「仙台 坂野智憲の弁護士日誌」 の 「司法修習生の就職状況」
今年は、受験者の成績がよくなかったので、司法試験の合格者が少なかったとされている。しかし、本当は 「受け皿」 に配慮して合格者を減らしたのではないか、と書かれています。
この推測が本当だとすれば、とんでもない話だと思います。政府の法曹増員計画を前提に、数年間、授業料を払いつつ、法科大学院に通った人にしてみれば、「ふざけるな!!」 といったところでしょう。
そもそも、「受け皿」 に配慮して合格者を減らすことには、「配慮された受験者」 にとって、なんの利点もありません。受験者にしてみれば、「受け皿」 や 「働き場所」 なんかなくてもいいから、「予定通り、所定の人数を合格させてくれ」 と思うはずです。
「合格したけど働き場所がない」 状況と、「合格しなかった」 状況を比べてみればわかります。どちらが受験者にとって、好ましい状況でしょうか? どちらにしても働き場所がないのなら、「資格だけはある」 ほうが、よほど良い、と考えるのが、普通ではないでしょうか。
同
一人一人の人生がかかっているのだから、弁護士増員は直ちに見直すべきである、と書かれていますが、
この主張はおかしいと思います。
受験者は、弁護士増員によって、「一人あたりの収入が減るかもしれない」 ことや、「一人あたりの仕事が減るかもしれない」 ことは、 「わかったうえで、法科大学院に通い、受験している」 のですから、受験者のために、増員政策はやめるべきだ、という主張は、筋が通らない。受験者は、「わかったうえで、受験している」 のですから。
本当に、受験者の人生を考えていれば、「一人一人の人生がかかっているのだから、予定通り、増員を継続すべきである。既存の弁護士の利益のために、増員を中止してはならない」 と主張するのが当然です。
坂野弁護士の ( この ) 主張は、おそらく偽善であり、「受験者のため」 と言ってはいるけれども、本音は、「自分たち、既存の弁護士の利益のために」 増員をやめるべきだ、ではないかと考えられます。この種の主張は、弁護士として、社会の信頼を失う原因になりかねませんから、やめたほうがよろしいのではないかと思います。
同
司法改革を主張している日弁連は世迷い事を言っている。次の会長選挙でも司法改革論者が会長になりそうだが、もういっそのこと強制加入はやめて医師会のように任意加入にした方がよいのではないか、と書かれていますが、
世迷い事を言っているのは、坂野弁護士のほうではないかと思います。坂野弁護士は、「既存の弁護士の都合に配慮して、政府の方針を変えよ、受験者の人生計画を狂わせろ」 と主張しているのですから、どちらが世迷い事を言っているのかは、考えるまでもないと思います。
また、弁護士会への強制加入は、弁護士自治に対応したものです。医師とは異なり、弁護士には自治権が認められています。すなわち、弁護士に対する監督・処分 ( 懲戒 ) は、国ではなく、弁護士会が行います。したがって、弁護士会への強制加入は、必要不可欠だと思います。
日弁連の方針が気に入らないからといって、「いっそのこと強制加入はやめて医師会のように任意加入にした方がよいのではないか」 などと書いていては、( 坂野弁護士に対してのみならず ) 「弁護士」 に対する社会的信頼を失わせますから、このようなことは書かないほうがよろしいのではないかと思います。
ところで、
同 「過払い返還請求トラブル急増…日弁連が異例の指針(読売新聞) - Yahoo!ニュース」
「未だ過当競争になっているとは言えない」 とすれば、合格者の「受け皿」 はあるはずであり、「働き場所」 もあるはずです。
これでは、「受け皿」 がない、と言いつつ、本当は 「自分たち、既存の弁護士の利益維持のために」 、弁護士増員に反対しているのではないか、と疑われても、やむを得ないと思います ( なお、私は、「「受け皿」 は問題にならない」 と考えています ) 。
また、
同
( 弁護士増員を推し進めた ) 中坊さんが気に入らないからといって、「中坊の大馬鹿者」 などと書くのも、やめたほうがよろしいのではないかと思います。
名誉毀損になりかねません。このような発言は、弁護士として、慎むべきではないかと思います。
日弁連の法曹人口問題検討会議で配布された資料によると、現行62期司法修習生(新60期、61期などの不合格者再受験組を含む)の2回試験受験者数は377名、合格者は354名で不合格率は6.1%(再受験組だけで見ると12.3%)。
合格者のうち裁判官、検察官になった者が25名、弁護士登録した者が285名。未登録者は44名で12.4%が未登録となっている。この中には官庁に就職した者や研究者になる者もいるだろうが、これまでの例からすれば僅かのはずだ。2回試験に受かって法曹資格を得ても弁護士になれない、つまり法律事務所に就職もできず、自宅開業もできなかった者がこの位いるということになる。ちなみに現行61期の場合一括登録時の未登録者は5.4%であった。
