千葉県の戦争遺跡

千葉県内の旧陸海軍の軍事施設など戦争に関わる遺跡の紹介
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足利学校孔子廟にある提督手植えの月桂樹

2012-05-05 | Weblog

先日、天気は小雨が降っていたが、それほどでもなく、体調も良かったので、久しぶりに足利まで行ってきた。足利といえば、世間の人はフラワーパークに行く人が多いが、駅から歩いて行ける距離の場所で、史跡がいくつかある。 今では想像できないかもしれないが、足利の人は、足利尊氏は逆賊だという皇国史観のねじ曲がった考え方から、戦時中など肩身の狭い思いをしたらしい。軍隊では足利出身だというだけで、古参兵から殴られたり、足利尊氏と関係のある寺などは、逆賊の寺と言われたりしたそうだ。
足利にある史跡で、有名なのはなんといっても足利学校である。足利学校自体が国の指定史跡で、国宝になっているものも含め、貴重な書物も沢山所蔵している。ちかくにある鑁阿寺も、国の史跡である。

<足利学校の門>

足利学校は、日本最古の学校といわれるが、その歴史が明らかになるのは室町時代の1439年(永享11年)関東管領であった上杉憲実が、鎌倉円覚寺から僧快元を招いて初代の庠主として経営にあたらせ、書籍を納めるなどして学校を再興してからというが、遠くフランシスコ・ザビエルなどの宣教師たちの記録にも出てくる、当時としては有名なアカデミックな場所であった。

実は、この足利学校に海軍の「有名人」が植えた月桂樹の木がある。「文」の象徴である足利学校と「武」の海軍とでは余り頭の中で結びつかないが、別に軍人だからといって、こうした場所に植樹してはいけないという法もあるまい。

<足利学校の玄関附近で>

学問といえば、儒学が中心だったのは、江戸時代もそれ以前もあまり変わるまい。儒学といえば勿論尊崇されていたのは孔子であり、東京では湯島聖堂などが有名であるが、やはり足利学校にも孔子廟がある。
孔子廟は、聖廟とも呼ばれ孔子を祀ってある廟である。足利学校では江戸時代前期の1668年(寛文8年)に足利学校第13世庠主伝英元教の時に造営された。
扁額「大成殿」は有栖川宮織仁親王の子で、のちに京都知恩院門跡となった尊超法親王の書である。

<足利学校にある孔子廟>

ところで、この孔子廟の入口をはいり、向かって左側に、東郷平八郎が植樹した月桂樹があり、廟堂をはさんで向かって右側には伊東祐亨、上村彦之丞が植えた月桂樹がある。この三人が植えた月桂樹の横にたつ立札には、それぞれの当時の官姓名と日付が書かれている。その日付は、どれも日露戦争後の1906年(明治39年)12月23日である。

<東郷平八郎の植えた月桂樹>

これは、三人が足利学校の孔子廟において、孔子とその高弟を祀る釋奠(せきてん)に参加した折に、日露戦争の勝利を記念して植樹したものである。
足利学校事務所によれば、その釋奠という式典で使う釋奠幕の前で撮った記念写真があるそうである。  

<伊東祐亨の植えた月桂樹(左)と上村彦之丞の植えた月桂樹(右)>

東郷平八郎は、連合艦隊司令長官として日本海海戦でバルチック艦隊を破った日露戦争の立役者であり、伊東祐亨は東郷と同じ薩摩出身で、大本営にあって海軍軍令部長、日露戦争当時元帥になった、上村彦之丞は第二艦隊司令長官であるが、実質的に日本海海戦の勝利をもたらした。それぞれが日露戦争当時の海軍を代表するような人物である。それが揃って、足利学校で植樹していたのだから面白い。

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