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自動車保有台数1万台あたりの道路延長

2011-05-05 | 日記
藤井聡 『公共事業が日本を救う』 ( p.25 )

 そもそも、「道路のサービス水準」を考えるにあたっては、その延長だけを考えていても仕方がない。例えば、クルマがあまりないような国には道路はさして要らないだろうし(例えば、江戸時代に自動車道は要らなかった)、クルマがたくさんある国なら道路が必要となる、というのが道理であろう。
 だから道路のサービス水準を比較する際には、「クルマの保有台数あたりの道路延長」という指標を用いることが多い。
 図6をご覧いただきたい。
 ご覧のように、日本の保有自動車1万台あたりの道路の長さは、先進国の中で非常に低い水準にあるのである。このグラフからは、カナダや米国のドライバーは、非常にゆったりと道路を使っている様子が分かる。その一方で、日本やドイツなどのドライバーは、あまりゆったりと道路を使えていない様子が見て取れる。とりわけ高速道路については、このグラフの中で日本は最下位である。
 むろん、この図で日本が最下位だから、という理由で、「だから道路をこれからも、無条件につくり続けるべきなのだ」と即断できないのは当然であろう。あるべき道路のサービス水準は、様々な側面を勘案しながら、総合的に判断していかなければならないからだ。


 日本では、クルマ1台あたりの道路は短い、と書かれています。



 引用文中の「図6」は棒グラフですが、数値が併記されています。ここでは、数値のみを引用します。



図6 保有台数1万台あたりの道路延長

       (高速道路)  (全道路)

米国     6・3km   763km
カナダ   13・5km  1127km
フランス   4・6km   414km
ドイツ    1・7km    33km
イタリア   2・5km   183km
英国     1・5km   169km
日本     0・9km   138km


 たしかにこの表を見ると、日本におけるクルマ1台あたりの道路は、相対的に短いことがわかります。したがって米国やカナダに比べれば、日本においては道路の整備が遅れている、とも考えられます。

 しかし、私は、「可住地面積あたりの道路密度」を重視すべきではないのと同様な発想から、この場面においては「可住地面積」を重視しなければならないのではないかと思います。つまり、「可住地面積」をも勘案したうえで、クルマ1台あたりの道路の長さを問題にすべきである、と考えます。

 なぜなら、米国やカナダのように、国土が広く、人口密度の低い地域をたくさんかかえている国においては、「保有台数1万台あたりの道路延長」が大きくなるのは当然だからです。

 ほとんどクルマが走らない砂漠地帯や極地であっても、やはり道路は必要なわけです。したがって米国やカナダにおいては、砂漠地帯や極地にも道路が (数は少ないとはいえ) 建設されているはずです。そしてそれらの道路は当然、「長い」でしょう。

 したがって米国やカナダにおける「保有台数1万台あたりの道路延長」と、日本における「保有台数1万台あたりの道路延長」とを単純に比較することは、間違っていると考えられます。

 したがって上記図6のデータをもって、ただちに「カナダや米国のドライバーは、非常にゆったりと道路を使っている」が、「日本やドイツなどのドライバーは、あまりゆったりと道路を使えていない」とはいえないはずです。この点で、著者の主張には問題があると考えられます。



 しかし、著者の結論、すなわち
 むろん、この図で日本が最下位だから、という理由で、「だから道路をこれからも、無条件につくり続けるべきなのだ」と即断できないのは当然であろう。あるべき道路のサービス水準は、様々な側面を勘案しながら、総合的に判断していかなければならないからだ。
については、私もその通りだと思います。



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