虚しい

生きるのは辛いこと

2017-03-04 23:29:08 | 日記
例えばわたしがどこかで倒れて、誰かが救急車を呼んでくれたとする。
その誰かが救急車を呼ぶ為に使った労力、通話料、救急の連絡がきて出動する隊員の労力、人件費、ガソリン、それからそれから・・・・。それら諸々の損耗に見合うほどの、わざわざそうまでして助けるほどの、人間なんだろうかわたしは。


まったく、最近生きている意味が分からない。
なにが楽しくて生きてるんだかさっぱりわからない。
ふと、自分の死に際に走馬灯を見たとして、そこに「楽しかった思い出」なんてもんは存在してるんだろうか、と思った。
後悔と、苦い思い出と・・・そんなのばかりな気がしてならない。

走馬灯云々じゃなくても今「楽しかった思い出」を話してみろ、って言われてもなんも出てこない。
苦しい思い出ならいくらでも出てくるんだけれども。

そもそも「楽しい」とは、、なんだろう。一過性の感情すぎて全然手元に残らないから、わからない。
時が経てば経つほどそのとき楽しかったであろう思い出がなんともないものになるし。
苦しい思い出はいつまで経っても苦しい思い出なのになあ。
いつか笑える時が来るってよく言うけど、そんな時くる気がしないし、
そんなあっさり笑い話に出来るくらいポジティブな人間じゃないんだよなあ。


誰の為に生きてるでもない、誰もわたしのことなど必要としていないのにわたしばかり他人を必要として、
いくらでも替えの効くような機能しか備わってない癖に無駄な感情ばかり芽生えためんどくさい量産型で、
楽しくもない日々をただ苦行のように送り、やめるには勇気も金もない。

はてわたしはなんのために生きているんだろう。

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