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銀の人魚の海

日々の思いを好きに書いています。映画、海外ドラマ、音楽、本。
スヌーピー、ペコ、NICI、雑貨グッズ画像。

お米の価格

2025-03-08 | 日々の雑感

備蓄米をもう出しているの?

スーパーより、まだ生協パルシステムの方が、少し安い。

が、また今週注文から制限がかかった。一人1袋。

予約登録米(必ず買える)も予定数を超え、募集停止中。

お米にあまりこだわらなければ、食べるものは多数ある。

何回か書いたが、世界には日に1食以下の子供もいるなか

日本はニュース、バラエティ(見てないCMで)などで

大盛が安い、バンバン食べよう、大人が競い食べるシーン。

卑しい国。TVなども食べ物系は無難だから多いのだろう。

人が食べるのはみたくない。

バラエティは見ないがニュースでも映る。


国際女性デイ 議員数 泉房穂 FM

2025-03-08 | ラジオ FMなど

日本男社会で、MC、泉氏は声を上げていた。

野球中継がない時期だけ、限定FM、日本放送。

言いたいことをかなりいえる番組、あと2回で終わる。

元明石市長、弁護士。衆議院議員も経験。

議員はとにかく、おっさんばかり、男が多いのは見ていてわかる。

女性が多いのはアイスランド、フィンランド、ノルウェー

ニュージーランド、スウェーデン、

ドイツ。日本はG7でも低く、議員女性参画は麻痺している状態。

おっさんばかりなので、明石は条例をつくった。男女半々にしよう。

反対はあった。逆差別だと。優秀な女性がいないという。

男性たち、優秀の定義は?

さらに最終決定時に女性がいないといけない。日本はまだまだ。

国会議員に占める女性割合は,平成22年5月現在,衆議院は11.3%(54名),参議院は17.4%(42名)となっている。

〇日本の国会議員に占める女性議員の割合は14.5%で、190カ国中149位という低い比率である。

このように政治への女性参加が課題となるなか、改善策のひとつとして注目されているのが、議席数のうち一定数を女性議員枠として法律で定める

「クォータ制」である。女性の政治参加が進んでいる国の多くで採用されているこの制度だが、日本では選挙結果を重視すべきとして導入されていない。

仏の話へ。法律をがっちり作った。女性を議員にする。

少子化対策もこれで、少し改善された。

フランスをざっと調べたら「パリテ」という法律ができた。

20年以上前。ここからまた進んでいるはず。

〇パリテ(parité)

パリテとは「同等、同一」を意味するフランス語。フランスでは、2000年に

通称パリテ法と呼ばれる法律が制定され、男女の政治参画への平等が促進された。

この法律では選挙の際、「比例候補者名簿の記載順を男女交互にする」、「政党からの候補者を男女同数にする」などが定められ、

違反した名簿は不受理となり、また、候補者の男女差が2%を越えた場合などは、国から政党への助成金が減額される罰則も規定されている。

この法律の名前から、日本では「パリテ」を「議員の男女比率を同率にする」ことをはじめとして、

意思決定の場での男女が同数になることを表す言葉として使われている。

 


母親になって~

2025-03-08 | 本、雑誌

少し前に話題になった本の文庫化。産めばいい、という時代ではない。

カップルはそれぞれ生き方が違う。

今日が国際女性デイ。ミモザのお花。

友人の妹は産まなかった。理由があると思う。

少子化で悪いとは私は思わない。そんな時代がきているだけ。

日本はそれを踏まえ舵を切らないといけない。

事情を考えず、子供を増やせると思っている男たち。

しっかり考えよう。同性婚を認め子供を持ち、育てる方法もあるが、

日本は大きく遅れている。

〇「子どもを産まない選択」も女性の権利。 『母親になって後悔してる』は、

”母”ではない人生を願う女性たちの思いを丁寧にすくいとった一冊。


クロネコヤマト 小倉昌男の本を読み

2025-03-08 | 本、雑誌

先ほど書いた続き。本から。

クロネコヤマトがなぜ、成功したか?買い手の立場で考えたから。

70年代半ば、宅急便の事業化にあたり、利用者は家庭の主婦と決めた。

今日出したら明日にはついてほしい、壊さないで。

当時は小物は郵便小包だけで、サービスが悪く数日かかった。

小口だが、多々改善していき成功した。

これに関して。

私は80年代、地方から東京に戻り目黒区在住。

その時、少し上の世代、お隣にお届けが多く、

私がいると、うちに依頼し預けていった。

当時はどこもそうだった?お隣に預けた、紙は入れてない。

いつも私がお隣へ渡しに行った。約1年間、何回もあった。

クロネコかデパートからか。

昨年か、目黒の昔住んだ場所はどうなっているかと、

番地を覚えていない。中目黒駅から当時を思い

歩いてみると、よくわからない。

もう40年近く前で激変化。ビルが並んでいる。

迷いつつ、こっち、ここか、道はこんな感じ?

