Drマサ非公認ブログ

結婚の価値が低い社会

 入院話は休んで気になったことを。

 テレビを観ていたら、アイドルグループ嵐の二宮君が日本郵便のイベントの帰り際に足を止めて、芸能の報道陣に自身の結婚について語っていた。そこでインタビューを受けるのは事前の約束があったということだろう。まあ、ちょっとしたジャニーズ事務所とメディアの間で作られたやらせだろう。ジャニーズ主導っぽいとも感じる。

 元アナウンサーの伊藤綾子さんと結婚したことは周知の事実である。ただ報道では、現在は一般人との理由で名前が明かされていない。何と不自然なことか。アイドルということもあり、結婚を望んでいないファンもいるかもしれない。ネットをみれば、どうもそういう傾向が顕著のようだ。

 また2020年で嵐が活動をやめるという事情から、結婚するなら活動休止以降にすべきとの意見もあるようだ。噂ではあるが、当の嵐メンバーからも非難されているとかいないとか。

 それにしても、人が結婚するというのにケチが付くのを変だとは思わないのか。結婚はおめでたいことではないのだろうか。もちろん、結婚こそが幸せになるための唯一の手段だなどと主張する気は甚だない。ただ結婚は祝福されるべきこととして存在して来たと思う。一応断っておくが、もちろん例外がないなどという気もない。

 確かに人気商売だ。一部のファンは熱狂的であろう。だからといって、結婚の邪魔をするのは異常である。気持ちはわかるなどという気もない。「二宮くんは私の人生なの」と思っているとしたら、勝手な思い込みに過ぎないし、エンターテイメントという枠組みの中で成立する意識でしかない。

 ハンナ・アレントがどこかで指摘していたと思うが、切手コレクターの人格は切手の本来の価値(お金の代わり)とは別の価値を作り出すところにあるという。そこで批判されているのは、ものごとの本来性を忘却することである。近代化の現象の1つといっていい。

 切手コレクターは切手が持つ社会的繋がり(お金の代わり)から離反して、切手世界を独立した“宇宙”として位置付けるわけだ。そこにコレクターの本質がある。私自身がオタク的ではあるが、オタクという社会現象はこのアレント的な理解を適応させると理解の土台となるのではないかと考えられる。

 批判的なファンは二宮君及び嵐の世界を実際の社会との繋がりから切り離していたわけだ。実際の社会とは今回の現象では結婚が象徴している。つまり、二宮君の実生活である。そして、この繋がりを感じさせてしまったのが結婚相手ということになり、彼女への批判という現象として現れたわけだ。

 そうすると、嵐というアイドルグループ内で二宮君の結婚で不和が生じていたとしたら、少しばかり違う問題になる。なぜなら、嵐の一員であれば、当然だが、二宮君が実際の社会の中で生活する人間であることを知っているからだ。

 とすれば、不和の理由は違うことになる。簡単だ。仕事だ。

 ここに価値の転倒がある。結婚と仕事を天秤にかけると、仕事の方が重いわけである。ゆえに、仕事に支障を来すような事情は後回しにする程度の価値しかないわけである。特に芸能の世界であれば尚更という感じを受けるであろう。通常この判断に納得するものである。

 関係各位に迷惑がかかってはいけないとの大人の配慮が湧き上がるのだろうが、そもそもそんな配慮を必然とすること自体に疑問を抱いてしまう。だって、結婚するんだよ。仕事をしていて結婚するのに、結婚なんか後回しにするべきだと思っているとしたら、結婚を祝福するという気持ちがないのか低いということになる。結婚は仕事の都合とは関係なく、祝福されるべき価値を有していただろうし、有していると考えられる。

 アイドルの仕事が特別であるとしても、結婚より仕事が優先されるという意識が醸成されており、ファンや一般の人もそれを当然と思う、なおかつ祝福する意識が後退までしている。なんせ結婚することがあたかも無責任であるとの批判に繋がっているようだ。

 もちろん結婚は自由にしていいものだ。今更結婚の自由は権利だなどと強調するようなことも必要ないだろう。そもそも結婚の自由がないとしたら、奴隷になってしまう。そもそも権利という概念が一般化する以前から、結婚し、新しい家庭を作ることは祝福されるべきものだし、僕たちが願うのは縁結びだし、家内安全であるし、子孫繁栄である。商売繁盛はその下にある願いであろう。神社に行って、そう願い、お守りも買う。

 未婚、晩婚化が進んでいるのには色々な要因があるだろう。それについては社会学者が説明してくれる。一人の方が気楽だとか、自由だとかいう意識も含めて、結婚の価値は下落している。このアイドルの結婚事情は、そういう事情をも表していると思う。

 2020年まで活動した後結婚するべきという考えは、大人の対応であるとされる。このような考え、行動が自明だとするにはどうしても価値の転倒が必要であるし、総じて結婚の価値が減少していなければならない。

 と同時に、仕事への価値意識も変動しているのかもしれない。それについては、また考えてみたい。

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