18年カナダ、グザビエ・ドラン監督。初見。
彼の作品は他に3本かレンタルで見ていて印象的だった。
これは、初め20分くらい、映像わかりにくい。
だんだん良くなり、終わり初めを再見した。初の英語作品。
2組の母と息子の物語、俳優、人気、孤独、人と孤独観。
真実がほしい、という誰かの言葉がクレジットされた。
21世紀、今の時代に手書きの文通という発想が楽しい?謎めく展開は、うまい。
なぜか、東欧の記者登場、生活が違うが、ホントか?携帯の電波も怪しい東欧。
複雑な物語か~Nポートマン、母役、痩せ若くきれい。
Sサランドン、嫌い、下品なうるさい母役。
冒頭、人気俳優ジョンの死から。回想へ入る。06年NY。
ポートマン母の息子ルパート、幼児から~11歳、妊娠中に離婚、
ひとりで育てている。米にいたが離婚で英へ移住。ルパートは友人もできず、
唯一ある俳優ジョンの熱烈なファンになる。ポスターを部屋にはり、
ドラマを夢中でみるが楽しみ。ルパート役少年が孤独だが、おっとりムードでいい。
20代で人気のジョン。彼にファンレターを出すと、返事が来た!
それも儀礼的でなく彼の気持ちが書かれた手紙。ジョンはゲイだったが隠していた。
物語はこの手紙が軸になる。普通はアリエナイか~文通、は100通にもなった。
後半、文通は事実?母も教師も疑う。私もふと・・でも事実だった。
ジョン、まあ、ブラピの若い頃?のよう、ちょっと強調されすぎ。
ビートルズみたいに、ファンの女性が泣き叫んでいたり??
Kベイツが初めのマネージャー役、ジョンと上手くいかず辞めてしまう。
ルパートはジョンに憧れ俳優を目指す。
少年との文通、ゲイであるなどが知られ、ジョンは混乱する。
元々セリフに精神疾患~があり薬を飲んでいいた、リチウムなど薬名もでた。
ルパートとの文通は、その後途絶える。ジョンは俳優の仕事がなくなる。
手紙がいつも緑色のインクで書かれていた。インクの色、精神科医の本に
ペン色について、普通ない~色だけで書く、は疾患へつながる可能性があるを記憶。
ジョンの母が、どれほど育てるのに苦労したか!。
彼は死へ向かう。これが冒頭シーン。現代の薬多量、ODでは死ねないけどね。
ルパートは東欧記者に文通の話しをするため、プラハのcafeで会う。
回想形式、ジョンとルパートの過去シーンの間にこの記者とのシーン。
22歳になりルパートは「若き俳優の手紙」という本を出した。
記者にジョンとのことをすべて話していく。
ラストは、ルパートも~は、どうかな~監督もそうなの・・
東欧、テープレコーダーって、2017年頃ホント!
カメラの位置、斜め撮り?面白いカットあり。
音楽の入れ方が凝っていて、ヨハンシュトラウスの曲が2曲。
●グザビエドラン監督
1989年、カナダのケベック州モントリオールで生まれる。父親は俳優のマヌエル・タドロス(エジプト出身のコプト教徒カナダ人)である。
幼少期より子役として映画やテレビ番組に出演する。
2009年、19歳にして『マイ・マザー』で初監督を務め、主演と脚本家も兼ねた。第62回カンヌ国際映画祭の監督週間で上映され[2]、20カ国の配給業者に売却された[3]。
長編映画2作目『胸騒ぎの恋人』は2010年に第63回カンヌ国際映画祭のある視点部門で上映された[4]。
長編映画3作目『わたしはロランス』もまた2012年の第65回カンヌ国際映画祭のある視点部門で上映され[5][6]、クィア・パルムを受賞した。
2013年の『トム・アット・ザ・ファーム』は第70回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門で上映され、国際映画批評家連盟賞を受賞。2014年の『Mommy/マミー』は第67回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した[7]。
この他にも、2015年にはイギリスのシンガーソングライター・アデルの楽曲『Hello』のミュージックビデオを監督しており、ドランはアデル本人から直接オファーを受けていた[8]。
第68回カンヌ国際映画祭ではコーエン兄弟が委員長のコンペティション部門で審査員を務めた。2016年『たかが世界の終わり』で第69回カンヌ国際映画祭グラン・プリを受賞した[9]。
2018年、初の英語作品『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』を監督。