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矛先をどこに向けたいのか

2016年04月21日 | 生活

 

熊本県を中心とした大地震ですが、休息するどころか現在も予断を許さない、緊迫した状況にあります。


地震の揺れが、どの位の時間継続または断続的に発生するものか、その知識を今回の地震で常識を覆させられました。


これを機に各地では、災害マップ、その対応については、改められることが必至です。

3日間、7日間の保存食があれば大丈夫だと思っていたのに、朝、長蛇の列に並んで食べたら、すぐ昼になり、その食料確保の為にまた長い列に並ぶ。


精神、体力ともに限界に達します。


耐震構造が保障できなければ、野外での生活を強いられる。


これが現実でしょう。


何かのイベントで、暑い中、寒い中、防風、大雨等の環境下で3時間以上並んだ経験がある人は知っています。


支給したり、販売したりの単純なことをしているだけなのに、大勢だと捌けないということ。


対応が1人に対して30秒かかれば、実質10人で300秒以上(5分以上)です。100人では50分を簡単に超えます。


朝8時から配給したら、300人並べば・・・。


この程度の人数でも、信じられない結果に至ります。


一列じゃなく、並列の両側等にして、配給ポイントを数か所に臨時的にしなければ対応できません。


また、渡すときには、次の配給は状況次第では中止も考えられるため、張り紙、拡声器等を使用して広報するべきです。


但し、順次状況を把握することにより、潤沢に配給が進むこと等も当然伝える必要があります。


何により本人確認をして配給しているのか不明ですが、列の「入」と「出」を作って、並んでいる者を拒まず配給するべきです。


 


きちんとやっても食料が無くなったようですから、列の人数を「カウンター」で計測させ、ここまでしか配給できない。


それを早く伝えるべきでした。


そして配給から漏れた人には、簡易的な整理券を配布し、次回は優先的に配布する列をつくり、そして配給時間を伝え、安心させるべきでした。


配給している人は一生懸命です。


誰もが知っています。


でも、役所仕事をそこで表現しては駄目でした。


この意見には反論して戴いて結構です。


但し「机上の空論」が、このような事態を起こしているのです。


各地で炊き出し訓練をやっていますが、このシミュレーションをやっていません。


だって、なんちゃらテレビの「丼」を1つ買うのにどんだけ並ぶのかを考えれば、大変な時間と労力であることがすぐわかります。

 

だから公助だけに頼らず、共助、自助のバランスを考える必要があります。

 


そして並んだ人も、みんな大変なんだという自覚を持ち、「こんなに人がいるのになぜ遅いのか」について各々考えなければなりません。

 

それは知恵を出し、今はしょうがないけど、次の方法は検討しようということが重要です。


烏合の衆であっては、ならないのです。


例えば、オムツがない?


ないものを言うのは権利ですが、昔はどうしていのか?


その知恵はどこに行ったのでしょうか。


どうしてもということだったら、ペットのシートで代用できます。


ガムテープとハサミで対応できます。


それを1日あたりでまとめます。


その人数が最低の必要数です。


これは物を捨てる文化がもたらした弊害です。


スーパー消費の生活習慣は災害時に弊害になります。

 

そして、こんな事態に町内会、自治会が役に立っているかについても考えるべきです。


あの防災倉庫、誰が「鍵」を持っているのか。


そんな疑問が湧いてきます。


鍵は複数の公園周囲にいる家の人が持つべきです。


日本人はツリー式の連絡体制や処置が大好きですが、枝の先端が折れたら以下は崩壊します。


だからその対応は大きく人命にかかることですから、近所のお偉いさんから脱する抜本的な改革をしなければならないのです。


何かあったら交番に駆け込むことだけを教わっていたら、死ななくてもいい人が死にます。


だから、シールのあるところに駆け込みなさいというルールに変わったはずです。


今回の大きな教訓となった食料の配給については、地域コミュニティで区域ごと(丁目ごと等)に分け、それを代表者達がローテーションで体力的に大丈夫な方を募り、数回で地域の人に渡すという方法を取らないのかが不思議です。


誰が仕分けるのか不明な防災倉庫の保存食よりも、地域配給場所から必要物資を持ってくるカート等が本来必要であるような気がしました。


これによって、地域の広域な場所、公園等に集め、配給をすれば「ぱぱっと」終わります。


 

考えさせられたのは、東北の震災とは異なり、愚痴を言っている避難者がいましたが、偶然だったと願いたいです。

 

配給者も受給者も仲間(絆)なんじゃないのかな。


それが正しく作用しないと、各地で非常食をはじめ、到着する物資が、おかしなことになるのです。


避難所にいかない人は、断水しているのにペットボトルの水ですら貰えないそうです。


熊本県の被災地に住んでいる方からの情報です。


なんのための人助けなんでしょうか。


募金をすべての被災者に使ってもらいたいと私たちは願っています。


少なくとも町民、市民、国民は税金を払っています。


外国人であっても、人命にかかわることだから当然配給すべきです。



全部の場所でこんな不幸はないと願いますが、ここら辺が機能しない理由といえます。



役所の方には申し訳ないですが(本人も被災者)、誰かが人の声を反映しなければなりません。



何を優先すべきかを検討する場合、現状を知らなければ対策出来ません。


不測の事態では、会社の管理経験者、元警察官、自衛官、消防職員等がいるかを確認して、できたら手伝って欲しいことを伝え、人員を確保するべきです。


それが情報を広く収集できる早道です。


全員がスタッフだったら、自分たちの食料は別々に確保されています。よって配る必要ないという非常識な考えを基にして、食事をとること以外の大事な「これからの生活」に対しての対応を図って欲しいものです。


各々が機能していた生活空間を役所だけに責任があるように、押し付けてやらせていたら駄目です。


何万人の作業を数百の人間でやるなんて無理過ぎます。


また、時間が掛かり過ぎます。


危険なものを除き出来ることはみんなで始めるべきです。



1週間でもこんな事態ですから、関東で同様のことになったら「騒乱」が発生する気がします。



大勢の人が列を作る気がしません。


地震以外の「別の被害」から身を守ることも強いられそうです。


それは電車の朝のラッシュの光景がすべてを物語っており、電車が動かない時の駅員に対して、日ごろのストレスをぶつけるように、ひどい言葉を遠慮なしに浴びせている、その身勝手な光景がそれを連想させます。


これに乗じて追い打ちをかける人々。


何れにしても、不満の矛先を「人間」に簡単に向けるものじゃないと私は思います。


1日も早く、正常な心理、精神状態、楽しい生活に戻れるよう、被災した方に対してお祈りいたします。


また、亡くなられた方に対して、心よりご冥福をお祈り申し上げます。


そして、行方不明の方々が早く救出され、家族、お母さん、親族の手元に戻って欲しいと願います。


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