ピアノの先生の生活

ピアノ講師、ブライダル奏者としての日常と
その都度のはまりものへの情熱を綴るくだらな雑記

lovely

2016-09-05 00:00:53 | 過去
美容院に行くにあたってはどんな髪型にするか考えておかねばならない。
どうしたらいいのか。いっそ「ウルフカット」なんてどうだ?今なら斬新だろう。
そんなことを考えつつ、大好きな60年代、70年代ファッションの検索をしていたら
こんな素敵なファッション画像に巡り合った。
なんでこの時代のファッションはこんなに可愛くて自由なんだ?
  
みんな似ているけれど袖だったり襟だったりの形が違う。
プリントも大きくて派手だけどなんともキュート。
ピンクのワンピース、真ん中のやつ着たい!
子供の頃こんなの着てたし、リカちゃんの洋服にもいっぱいあった。
今はデパートに行ったってみんな同じような画一的な服ばかりで直感でこれが欲しいと思うことないし、
どこで買っても同じようなものだ。
保守的と言えば聞こえがいいけど、そんな時代なのですね、きっと。
ちょっとつまんない。

cricket

2016-08-26 00:01:46 | 過去
今日は一気に8人、怒涛のレッスン…。
しかもその内男子が続けざまに5人。
もう声枯れましたよ。
休み明けでコレはきついっす。

セミも静かになりつつあり、ツクツクボウシの声もちらほら、夜になると秋の虫の声も聞こえるこの頃。
そこで「そういえば最近、鈴虫飼ってるって話聞かないな」とふと思ってしまった。
昔はわりとどこの家でも鈴虫を飼ってたものよね?
私は嫌いだったけど家にいたわ、確かに。虫かごに餌としてスイカの皮とか入れてるの。
リーリー鳴くのだ。やたら増えるの。
最近の子供は虫自体が嫌いだから(クモやセミにすら怯える始末)飼うなんてとんでもないだろうなあ。
そもそもなんで飼ってたのかなあ、ウチ…。

dandelion

2016-04-09 00:06:05 | 過去
我が家の方の桜はもう散ってしまったが、
ピアノの先生のお宅に行く途中の公園も桜並木はまだ見事に咲き誇っていた。
良い天気だったからお花見の人、散策の人、たくさん出ていた。
私もついつい歩いてしまったら途中で腰が痛くて大変でしたよ…。

で桜はもとより、土手にはタンポポが咲いていて「そういえばタンポポ見るの久しぶりかも」と思ったり。
自分が子供の頃はタンポポはとにかくいっぱい咲いていて、
綿毛が耳に入ると耳が聞こえなくなってしまうという噂を聞きつけて、タンポポは避けて遊んでいたっけ。
あとはシロツメクサ。良く摘んで冠を作ったものだ。
これが「春の小川」に出て来るレンゲという花だと思っていたら、そうじゃなくってレンゲというのは
もっと紫の花でこの辺にはないと知って、「ああ私の家の辺りではもうレンゲという花は咲かないんだな」と
子供心にガックリしたことを覚えている。もちろんスミレなんてもっと生えてないし。
しかし今はそれどころじゃない。タンポポすら久しぶりだし、
もう「春の小川」なんて歌っても今時の子供はどんな花か知らないだろうし想像もつかないのではないか?
あと見なくなったのはモンシロチョウ、モンキチョウ。
私は蝶が嫌いなのでこれのこの時期の大量発生には逃げまどっていたものだが、
昨今の害虫駆除なんかで芋虫の段階でいなくなっちゃったのかしら?
まあキャベツ畑も近所にないしね。
私が子供の頃は家の前は広大な原っぱで、奥の方では養蜂すらやっていた。
今はぺんぺん草も見る影ない住宅街だけど。
そうだよね、自分の子供時代がそうとう昔、教科書に載るくらいの昔になってしまったことを思い知る。
まあ自分が腰痛になるくらいだもの、仕方ないか…。


bookstrap

2015-11-26 00:00:29 | 過去
昨夜スーツケースの想い出を書いて寝たせいか、夢の中にこんな懐かしいものが出て来た。
これって70年代初頭に大流行した“大学生が教科書や文具を入れて登校していた箱”。
正式名称は忘れちゃったんだけど…。