この数字を、12月に合格発表される新62期司法修習生2065名に当てはめると200名以上の者は合格しても就職も自宅開業もできないことになる。大学に4年間通い、ロースクールに2~3年通い、司法試験に合格して1年間司法修習して法曹資格を得ても就職できない。しかもこの間奨学金や生活費で400万円位の借金を背負っている者が多いというから悲惨としか言いようがない。その上来年からは司法修習生は無給となり、年間300万円が貸与される(国からの借金です)ことになるので負担はますます増える。それで就職先がないとなると破産するしかないかもしれない。
今年の新司法試験の合格者は政府が目標とした2400~2700名をはるかに下回る2043名だった。法務省は合格水準に達している者がその数しかいなかっただけだと説明している。ちなみに合格者の最高点は1197点、最低点は376点、平均点は767点、合格点は785点以上とされた。500番目の点数が911点だから、単純に合格者500名時代の司法試験に当てはめると、たしかに質は低下しているようだ。しかし合格者を増やす以上はそれを承知の上で2400~2700名の目標を立てたのだから、実際は、合格させても働き場所がないだろうから制限したというのが本当のところではないだろうか。
今年は、受験者の成績がよくなかったので、司法試験の合格者が少なかったとされている。しかし、本当は 「受け皿」 に配慮して合格者を減らしたのではないか、と書かれています。
この推測が本当だとすれば、とんでもない話だと思います。政府の法曹増員計画を前提に、数年間、授業料を払いつつ、法科大学院に通った人にしてみれば、「ふざけるな!!」 といったところでしょう。
そもそも、「受け皿」 に配慮して合格者を減らすことには、「配慮された受験者」 にとって、なんの利点もありません。受験者にしてみれば、「受け皿」 や 「働き場所」 なんかなくてもいいから、「予定通り、所定の人数を合格させてくれ」 と思うはずです。
「合格したけど働き場所がない」 状況と、「合格しなかった」 状況を比べてみればわかります。どちらが受験者にとって、好ましい状況でしょうか? どちらにしても働き場所がないのなら、「資格だけはある」 ほうが、よほど良い、と考えるのが、普通ではないでしょうか。
同
比喩的に言えば自動車業界が年間500万台の生産量だったのを、需要の見通しもないのにいきなり数年間で3000万台にまで生産を増やすようなものだ。そんなことをすれば業界自体が破綻することは目に見えている。結局生産設備に相当するロースクールは過剰だとされて廃止や統合を強いられ、生み出された法曹は働く場所もなく借金を抱えて路頭に迷う。生産途中のロースクール生は、もう余り始めたから合格者は減らします、ほかの職業を探して下さいと言われてしまう。
市民が十分な法的サービスを受けられるような社会を目指すことは正しいと思うし、その限りでは司法改革も必要だと思う。しかし法曹養成は物を作るのとはわけが違う。一人一人の人生がかかっているのである。こんな馬鹿げた政策は直ちに見直すべきである。
一人一人の人生がかかっているのだから、弁護士増員は直ちに見直すべきである、と書かれていますが、
この主張はおかしいと思います。
受験者は、弁護士増員によって、「一人あたりの収入が減るかもしれない」 ことや、「一人あたりの仕事が減るかもしれない」 ことは、 「わかったうえで、法科大学院に通い、受験している」 のですから、受験者のために、増員政策はやめるべきだ、という主張は、筋が通らない。受験者は、「わかったうえで、受験している」 のですから。
本当に、受験者の人生を考えていれば、「一人一人の人生がかかっているのだから、予定通り、増員を継続すべきである。既存の弁護士の利益のために、増員を中止してはならない」 と主張するのが当然です。
坂野弁護士の ( この ) 主張は、おそらく偽善であり、「受験者のため」 と言ってはいるけれども、本音は、「自分たち、既存の弁護士の利益のために」 増員をやめるべきだ、ではないかと考えられます。この種の主張は、弁護士として、社会の信頼を失う原因になりかねませんから、やめたほうがよろしいのではないかと思います。
同
ところが日弁連はいまだに世迷い事を言っているようだ。今度は「弁護士の役割と弁護士人口の適切なあり方」をテーマに、地方キャラバンと称して各地でシンポジウムをやるそうだ。新規登録者が増えてよほど財政が豊かになったようだ(弁護士登録するには日弁連に3万円払わなければならない。2000人だと6000万円である。)。もはや年間合格者3000人などあり得ない話で、直ぐにでも1000~1500人にすべきなのに今さら何を寝ぼけたことを言っているのだろう。「弁護士人口の適切なあり方」は増員政策を決める前に慎重な検討をすべきだったのである。需要の見込みも立てないで工場を造っておいて、後から需要があるのかどうか検討しましょうなどという経営者がいたら即刻クビだろう。しかしそれでも次の会長選挙では司法改革論者が会長になりそうだというのだから、日弁連というのは不思議な団体である。もういっそのこと強制加入はやめて医師会のように任意加入にした方がよいのではないか。
司法改革を主張している日弁連は世迷い事を言っている。次の会長選挙でも司法改革論者が会長になりそうだが、もういっそのこと強制加入はやめて医師会のように任意加入にした方がよいのではないか、と書かれていますが、
