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佐高 城山さん、お住まいの近くではあまり講演とかをやらないのでは。
城山 講演は苦手なものですから、できれば勘弁してもらっています。地元でもそうなんです。佐高さんを尊敬していますし (笑) 、僕の言いたいことは、佐高さんが言ってくださいましたからね。
私は実際に広島で原爆を見ているんですね。海軍にいまして、広島から七、八キロの所にある山の上の高射砲陣地にいました。その高射砲は、ブーゲンビルかどこかにあったものを持ってきたものでした。大正一〇年式だというんですね。昭和二〇年に大正一〇年式の大砲を持ってきた。弾を詰めようとする人は、年輩で兵隊に取られた人が多いですから、弾が重くてひっくり返っちゃうんです (笑) 。
高角機関銃で飛行機を撃つんですが、機関銃なのに三発で撃つのを止めろというんです。「イチ、ニ、サン、……止めろ!」というんです。何のために機関銃があるのか知りませんけどね。アメリカ軍のグラマン戦闘機は、翼に機関銃をつけていますから、ババババと撃ってくる。それに対して、こちらは三発です。それが、末期の日本海軍の状況だったんですね。
原爆が落ちた時に、教えていた教官が飛び上がっちゃったんです。海軍は沈着冷静だとさんざん言われているのにですね (笑) 。それで僕らが外に出てみたら、雷が一〇ぐらい落ちた明るさがあって、すごく怖い状況なんです。上官でも説明がつかないんですが、水力発電所が爆発したらしいと言うんです。火力発電所が爆発したのなら分かるんですが (笑) 。
軍隊ですから広島へ救援に行くべきなのですが、陸軍と海軍は仲が悪かったんです。広島は陸軍の都で、僕らは海軍でしたから命令が出てこないんですね。次の日も基地の近くで訓練をしていました。そうしたら、どこかの家からおばさんが飛び出てきて、抱きついて、「兵隊さん、息子は広島で酷いめにあって殺されたんです。仇を討ってください」と泣いて言うんですね。
原爆が落ちたということは後になってから説明されたのですが、僕らは「あれは光線を使う爆弾だ」と教わったんです。だから、「光線が通れないようにしておけば、絶対に怖くない」ということになった。次の日から第一種軍装といいまして、真っ白な服装をしろ、ということになりました。これで光線は通らないからいい、ということなんです。本当にいい加減なものですね。
僕ら自身、最後は何をやらされるかと思ったら、横須賀の油壷へ送られました。僕らがいるのは呉鎮守府なのに、なぜ横須賀鎮守府に持って行かれるのかと思いましたが、「お前たちの仕事は向こうにあるから行け」ということでした。「行く前に向こうで間に合う訓練をしておくから」と言われて、水中で呼吸ができる道具を付けて、「水中特攻」の訓練をしたんですね。その頃そういう言葉はなかったんですが、最近それに関する本が出てきました。
それは、人間が爆弾だということです。竿の先にダイナマイトを付けたものを持って、遠浅の海で待つ。敵の船が来るのは遠浅の海ですから、その読みは正しかったんですね。湘南海岸は東京に近くて遠浅ですから、上陸しやすい。それを迎え撃つ仕事をさせられるわけです。
僕らの受けた訓練は、海の中に縦横五〇メートル間隔に並んでいる。人間機雷というんですが、機雷を持った人間がそこにいるということなんですね。上陸用舟艇に乗って敵が来たら、下からバンと爆破する。そして自分も吹っ飛ぶ。こういうことを、真面目にやらされたんですね。
その時は何がなにやら分からなかったのですが、とにかく敵は東京を狙ってくる。東京に近くて上陸しやすい所に来る。それが茅ヶ崎海岸だったんです。遠浅で、上陸用舟艇が入りやすいんです。まさか、後にそこに住むとは思わなかったんですが、いまもその跡は残っています。海岸にあるコンクリートの建物が特攻の陣地だった。砂の上に特攻の陣地があるなんて、どうしてだろうと思っていたら、その建物に人間が入っていて、敵が近づいてきたら飛び出していって、海の中で特攻をやるということだったんですね。
恐ろしいことを考えるというか、そんなところに行くまでにブレーキがかからなかったのか。そんなことをやって、勝てるわけがないんですからね。めちゃくちゃですね。よくあれで戦争をやったと思う。
佐高 勝てるという気持ちはどこからかなくなっていたんですか。
城山 神風が吹くということを、一五歳の頃からたたき込まれていますからね。そう思って、戦況は逆転するんじゃないかという期待を持っていました。
佐高 三発しか撃っちゃいけないと思っていても、それは崩れないわけですね。
城山 崩れないわけではなくて、これで勝てるかとは思っていました。ここまで来るまでに、何とかできなかったのか、こういうことをやって勝てるか、と思いました。呉の近くにいて油壷送りというのは、もう少し早く送り込まれていたら、何十年か早くここで死んでいるわけですね。