アルバム大のダンボールが防水コーティングされていて、ベルトボタンで閉じる式。
大きいし中に文具などを入れたら結構重い。そして嵩張る。
当時はこんなものを持って外を闊歩していたのだ。体力あるよなー。
それまで流行していたのが“ブックバンド(ベルト)”というもので、
それはバンド上の紐で重ねた教科書などを十字に縛るもの。いたってシンプルだからこれはまだ存在する。
それを肩からぶら下げて歩くのがカッコいい大学生男の通学方法だったのだ。

しかしこんな箱がなぜ我が家に残っているか。
それは当時から中にQUEENの切り抜きを入れていたから。
未だにシールとか付録ポスターとか入ったままなのです。ははは、夢の箱。
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river imp

2015-10-02 00:14:24 | 過去
木曜日はなんかいつも雨。
幼い子を自転車の前後に乗せて二回のピストン輸送で送り迎えするお母さんがいるのだが、毎週本当に気の毒だ。

そんな本日は「都民の日」であった。
自分が義務教育の時はお休みで嬉しかったが、関係なくなるとすっかり忘れてしまう日。
自分が小学生の時は「カッパのバッジ」というのを学校で買える日であった。
小さな鉄製のバッジで、お酒の黄桜のカッパがデザインされていたのだ。
それをしていると都内の動物園とか博物館とかがその日は無料で入れるというものだった。
しかしそんなところには簡単に行けないので、バッジをコレクションして満足していたのであった。
今は販売されていないらしい。
昔は年に一度学校で販売されるものとして「肝油ドロップ」というのもあった。
クジラの油から作られるというお菓子で、グラニュー糖をまぶしたグミのようなもの。
赤くて甘くて美味しかったー。身体に良いということだったが、美味しさで買ってくれとせがんでいた。
こちらも今は聞かないから、販売どころか存在も危ぶまれる。
ああ、昭和。

history

2015-09-27 18:36:08 | 過去
昨夜の整体にはちょぅど同じ時間にバレエ仲間のOさんもも来ていて、
私の向かいのベットで別の先生にボキボキされていたのだけど、その彼女たちの会話が筒抜け。
その中で川島なお美の話しから、「私はお笑いマンガ道場の川島なお美が大好きだった」というOさんの一言に
なぜか医院中の人達が参加。みな昭和世代だったのだ。
先生の一人が「だん吉・なお美のおまけコーナーだよな~」と言って、一同「そうそう」と同意していたのだが、
私は心の中で「おまけコーナーはだん吉・なお美より、だん吉・エバの方が馴染み深いよな…」と思っていた。
エバとはゴールデンハーフ・スペシャルのエバだ。元祖ハーフタレント、元祖グラドルである。
どうやら私は他の皆よりお笑いマンガ道場への愛の歴史が古かったようだ。

volleyball

2014-09-11 00:03:35 | 過去
帰宅してテレビをつけたら「アタックNo.1」をやっていたのでいそいそと観た。
アタックNo.1とは1960、1970年代のバレーボール黎明期の女子バレーボールアニメの金字塔である。
もちろん私は大好きで再放送も何度も観ているが、何と言っても前104話と長い物語なため
八木沢さん姉妹のようなよほどのエピソードでないと覚えていない。

今日観た回のタイトルは「涙の回転レシーブ」。
回転レシーブがまだ上級者しかできない憧れの技の時代なのである。
最後は全国中学校バレー選手権の決勝戦。
主人公鮎原こずえが対するのは福岡県の中学校で、いかにも「九州男児」なコーチにしごかれて
回転レシーブを会得した選手だ。
で、驚いたのはフルセット、ジュースジュースで迎えたマッチポイント、監督が「鮎原、お前のバレーのすべてを
この一球に賭けろ」「はい、わかりましたっ!」というやり取りがあって、その一球のアタック。
その前に自分がアタックをレシーブする際に、窓から刺す太陽光の反射で受けきれなかったことがあって、
「そうだわ、今は逆のコート。あれを実行すればいいんだわ。みどり、お願い、あそこにトスを上げて。
他のみんなもみどりがそこにトス出来るように繋いでね」と我がままを言い出し、実行してしまうのだ。
それって汚いんじゃ…(笑)?
今なら相手チームからも「コートのコンディションが良くない」とか「不利だ」とか来るでしょう。
大体フェアプレイの精神とかいうものから考えるといいのかい?ってことになるな。
しかしかつてはそんなことはお構いなしなのだ。
とにかく、勝てばいいのだ。
負けてしまった相手の選手も「あの光を利用しそこにトスを上げさせこのコースに打ち切る技術、すごい!」と
認めてしまっている。
だからこそ当時はなんでも強かったんだろうなあ。試合も精神もね。

