Drマサ非公認ブログ

インフルエンザ狂想曲 前半

 先日フランス人の同僚が「なんでインフルエンザ程度で、こんなに騒いでるの?」「風邪と大差ないでしょ。日本人は騒ぎすぎだよね」と僕に言って来た。

 僕は同意したのだが、「同意する日本人ははじめてだ」と笑っていた。

 そこで、少しばかりインフルエンザについて触れておこうかと思う。まず第一に厚労省も指摘する通り、「インフルエンザは特に医療処置をしなくても、自然と治癒する」。この事実を事実Aとしておこう。

 次にインフルエンザで重篤になるケースがある。まず乳幼児が重症化するケースがある。インフルエンザ脳症である。年間百人以上がなる病気で、数十人程度が亡くなる。

 もうひとつ重篤になるケースがある。高齢者がもともと呼吸器系や免疫系などの基礎疾患を持っている場合である。もちろん亡くなるケースもある。

 ただ当然といえば当然である。例えば肺がんの高齢者が風邪でも引けば、最悪のケースも当然である。それだけ身体が衰弱しているわけだから、インフルエンザになれば、その基礎疾患が土台となって亡くなってしまうわけだ。

 よくインフルエンザで亡くなったというのは、こういうケースであるから、インフルエンザで亡くなったというのは微妙な言い方である。

 このようなインフルエンザで重篤になり、死に至るという事実を事実Bとしておこう。

 少し乱暴なことを言ってみよう。そもそも高齢者で基礎疾患があって、風邪やインフルエンザになって死ぬというのは自然な流れである。もちろん基礎疾患があるから自然死とは定義できないだろうが。

 さて、事実Aと事実Bはどちらが大きな事実だろうか。もちろん事実Aである。

 だから、5歳程度までの子供と病気の高齢者、彼らの家族はそういう点で少し気にかけておけば良いことになる。

 事実Bは特殊な事例であり、さらに死に至るというのはさらに特殊な事例になる。つまり、大抵はインフルエンザになっても自然治癒する。

 ところが、僕たちは事実Aと事実Bどちらを気にして生きているだろうか。当然事実Bである。よって僕たちの心を支配するのは事実Bである。つまり心理学的な現象なのである。

 しかしながら端的な事実として重要なのは、あるいは客観的事実として重要なのは事実Aである。僕の同僚からすれば、事実Aに立脚して物事を見ているために、「日本人は騒ぎすぎだよね」という印象を持つのだ。

 僕たちは事実Bだけを見て、事実Aを見ていない。そういう意味で、インフルエンザ狂想曲?は社会心理学的な現象である。

(つづく)

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