映画雑記6

2006-10-03 22:16:16 | 映画
映画雑記第6弾です。
今回はなんと『もののけ姫』です。先日、子どもと一緒に『となりのトトロ』を見ていて、久しぶりにもののけが見たいと思い、DVDを引っ張り出して夜中にひとりで見ていました。大好きなんです、もののけ姫。ジブリ作品で一番のお気に入りで、僕の中での好きな映画の10本の指に入ります。作品の時代背景や取り扱うテーマ、スケールの大きいストーリー、深い味わいの音楽とどれを取っても申し分ない仕上がりです。登場するキャラクターも魅力的です。アシタカはもちろん、エボシ御前、ジコ坊、おっことぬしと一風変わった魅力を持ったキャラクターが目白押しです。壮大な風景をバックにヤックルに乗って旅立つアシタカを描いたシーンなんてそれだけで感動モノです。
作品を通してとわれているテーマが“人間と自然は共存できるのか”。このテーマからまっさきに思い浮かぶのは自然を破壊する人間対自然を守りたい人間という構図ですが、コトはそんなに簡単なものではありません。エボシ御前が統治する村は製鉄所を村全体で営み、鉄を燃やすための木材を森から切り出し、排煙を空高く上げています。しかしながら、村はよく働く快活な女性たちと女性の尻に敷かれながらもよく働く男性たちが平和で裕福(と思われる)な暮らしをしています。つまり、労働があり食があり活気のある典型的な理想の村として描かれ、おまけに病気や怪我で人間として使い物にならないと世間からは相手にされなくなった人たちを囲い、銃器を作るという労働を提供し、もう一度人間として生きていこうと思える環境を作るというある種のボランティア的なことにも取り組んでいます。でもこれは人間=悪というイメージを払拭するため、バランスと取るために利用された設定としか思えませんけど。ここだけはなくてもいいのになと思います。
一方、シシ神とコダマの住む豊かな森(つまり自然)を懸命に守ろうとするもののけたち。境界を越えてくる人間たちに、愚直に戦いを挑みます。そこへ天皇の命を受けてシシ神の首を狙うジコ坊。それぞれの主張の中、なんとか人間と自然が共生できる手段がないかを必死に模索するアシタカ。しかし、そんなアシタカの懸命の努力空しく、最後の戦いが始まり、おっことぬしはタタリ神へと変化し、シシ神の首は討ち取られ、森はシシ神の森でなく普通の森になってしまいます。
この作品は『風の谷のナウシカ』より受け継いだ人間と自然というテーマにひとつの答えを出しています。その答えは絶望的なものではあるのですが、僕にとって【どうしようもないものってあるんだよ】と聞こえます。つまり、人間と自然の対立というか人間が豊かになるためには自然が犠牲になってしまう、それは防ぐことはできないというメッセージだということです。宮崎監督がそう意図したかどうかは知りませんが、僕はそのように捉えました。
でも、最後の最後のシーンでコダマが出てきます。シシ神の森にしかいない、豊かな森にしかいないコダマが出てきて頭を振って“カチカチ”と音を出すのです。シシ神がいない森になったのにかかわらずです。これは救いの手であり、でもあきらめちゃいけないよというメッセージなんだと思います。このシーンがあるのとないのでは映画の後味がまったく変わります。絶望的に終わるのか、一縷の希望を残して終わるのか。最後のコダマは少しだけ残った希望の光なんですね。その希望の光は僕らの心の中にある自然を大切にしたいと思う気持ちなのかもしれません。このシーンがあってよかった。
物語のテーマは重く、小学生以下では理解することは難しいかもしれません。でも単純に冒険活劇としても充分楽しめる作品です。
ちなみに僕の携帯の着メロはもののけ姫のメインテーマです。タラララーラータラララララー・・・ってやつ。決して♪はりつめた~ゆみ~の~じゃないですよ。
では。