駅から8分位だった。

もうだめか・・と思ったら、記憶がよみがえり、

この道!この感じ!やっとわかった。

塗り替えはしてあるが、まだ建物は健在だった。

 


福祉を変える経営 小倉昌男

2025-03-08 | 本、雑誌

M文藝春秋、昭和の100人の一人が、元ヤマト運輸社長の

小倉氏。03年日経BP出版。20年先を考えていた。

きょうだいが障碍者で、福祉の道を考えたとある。

本書には書かれていない。

24年東京生まれ。東大経済卒。48年父経営のヤマト運輸に入社。

71年社長。宅急便の開発で運輸省と闘った経験がある。

93年、ヤマトの株、24億でヤマト福祉財団を設立。

本書、当時は財団理事長。無報酬で障碍者福祉支援にあたった。

講演のように読みやすい本、主張がはっきり書かれている。

障碍者月給1万からの脱出。どう経営すれば利益がでるか。

専門的な個所もあるが、障害者に対する思いが強い。

福祉的就労をなくす。給料を10万まで少しずつあげる。

財団で何をしていったらいいか?障碍者の自立とは・

働いて収入を得て生活すること、と定義した。

当時障碍者雇用率は、300人以上の社、1・8%、

今は2・3%くらいか。

罰則がなく一人5万払えばいい。それで終わり。

共同作業所の月給1万は、大半はリサイクル。

缶つぶし、牛乳パックの解体、石鹸を廃油からつくるなど、

儲かっていないことがわかった。

お小遣いでしかなく、そこはデイケアでしかない。

親がなくなれば、どうなるのだろう?それを真剣に考えた。

小倉氏はきょうだいに障碍者がいるが、当然裕福だが

一般の親、障碍者を思った。

どうしたら障碍者を入れ経営ができるか?何をするか?

健常者との比率。ハンセン病差別も書かれている。

4年目に共同作業所の運営者向けセミナー、2泊3日を始めた、

全額無料。食事、交通費、宿泊つき。かえって初めは怪しまれた。

4,50人位が集まる。

小倉の基調講演、障碍者福祉の問題など。

ヤマトを個人宅配に拡大できたノウハウも語る。

全国で開催した。

98年、スワンベーカリーを創業。

パンは経験がない。タカキベーカリーの社長に会う機会があり、

そこからの案だった。

タカキはリトルマーメイド、アンデルセンが有名。

生地を冷凍で店舗へ配送し作る。

スワンベーカリーは私も知っていた。

冷凍から作るのでできそうだ。パン工場で小倉も研修を受けた。

障碍者と健常者の比率は、健常者を多くした。

1号店は99年銀座に開業。現在は地方にもある。

2号店は北区。

ここではパンの宅配も始めた。

小島さんが尽力した。養護学校教諭を38年勤務、

銀座店に教え子を就職させた。フランチャイズ店をと十条に開業。

現在は全国に20店舗くらい。福祉の世界で有名になった。

一部にはカフェも併設した。給料は1万からまず3万、今は10万

支払えている店舗も多い。

小倉氏は05年80歳で死去。バイタリティ溢れる人物だった。

クロネコヤマト、個人宅配への道は次のページに。昔受け取った経験などを。

〇運営目的の主旨は、障害者の雇用と自立支援(従業員の過半数は軽度の障害がある)。

健常者の得る最低賃金支給額より、大幅に安く賃金を支払われることの多い障害者雇用の現状を憂いた「公益財団法人ヤマト福祉財団」理事長に就任していた小倉昌男が、

障害者が適正な収入の確保を得られる技術や、環境を得られるようにヤマト運輸(現在のヤマトホールディングス)とヤマト福祉財団に働きかけ、

「株式会社スワン」を設立。1998年、スワンカフェ銀座店を第1号店として開店した。~~

小倉康臣の次男として代々木に生まれた(長男は早世)[2]1937年幡代小学校卒業。

同年、当時府立一中を上回る最難関の官立東京高等学校尋常科(現・東京大学教育学部附属中等教育学校)に入学。1943年秋、東京帝国大学経済学部入学。卒業。

1948年9月1日、父・小倉康臣が経営する大和運輸(現・ヤマトホールディングス)に入社[3]

~~ヤマト運輸が旧運輸省(現・国土交通省)、旧郵政省(現・日本郵政グループ)と対立した際、企業のトップとして先頭に立ち、

官僚を相手に時には過激なまでの意見交換をした。理不尽な要求に毅然として立ち向かう様子は一貫しており、1979年には創業以来の取引先である三越が、

岡田茂社長の就任以後運送費の大幅引き下げ・映画チケットの大量購入など理不尽な要求を繰り返す様子に耐えかね、

同社に対し取引停止を通告した事もある(詳しくは三越事件を参照)。この様子は両社のシンボルマークに引っ掛けて「ネコがライオンにかみついた」として話題となった。

~~1995年6月29日に退任[9]した後は、ヤマト福祉財団理事長として障害者が自立して働く場所作りに取り組んでいた。