memories on the sea 海の記録

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少なくとも2人が溺死、23人が救助された   キューバから脱出しようとして

2013-09-21 00:00:20 | 海事
国を脱出しようとした人々がボートの沈没で溺死し、また救助を受けた。国境警備隊はこのグループの支援を3日にわたり拒否していたと生存者の一人が語った(9月10日miami herald)

生存者のうちの一人Mirja Yancy Naranjo Ortizは反カストログループのキューバ独立民主グループCIDに属しているが, 火曜日に2人の溺死体が発見され、他の23人はキューバに戻ったという。「 我々の行動はオデッセイで、冒険だった」とかつてキューバの女子ソフトボール・ナショナルチームのNaranjoが東キューバのManzanilloの地元から電話でEl Nuevo Herald に伝えた。彼女の番号を直ちに確認する手立ては今のところない。

Naranjoによれば26人は9月1日午前3時半頃Manzanillo近くのCauto河に集合、しかし午前10時には依然川の中で国境警備隊のボートに発見された。「我々を転覆させようと大波を立てるが我々のボートは大丈夫だった」 「彼らは我々を阻止しようとした。我々はw叫び声を上げ死ぬ覚悟は出来ていた。でも後戻りはしなかった」と彼女はいう。

パトロールボートは沖合い1海里までグループに付き添ったあと反転しもどっていった。しかし他のボートが現れ大波を立てたのが午後3時頃でChcharillaと呼ばれるところだったと彼女のNaranjoはいう。 グループは前進を続け3日の午後8時頃にボートに水が入り始めた。そこで彼らは携帯電話でManzanilloの親類を呼びだし国境警備隊の救助を要請したという。しかし警備隊は夜間の出動は禁じられていると応えた。

ボートが沈没したあと男10人とNaranjoをふくむ女性2人のグループは暗闇の中を何時間も泳ぎようやく航路標識にたどり着いた。そこで彼らはよじ登り休息をとったという。翌朝になって"二人の爺さん"という名の小型漁船が女性二人を救助。残る男性らに食べ物を与えたあと現場を離れ陸に戻った。さらに4人を救助したときには一人が溺死していたと生存者はいう。6人が拘束され、Naranjoは地方の中心のBayamoに搬送され、日曜日まで拘束されたという。彼女はManzanilloに戻った後、この話をCIDの活動家のUbaldo Leonにした。彼はこの話を月曜日ウエブサイトで公開した。Naranjoは他の7人は負傷し木曜日遅くまで砂州の上にいたところを別のボートに発見されたという。漁民は国境警備隊に通報したところ救命具を与えたが船には載せなかったという。(以下省略)

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