思いついた物書きだしてみる
40Vアクオス 7万
プレステ3 3万
トルネ 1万
パソコン一式 15万
多くのデータ ?
除湿機 1.5万
ガスコンロ 2万
洗濯機 2万
冷蔵庫 2万
ブラウンの髭剃り 2万
電子レンジ 1万
服 120万
車 120万
扇風機 0.5万
炊飯器 1万
なんかもっとあったような気がするが・・・
・・・
こう書きだして思ったがお金で買えるモノを失っただけならまだいいんだよなあ
とりあえずロト6当てれば全部余裕で買えちゃうもんね!
・・・
地震発生時はちょうど気仙沼の会社でお客さんと電話してたんだな
あ~揺れてますね~とか言ってるうちにどんどん大きくなっていって・・・
津波が来るまでは笑っていられたんだが・・・
アッハッハ 課長のパソコン本体落っこちちゃいましたね~とか
とりあえず6メートルの津波が来るぞーって外で騒いでいたので従業員全員高台へ避難
20分くらいしてからだったかな?
高台から見える河口の水が引き始めた
停めてあった船も海の方に流されたなあ~と思ったら・・・
一気に来た
直前まで下に人もいたし、車も走っていたからその人達は・・・
皆の車も流される光景を見たし
民家が簡単に流されていく光景も見たし
ただそんな中
職場のSさんが満面の笑みで俺に向かって言った
○○の車あっちに流されてたぞ^^
笑顔で言わないでくれ・・・
その後は裏山を抜けて近くの避難所までみんなで避難
ただそこからは各自帰宅ということになった
ここが運命の分かれ道だったのだが
俺は課長に来るか?と言われたのでなんとなくついて行った
一旦課長の家に寄って(課長の家は無事だった)
課長の親戚の家に向かう
課長の家族とも合流
とりあえず1日目は課長の家の車で寝た
めっちゃ寒かったが・・・
この日の夜10時半くらいまでケータイが使えたので身近な人の安否確認をした
一人海辺の公民館に避難した人からのメール
公民館の2階にいるんだけど、周りは火の海ですぐ下も燃えてる・・・
その後音信不通
ただこの人は2日後くらいにヘリで救助されたとのこと
10日間くらい連絡取れなかったから一時はダメかと思ったよホント
ただ、俺自身も津波に飲まれたと思われていたのだが
2日目くらいからは大体同じ生活だったな
火おこし・水汲み・買出しが主な任務
夜は毎晩のように酒を飲む
普通の避難所に行っていたらかなり精神的にきつかっただろうな
まあこっちはこっちでキツイ面ももちろんあったわけだが
2週間ほどお世話になってひとまず落ち着いたので実家に帰って来ましたということです
2週間の間に自分のアパート見に行って絶望したり
車発見したけどどうしようもなくて絶望したり
会社がめちゃくちゃで絶望したりした
まあただうちの会社は再建に向けて動き出しているのでちょっと安心したかな
ひとまず休職ということにはなりそうだが給料は7割くらい出るそうで
もっと書こうと思ったが親が来たので終了
アパート生活がなつかしいぜ