるなんて反論されそうです。例えば道路拡張目的の立ち退き交渉から上関の如き原発設置の際の交渉などなど、それこそ慰謝の嵐になりそうです。でも、この手の大公害事件とは、そして具体的に被害が甚大である事例とはモノが違いますよね。何でもかんでも司法の判断に委ねるは、不作為の咎に問われることだと思っています。なぜなら、司法判断が正しいわけではないからです。ううむ、前にも言いましたか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする