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ゆめと心理と占いのはなし
Por donde, amor, he de ir?
 Rosalia de Castro

いきものがかりと震災の記憶

2013-05-22 04:31:03 | 日記
2011年3月11日に東日本に住んでいた人は、日本人であろうが中国人であろうがアメリカ人であろうが、みんなあの瞬間、どこにいて、何をしていたか、一生忘れることはないだろう。

ぼくは猛烈な交通渋滞の車道を見ながら、一体何があったのか、大きな地震があったということはわかっても、それが具体的にどこで起きて、どんな被害があったのかわからないまま暗い舗道を家に向かって歩いていた。何キロ歩いたのかわからない。やっと家に着いたのは夜の8時ごろだったろうか。最寄駅の駅前からバスが出ていたので、そこからはそれに乗ったけど、100mもいかないうちに、やはり渋滞に巻き込まれ、女性の運転手さんから、「歩いた方が早いと思いますよ。乗った時のピッは自然に消えますから」と言われて、「運転手さんも気を付けてください」って挨拶して、また歩き始めた。

車道の車が全く動かなくなっていたのが、ぼくにすごい恐怖心を与えた。家に帰ってパソコンでニュースを見たら、津波の映像が繰り返し流れていた。仙台空港の管制室から撮られた映像は、じわじわと浸水して、小さな飛行機が流され、大きな飛行機も水に浸かっていく、信じられない状況を伝えていた。多くの人があの日、亡くなった。いまだ行方不明の人も数百人いると聞く。一人ひとりの悔しさ、悲しさは、多くの人々の心に刻み込まれた。

それから何カ月かあと、ぼくはYoutubeでいきものがかりの歌を聴いていた。そしてエールのファイルをいくつか開いていったら、被災者の画像に重ねられたエールがあった。「永遠などないと、気づいたときから…」「ともに過ごした日々を胸に抱いて…」。家族を失った人たち、職場の同僚を失った人たち、大事な友人を失った人たち…。すべて、永遠に続くと信じていた日々を奪われ、残された人たちはともに過ごした日々を胸に抱いて生きていくことになった。ぼくは被災者じゃないけど、あの日の暗い舗道を歩き続けた記憶は死ぬまで消えない。震災の日のことが蘇ると、いつもこのメロディが脳裏に響く。

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