数日後のビルマ、我々はBagoの竹で出来た小屋に座っていた。ラングーンのおよそ100kmに当たるところだ。これがKenの家だった。牧歌艇ではあるものの貧困を感じた。Ken の両親らはここ4年間彼からの便りは無く、彼は今や32歳である。
彼の父親はやせていてやつれた顔で、ビンロウの実を噛んでいるのでその歯は赤く染まっている。母親は太っていて白髪を串で掻き揚げている。自分はKenのビデオを見せた。「彼だ、彼だ、息子だ」と認識し叫んだ。彼女は顔に手を当てて泣いた。父親は彼女に手を載せた。「自分たちは何も知らない」 「何も聞いてはいない」と彼女は言う。
「でもうれしい、とてもうれしい」と父親は言う。画面から彼の赤い眼のふちを引き裂くことは出来なかった。Kenと同じような境遇の息子や亭主を待つ家族がどのくらいいるのか知ることは難しい。漁船のなかにはひと月以上あるいは数年を洋上で過ごすものもある。チェックされることがないこの仕組みが虐待を許容している。は問題に突入する。
究極のところは,ある船長がいった言葉だ。ビルマやカンボジャの経済がブームとなれば男たちが母国に帰り就く仕事がうまれる。そこでタイ漁船は問題に突入する、と。こうしたことによって産業自体が方向転換を強いられる。消費者圧力とは別物である。ひかしこの現在はいまだ人身売買が続いている。