銀の人魚の海

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49年前のビートルズ来日

2015-07-30 | 音楽・アルトリコーダー・ピアノ
NHK、「ビートルズ来日、アナザーストーリー」を録画して見た。
司会、今はMCと言うのね、真木よう子だったが彼女の声は聞き取りにくい。

49年前。
ビートルズ側から日本でライブをしたい!と言ってきたこと、
当時呼び屋、今のプロモーターが、いろいろ考え、
来日を決定、場所はどこで?など細かい話がわかる。

警備が一番難題で、不良の音楽と言われたビートルズが来るので、
警視庁は最高の厳戒体制で臨んだ。

警視庁指揮官、当時34歳、今も健在で武道館を歩き当時を振り返る。
その後警視庁でトップになり、ダイアナ妃来日時など、大きな警備を成功させたかた。

ライブは、三日で五回、それも三十分!短いかったんだ!
初の音楽ライブ使用の武道館には、アルバイトも含め五人に一人は警備員だったと。

曲は11曲、ロックアンドロールミュージックからイエスタデイなど、
ラストは、アイムダウン。

彼らの曲は短いから11なら三十分くらいで終わるよね。納得。

軍隊のように厳しい警備体制で、彼らは何処へもでられず、
赤坂、今はないキャピタル?ホテルだと思うが、
200m2の部屋に監禁のような三日間。
それほど来たかったのか?やや疑問。
アジアに興味があったのかな~

ポールが警備の隙をみ、脱出、皇居を見たかった!すぐつれ戻される。

ジョンは、表参道の今もある謎(^_^)の外国人向けショップ、
赤い屋根のオリエンタルバザールへ。

どこへも行けなかったが観光で来たのではないからと語った。

ビートルズの写真を担当したのは、新鋭カメラマン、浅井慎平、28歳、
台風で来日時刻が遅れたり、どの空港に着くかもわからなかった。

ずっと同じくホテルに泊まりシャッターチャンスを狙った。
写真集、「ビートルズ東京100時間のロマン」を出版。
その写真、TV画面画像からアップ。

  

相当貴重お宝本だと思った。
初めて見た。

当時、私は中学生、都心の中高一貫女子校へ通っていて、
学校から保護者同伴でないと禁止というお便りが来た。
ビートルズ、好きではあったが、レコードを買うようになったのは、
高校生になってから。
そのLPレコード、今もまだ三枚くらいはとってある。

後半は、ライブに実際行った人たちが映る。

宇崎竜童、二十歳、芸能関係者がいたのでチケットが手に入り行ったが、
キャーキャー声援で音楽はほとんど聞こえなかったと。
彼らを聞かなければミュージシャンにはならなかったと語る。

ビートルズのレコード発売を担当した高嶋氏。
バイオリニスト、高嶋さちこ、の父。

当時、ビートルズのレコードが売れるか?を検討し、
「抱きしめたい」など、邦題を考えたエピソードを話す80代、とてもお元気。

現在イラストレーターとして活躍しているある女性は、17歳の時ライブへ。
のちにライブが縁で出会った男性と結婚。

ジョンがアート系学校へ行っていたので、イラストレーターを目指し仕事につく。

離婚したが、今も良き大きな思い出だそう。

1966年、六月十日、無事ライブを終え日本を離陸、
マニラへ向かうビートルズは、マニラの空港でもみくちゃにされ大変だった、
日本は良かった、と語っていた。

ビートルズ、ジョンは射殺され不幸な最後だったが、
薬系、アルコール系の大きなスキャンダルはなかったグループではないか。

私が知らないだけかもしれないが、
イギリスの小さな町から、燃え盛る炎のようなロック音で飛び出した彼らのライブは
永遠に伝説だと感じた。


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