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“アマゾン料理” 支える日系人

2018-10-08 07:00:00 | 報道/ニュース

9月19日 キャッチ!ワールドEYES


多様な先住民たちが暮らすアマゾン地域。
彼らが食する料理は
アマゾン川で獲れる魚介やジャングルの中で育った果物や野菜など
多彩な食材を使った独特なものである。
また栄養価が高いことから
現地では
40度を超える暑さだけでなくマラリアなどにも予防効果があると信じられている。

“アマゾンの入り口”とも言われるブラジル北部の町
バラ―州ベレン。
夜になると家族連れなどでにぎわう通りには
アマゾン原産の食材を使った料理を出す屋台が数多く見られる。
アマゾンの代表的な家庭料理「タカカ」。
一皿約500円で
ひとつの屋台だけでも1日500食売れると言う。
(客)
「タカカは私たちにとって特別な料理です。」
「風味が豊かでおいしいよ。
 アマゾンを代表する料理だね。」
作り方はとても簡単。
ジャンブーと呼ばれるアマゾンの野菜に地元で獲れたエビを加え
アマゾンの先住民がよく使う黄色い絞り汁トゥクピーをかけるだけである。
ベレンの市場。
生きた鳥から色鮮やかな果物まで数千種類の食材が売られているが
人気を集めているのはやはりアマゾン料理に欠かせない食材である。
一角ではトゥクピー作りも行われていた。
まずマンジョ―カと呼ばれるイモの皮をむき機械に入れてミンチ状にする。
その後なめらかになるまで布で何度でもこす。
できた絞り汁を1時間ほどジャンブーと一緒に煮込むとトゥクピーのでき上がりである。
トゥクピーの作り方にはコツがあり店ごとに味が違うという。
(調理人)
「トゥクピーの作り方は祖父の代から引き継いでいます。」
アマゾン料理に欠かせないアマゾン原産の野菜。
実はその野菜を育てているのは現地に住む日系人たちである。
ベレンから東に300㎞にある町 トメアス。
今年7月
日本の皇族として初めて内親王の眞子さまが訪れ話題になった。
約90年前サンパウロの次に多くの日本人が移り住んだのがこの地だった。
しかし農地に適した場所にはすでに先住民が住んでいたため
日系人は人里離れたジャングル奥地で暮らさざるを得なかった。
当時そこは“緑の地獄”とも呼ばれ
アマゾンの厳しい環境に耐えられず多くの日系人が亡くなったと言う。
塩屋明雄さん(80)は
いまから約60年前鹿児島からブラジルに移住してきた。
戦前に移住した日系人たちが切り開いた土地で
日本の野菜のほか
アマゾン料理に欠かせないジャンブーなどのアマゾンの野菜を育てている。
アマゾンの野菜は昔
ジャングルに自生していたものを採って食べられていた。
しかし人々は町に住むようになると
危険なジャングルに履いて野菜を採ることをやめてしまった。
アマゾンの野菜を日系人が作るようになったのはある出来事がきっかけだった。
1960年代の終わり
熱病が日系人の間で爆発的に広がった。
多くの子どもたちが亡くなったため学校は閉校に。
その後 建物は病院として使われていたが
周辺の人が次々と去っていったため病院も廃墟となった。
そうしたなか注目されたのがジャンブーをはじめとするアマゾンの野菜だった。
それらを日常的に食べていたジャングルの先住民の人々が
黄熱病などの病にかかりにくかったからである。
日系人たちは
生き残るためになればと
アマゾンの野菜を自ら育てて食べるようになった。
その後 種から大量に栽培することが可能になり
現地の市場の供給するようになったのである。
塩屋さんたちが作るアマゾンの野菜は今では10種類以上にのぼる。
(塩屋明雄さん)
「アマゾンの野菜は無くてはならない作物なんだと思いますよ。
 いろいろなものにも使われ始めて
 日本人も使っているんじゃないですか。
 これは続けてやろうからと思います。」
厳しい自然に立ち向かい生き抜いてきた日系人。
彼らが丹精込めて育てた野菜がアマゾンの食文化を支えている。




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