途中で悩んで男子学生の胸に顔を埋めた女子学生を見て、「中学生にあるまじき行為だわ」と
嫌悪感をむき出しにして怒っていた早川みどりがカワユス。
清らかで良い。

seed

2014-09-02 00:02:33 | 過去
訃報 野球漫画「アストロ球団」作者の中島徳博氏死去。

ビックリした。
だってちょうど夢に「アストロ」が出て来て、「ああしばらく読んでないなー」と思い出していたところだったので。
「アストロ」は私が小学6年生から中学1年生にかけてはまりにはまった野球漫画だ。
いや、野球漫画と言ってしまうのはおこがましい広がりを持った、平たく言えば「トンデモマンガ」だ。
まず野球なのに「殲滅」とか手段にしちっゃたり、時代的に戦争を引きずっていたので
位牌を頭に括り付けて「特攻」してしまう投手や、毎回サイズ間が違う巨大選手とか、
あり得ない投法、あり得ない打法、あり得ない髪型、etc…。
画もデッサンと言う観念が大きく外れていてある意味むちゃくちゃなのだが、とにかく熱いのだ。
なんだか熱量がすごくて、中二病の季節真っ只中の少女は直撃されてしまった。
とにかく明智兄弟の兄・球七が大好きで、その故中島先生にファンレターを送った覚えもある。
立派な二次元オタクだったのだ!

そんなマンガだったので、先生も先はなかなか難しかったと思う。
しかし一発咲かせた花は、オタクの種を撒いてなかなか枯れないのであった。


good old days

2014-08-18 00:00:19 | 過去
母が絨毯を見たいと言うので再びIKEAに行くこととなった。
しかし毎回同じところではつまらないので、今回は船橋のららぽーとに行くことになった。
船橋ららぽーとがあった場所は私が子供の頃、「船橋ヘルスセンター」という娯楽施設があったのだ。
大きなプールもあって、小学校低学年の夏休みに家族で行ったことがある。
その時は大変遠かった気がした。しかし今はサックリ着いてしまうのだ。

そして私がブライダルの仕事を始めたおよそ30年前、ららぽーとにあった「ホテル・サンガーデン」という
ホテルのチャペルによく派遣されたものだ。
行き始めはまだ京葉線が開通しておらず、京成線の「センター競馬場前」というところから無料バスか徒歩だった。
歩いていると海水浴用みたいな浮き輪とか麦わら帽子、釣り用具なんかも置いている店がまだ存在していた。
京葉線が開通してからその無料バスは無くなってしまい、もっぱら南船橋駅利用になった。
その駅名の「センター」はまさに船橋ヘルスセンターのセンターだったため、
いつの間にか「船橋競馬場前」に変わったらしいことも知らなかった。
行っていたホテルとも我が事務所の付き合いは終わってしまい、私が行くこともなくなった。
その間にららぽーと自体も変貌を遂げて、そごうデパートもスーパー・ダイエーもなくなった。
建物自体も大きくなったんだかよくわからないくらい変わり、すでにどこにいるのかすらわからない状態だったけど
なんとなく「ここは来たことある場所」とわかる地点があったのが何とも懐かしかった。
バブルの栄華を誇ったザウスはIKEAになり、ホテルももはやなくなっていた。
30年なんてあっと言う間なんであった。

plaster

2014-05-29 00:01:31 | 過去
先日、ある外国人の名前を聞いたことによって世代差が出た。
実は本当の名前とは違っていたのだが、その名は「サビオ」。
聞いた私はすぐさま「絆創膏と同じだね」と言ってしまったのだが、教えてくれた同じ年の子に
「ある年代から上の人のみ、その反応を返します」と言われた。
そう、そこにいた若い男の子は「?何のことですか?」と不思議そうだったもの。
もうサビオって絆創膏ないんですってね。
私が子供の頃はバンドエイドかサビオ。その前は赤チン、そしてマーキュロ。
それこそ赤チン見ないなあ。

最近、昔話が多くてすまぬ。