世迷い事を言っているのは、坂野弁護士のほうではないかと思います。坂野弁護士は、「既存の弁護士の都合に配慮して、政府の方針を変えよ、受験者の人生計画を狂わせろ」 と主張しているのですから、どちらが世迷い事を言っているのかは、考えるまでもないと思います。
また、弁護士会への強制加入は、弁護士自治に対応したものです。医師とは異なり、弁護士には自治権が認められています。すなわち、弁護士に対する監督・処分 ( 懲戒 ) は、国ではなく、弁護士会が行います。したがって、弁護士会への強制加入は、必要不可欠だと思います。
日弁連の方針が気に入らないからといって、「いっそのこと強制加入はやめて医師会のように任意加入にした方がよいのではないか」 などと書いていては、( 坂野弁護士に対してのみならず ) 「弁護士」 に対する社会的信頼を失わせますから、このようなことは書かないほうがよろしいのではないかと思います。
ところで、
同 「過払い返還請求トラブル急増…日弁連が異例の指針(読売新聞) - Yahoo!ニュース」
未だ過当競争になっているとは言えない現時点でも「金もうけにまい進する一部の人たち」はいるのであり、
「未だ過当競争になっているとは言えない」 とすれば、合格者の「受け皿」 はあるはずであり、「働き場所」 もあるはずです。
これでは、「受け皿」 がない、と言いつつ、本当は 「自分たち、既存の弁護士の利益維持のために」 、弁護士増員に反対しているのではないか、と疑われても、やむを得ないと思います ( なお、私は、「「受け皿」 は問題にならない」 と考えています ) 。
また、
同
中坊の大馬鹿者が2割司法などと言って自らを卑下して以来、弁護士はマスコミや世論(と称するもの)から、特権意識だなんだとバッシングを受け続けてきた。
( 弁護士増員を推し進めた ) 中坊さんが気に入らないからといって、「中坊の大馬鹿者」 などと書くのも、やめたほうがよろしいのではないかと思います。
名誉毀損になりかねません。このような発言は、弁護士として、慎むべきではないかと思います。
「弁護士増員論の再検討」
http://blog.goo.ne.jp/memo26/e/f53f8b24884de37ae89fefac4fab23c6
「弁護士の質」
http://blog.goo.ne.jp/memo26/e/e36132f7424ae651f62ba02375775ce8
「批判の際には根拠を書いてください」
http://blog.goo.ne.jp/memo26/e/446605c8ed9b4f97f59e021fd26e49e9
> とにかく、知りしないことをむちゃくちゃ書くのはやめたらいいんじゃないですかね。
その言葉、そっくりお返しします。
★とにかく、「根拠も示さずに」むちゃくちゃな「コメント」書くのはやめたらいいんじゃないですかね。
いかがですか? 批判するなら、根拠を示してください。
一から十まで間違った議論ですね。
とにかく、知りしないことをむちゃくちゃ書くのはやめたらいいんじゃないですかね。
法科大学院修了生は増員のデメリットも承知の上で受験しているのであり、受験生のためといいながら、新規参入を拒んでいることになります。
お書きになられていることは、本当にその通りです!
> 弁護士自治といっても、程度問題だと思います。
たしかにその通りだと思います。しかし、
弁護士自治の趣旨は、弁護士は公権力と対立することもあるから、公権力に弁護士の監督・懲戒権を与えない、ではないかと思います。つまり、公権力も、( 場合によっては ) 利害の対立する相手たりうるわけですよね。
弁護士会 ( 仲間の弁護士 ) よりも、公権力の一部である裁判所のほうが、信頼に値する、とお考えなのでしょうか? 私には、そこのところが、ひっかかるのです。
私なら、意見の異なる相手・利害の対立する相手に対して、「相手方を些細なことで懲戒にしたり、変なきまりをつくって仕事をしにくくしたり」 しませんよ。
独立司法委員会なら、委員構成によっては、かまわないのではないか、とも思いますが、思わぬ弊害が現れるかもしれず、「とりあえず」 現行制度のまま強制加入を維持したうえで、委員構成を改革するに留める、というのでは、なにか問題があるのでしょうか?
弁護士自治といっても、程度問題だと思います。日本のように監督権が弁護士会にあるような極端な自治を取っている国は少数派だと思いますね。だからといってアメリカの弁護士制度がうまく機能していないとは思えません。
正直なところ、最近の弁護士同士の対立、たとえば上でも引用されているような債務整理の仕事の取りあいのようなことをみていると、力を握ったほうが相手方を些細なことで懲戒にしたり、変なきまりをつくって仕事をしにくくしたり、よくないことに自治が使われそうな気がします。
やはり、利害関係のない裁判所が監督権を持つ制度がいいと思うのですが。
繰り返しますが、そういう制度になっているアメリカでも弁護士制度はしっかり機能しているし、オバマやヒラリーのような社会派弁護士も活躍しているのですから、今の村社会的な自治をやめたからといって、法曹の信頼が失われるとは思えないし、むしろ、本当に国民のための仕事をする弁護士が増えると思います。