銀の人魚の海

日々の思いを好きに書いています。映画、海外ドラマ、音楽、本。
スヌーピー、ペコ、NICI、雑貨グッズ画像。

64 横山秀夫 ピエール瀧 麻薬カルテル

2019-03-13 | 日本~映画 TV DVD 芸能人など
ピエール瀧は妻子がいたことを知った。
娘は10代、妻もどれ程ショックだろう。
独身と思っていた。

夕刊に、原作者、横山秀夫、64、の記事が載った。
NHKのドラマを見てから、読んだ気がするが、本はどこ~

面白かった。

世界20ヵ国で翻訳されている!
今年、ドイツミステリー大賞、国際部門で1位。

横山秀夫の新作についての記事だった。

ピエール瀧、コカイン。

麻薬カルテル。

ドラマ、NCISにも出てきた。

映画では、
今、そこにある危機、
トラフィック、
ボーダーライン、
そして、新作、
運び屋、

1グラム約8万のコカイン、
アマゾン先住民、イゾラドのシャーマンたちは、
コカの木の葉を食べていたかも。

イゾラドをラジオで語ったピエール。
コカの葉だったら罪にはならなかったのに~

©️麻薬カルテル。
麻薬を扱う組織自体は、多くの国で存在しているが、カルテルの名がつくものは中南米、南米諸国を拠点もしくは由来しているものが多い。

時として、政府の警察や軍部に匹敵するような大規模な武装勢力となり、当該国ばかりでなく周辺国の治安にまで影響を与え、
地域的な内戦状態や無政府状態を惹起することが特徴である。

イタリア映画祭 見にくい朝日ホール

2019-03-13 | 外国~ 映画 TV DVD 芸能人など
もう長い間行っていないのに、いまだにご丁寧に
ガイドが届きありがとう、
イタリア映画祭2019。

4月末から有楽町朝日ホール。
ここ、座席リニューアルされてるの?

かたい椅子、傾斜がなく見にくい。

嫌いなホールでも昔は毎年通った。

もう行かない。

今年は、日本未公開、最新のイタリア映画、14本上映。
アンコール上映でオルミ、タヴィアーニ監督など、5本。

今夜もNHKFM 古楽

2019-03-13 | ピアノ・音楽

途中から聴いている。

今夜は宗教性のある楽曲。

合唱、フーガ、アリアなど。

繊細なフルート音も聴けた。

ラモー作曲。

当時は国王の権力を示す曲もあったという。

オランダライブ録音から。

日本は宗教性、色がない、あるとしても雑多な国と思う。

今日は朝から、ばたばたしていて、暑いくらいの気温、

やっとゆったりできる音色が響いている。


プラネタリウム

2019-03-13 | 日々の雑感

今日は、日本で初めて大阪で、プラネタリウムができた日。

カールツァイスのレンズでだそう。

東京では昔から、渋谷にあったプラネタリウム、小学校で見にいったと思う。

NHK,東日本大震災、特集で、311の空には星がたくさん輝いていた、

を見た。

ホントに、かなりの星の数。

仙台あたりか~停電で真っ暗の中、上を見上げると星が多数。

仙台天文台に、なぜ、これほど多いのかという問い合わせがあったほど

多く、きれいに輝いていた。

都心と違い高層ビルも少ないので、見やすいと思うが~

あの日亡くなった人の数だけ星ができた~という人も。

地震で地形変動から?

自然は人の頭では想像できないと感じた。


ピエール瀧 

2019-03-13 | 日本~映画 TV DVD 芸能人など

51歳、今朝早いニュースでかなり放映。

新聞にも載っていた。

顔をかくさず神妙な顔つき。

街の取材では、クリーンなイメージなので驚いた、という女性が

何人がいた。

私は、あまり知らず、NHK「64」で初めてよく見て、いいなとおもった。

朝日に連載もしていた。

昨年、アマゾンNHK特集、イゾラドを放映した時か~

もっと前かもしれないが、ネットでラジオ、赤江珠緒アナと

イゾラドの事を話した対談記事が読めた。

二人で自由に語っていた。

電気グルーヴ、というバンドで楽器を弾けないミュージシャンだった。

畳屋さんの息子。

他のドラマは見ていない。

印象では、いつも元気なタイプとみられるが、実は~

という気もしていた。

コカインは典型的なアッパー系の薬、入れすぎで死ぬこともある。

芸能界の荒波に乗れない、乗れないと生活できないから、

上げて生きる。

海外へ行き買っていたらしい。

そこまでしてか~コカイン、リハビリは一生かかるかもしれない。

覚せい剤の清原、講演か何かをしていた後、え!もうこんなことしてて

大丈夫と思った直後の逮捕だった。

 

 

 


がんとともに 子どもたち 医師になった元患者

2019-03-13 | 日々の雑感
がんとともに 子どもたち。
新聞連載から。
 
2月15日は国際小児がんデイ。
 
毎年、小児がんは2千から2500人。
治療方法の遅れ、支援不足が指摘されている。
 
中学2年、13年前、自身も悪性のがんになったSさん。
26歳。
 
今は医師となり長崎大学病院に勤務していて
子供との写真がある。
素晴らしい。
 
高校受験を控えての入院。
将来への不安が膨らんだ。
 
同室の入院中、女子の母が話したこと。
 
「~今を生きてくれればいい、誰だって未来はわからないのだから。
先を不安に思い泣くのはやめよう~」
心にひびいた。
 
4か月で退院。
高校は登山部に入り
母は過剰な心配はしなかった。
 
県外の医学部へ入学、長崎大病院で小児科医として1歩を踏み出した。
 
自分がかつて患者だったことはほとんど言わない。
もっと経験をつみ、話せるようになればと思うとあった。
 
そうね~30代になり、母になったりすれば、きっともっと気持ちがわかるように
なると思う
 
家族の友人も、小児科医を選び、周産期医療医として
育児をしつつ都内で勤務している。
 
小児科医は、小さい死という悲しみもあるが、
生きる力も見られる。
 
250グラム以下で生まれた赤ちゃんが、育った、というニュースもあった。
医療は、一歩一歩進んでいる。