memories on the sea 海の記録

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ソ連情報組織の支援があった   フォークランド紛争の内幕

2010-06-23 09:38:50 | 海事
フォークランド紛争に関連したソビエトの情報組織のアルゼンチン支援の実態がこのほど書籍となって発表された。(5月31日メルコプレス)

著者はロシアのジャーナリストであり研究者で、この人物は当時ソビエトの外交官の息子として青春時代をラテンアメリカ、キューバ、エクアドル、ウルグアイで過ごした人物である。その人物Sergey Brilev氏は現在RTRロシアTVの役員でもあるが、ラテンアメリカでの体験を“フィデル、フットボールそしてマルビナス”という題名で出版。この中で依然あまり知られていないロシア指導者のミステリー的な内容を明らかにしている。
紛争勃発の1982年当時ウルグアイにいた彼はわずか10歳であったが、ソビエト連邦がいかに紛争に関与したかに興味を寄せている。「自己の敵の敵は自己の友人である」という古い諺に自然に動機つけられてであった。とくにアルゼンチン(およびウルグアイ)は米国のソビエトに対する穀物禁輸政策には追従しなかった。この禁輸はソビエトの1979年のアフガン侵攻に対する報復策であった。

著者Brilev は述べている。ソビエトがNATOメンバーの関与する紛争にかかわるリスクがあるにもかかわらず、モスクワはアルゼンチンのもっとも反共的指導者であるはLeopolodo Galtieri将軍に対して英国海軍艦艇撃沈のためにとして重要な衛星情報を与えていたという。 あきらかに、1982年5月15日ソビエトはコスモス衛星1365を南大西洋の上空に打ち上げたがこれは英国機動部隊とその位置情報をアルゼンチンに与えるためのものであった。 Brilev はタイム誌によって紛争勃発を知り、紛争地区の上空に衛星が打ち上げられたことに興味を持った。そしてその後1.5ヶ月にわたりアルゼンチンはフォークランド諸島に上陸した。

Brilevはモスクワの文書庫に当たったが、本件は“機密情報“ であるとされた。そこで彼はソビエト軍の上級将校に80年代から接触を始めた。BrilevによればNikolai Leonov将軍は当時の KGBの分析部門のチーフであり、 Valentin Varennikov将軍は当時のモスクワのソビエト軍の第1主席司令官の副官であった。この二人の将軍がアルゼンチンに対する定期的情報提供を認めている。

Brilevはその著作のなかで、南大西洋上ですでに軌道に乗っていたソビエト衛星からの位置情報によって、海軍おミラージュ戦闘機とエクゾセ(EXOCET)ミサイルにより英国海軍のHMS SHEFFIELD撃沈は確実であったのに、と述べている。英国フリゲート艦の探索にネプチューン航空機のアルゼンチン仕様を用いたのはあまりにも“愛国主義的”であったとこのロシア人著者はいう。このアルゼンチンの海軍索敵機は当時すでに旧式であり、メインテナンス上の問題を多く抱えていたと。「自分はロシア情報によってSHEFFIELDの撃沈という戦略的情報を革新していた」
5月25日、ほかのアルゼンチン部隊がHMS COVENTRYと15,000トンの重要機材を搭載したATLANTIC CONVEYORが撃沈された、Brilev氏はコスモス1365からの戦略情報による結果であるとしている。 ソビエトの支援は衛星情報のみにとどまらなかった。ソビエトは南下する英国機動部隊がビスケイ湾から赤道に到る海域でTU-95情報収集機で追尾させた。この機は時には英国艦艇の30~40メートル上空という至近距離まで接近した。ソ連軍のGeorguiy Bulbenkov大佐は彼の役務はパイロットとして低空飛行による侵入であったことをみとめた。
ソビエト体制崩壊後を生きるロシア人としてのBrilev氏は1991年の体制崩壊に至るまでのソビエトの超権力の分析であった。フォークランド奪還のために英軍艦艇の上空で諜報活動をするという、どう猛な反共体制の支援というデリケートな決定を当時のクレムリンで誰が行ったのか、についての関心があった。彼の調査結果は常にゴルバチョフMikhail Gorbachov であった。ゴルバチョフは80年代共産党の政治局員であり、ほとんどすべての重要な戦略決定を行っていた。しかしゴルバチョフそのものは単純明快であった。「アルゼンチン軍事政権に対する党中央委員会からの決定はなかった」
Brilevは80年代初頭にはソビエトの権力構造がすでに歪み始めていたと結論付けている。 戦略的支援は“自己の敵の敵”論理によって支えられ軍司令部の将軍レベルの決断になっていた。1979年の米国の対ソ穀物禁輸措置に組しないアルゼンチンとウルグアイを軍部は非常に評価したのだ。

学童として南米にいたBrilevはつねにアルゼンチンとチリーの公式地図の下部にある銀色の部分(南極大陸)に興味を持っていた。そこはこれら2カ国の領土として記されている土地である。彼にとっては1820年いロシア人によって発見された大陸がこれら2カ国のものとは信じがたかったという。Brilevはこの後歴史の中でフォークランド紛争は“南極地方における初めての武力紛争である”ととらえている。この結論を研究者としての彼は」アルゼンチン、チリー、英国とロシアの南極研究所への訪問を通じてみいだした。
「この後数十年後には、これまでの鉱物資源やエネルギーが消費されつくして南極大陸の資源が非常に重要なものとなるだろう」だから自分はフォークランドに着目した。フォークランドは自然条件的にも、南極への特権的な扉になるだろう」

( 写真:英国艦HMS Sheffieldはフランス製ミサイルエクゾセの攻撃を受けた)
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