台灣媽祖日記

海の女神・媽祖などの研究調査のための台湾滞在記 日本の媽祖・天妃信仰も紹介

旧臺北帝國大學圖書館

2005-02-16 | 媽祖と研究
台灣大學には植民地時代の建物が結構残っています。旧圖書館は現在、文学部の日文系(日本語学科)の校舎ですが、もうすぐ大學史博物館になるそうです。今日はここにいる徐興慶先生を訪ねました。

徐先生は江戸時代の日中文化交流が専門で、特に朱舜水など漢学に造詣が深い。今は水戸光圀に保護されていた東皐心越という明僧のことを調べているそうです。心越は茨城や青森など東日本の天妃(媽祖)信仰と関係が深い人物です。

でも校務でいそがしくて落ち着いて勉強できないとか…。今、2つの巨大プロジェクトの責任者をやらされていて、今年9月までに22回も国際学会を開かなくてはならないそうです。ウ~ン…。

南國的最高學府

2005-02-16 | 街の風景
今日は午後から台灣大學へ。授業は来週からで人影はまばらです。只今、世界ランキング100位以内を目指して、COEラッシュだそうです。

今天晴朗 萬里無雲

2005-02-16 | 街の風景
早朝くアパートを出ると雲ひとつない青い空。気持ちいい!と思ったのも束の間、気温はグイグイ上がり昼過ぎには30℃近くに。先週は寒さに震えていたのに、いきなり汗だくだ!!

我毎天喝温黄酒

2005-02-14 | 食と生活
晩餐はいつも起居室(居間)で食べます。一日の締めくくりに欠かせないのが黄酒。はじめの頃は紹興酒でしたが、もち米が主原料の紹興酒にくらべ、うるち米(普通米)だけでつくられる黄酒のほうが、サラッとした口当たりに感じて呑み飽きしません。

でも黄酒は安酒のイメージがあるのか、台湾の友人たちは皆「今度、陳年紹興酒をプレゼントするよ」といってくれます。ちなみに近所のスーパーでは陳年紹興酒185圓 紹興酒160圓 黄酒150圓でした。

コンビニでも紹興酒や黄酒が買えます(スーパーより5圓高いけど)。でも、どういうわけかセブンイレブンには見当たりません。ワイン ウイスキー 日本酒 焼酎 さらに薬草酒まで置いているのに、なぜ?

黄酒も紹興酒も燗をしたほうが好きです。でもこちらのキッチンは火力が強いので、熱くしすぎないよう要注意。

安平開臺天后宮 《台湾媽祖史5》

2005-02-14 | 媽祖と研究
ゼーランディア城があった安平の天后宮は、1661年にオランダを破って上陸した鄭成功が、媽祖の故郷の湄洲から媽祖像を迎えて創建したとHP(ブックマーク)には載っています。鄭成功ゆかりということで「開台天后宮」と呼ばれていますが、1920年に日本人相良吉哉が編集した『台南州祠廟名鑑』には鄭成功死後の1668年創立となっています。

『台灣府誌』(1696年成立)など清代の地誌には、もと「天妃宮」と称したと記載されているので、天后に授封される以前の鄭氏政権時代にあったことは、間違いないでしょう。場所は「安平鎮渡口」すなわちかつての湾口部に面していたようです。

植民地時代に日本人によって小学校に改築され、いったん廃絶しましたが、1962年に水師衙門跡地に場所を移して再建されたそうです。1990年代に改修されて現在の壮麗な姿になりました。正殿正面の神龕中央の大媽・二媽・三媽は共に140cmを越える大きな座像で、手足が動くいわゆる「軟身」媽祖です。

鹿耳門天后宮 「鹿耳門媽」《台湾媽祖史4》

2005-02-13 | 媽祖と研究
オランダに勝利した鄭成功が、自分の船に祀っていた「船頭媽」を安置したのが鹿耳門の媽祖廟の創建とされています。「康熙台湾輿圖」にも砲台や汛とともに「媽宮」が描かれており、清朝も重視していたことがわかります。

ところがその後、台江の地形が変化していき鹿耳門も港口としての機能が低下していきます。そして1871年の大洪水で鹿耳門は壊滅的な被害をうけ、媽祖宮も消滅してしまいます。

しかし20世紀に入ってから、2箇所の地元民がそれぞれの伝承をもとに復活を企て、1913年に土城鎮に聖母宮が、1946年に顕宮里に天后宮が再興されました。現在も鹿耳門媽祖宮の正統的後継の地位をめぐって両者は競いあっています。

このうち顕宮里の鹿耳門天后宮には、明末に遡ると考えられている古媽祖像が安置されています。「鹿耳門媽」「開基媽」と呼ばれているこの古媽祖像は、鹿耳門天后宮のサイト(ブックマーク)によれば、像高約40cm強、材は紫檀(黒檀)だそうです。

どのような経緯で現在そこにあるのかは、はっきりしていないようです。鄭成功が安置した媽祖像そのものだという人もいるようですが、もし「船頭媽」だったとしたら、ずいぶん大型で立派なものになります。

往昔台南一帯是内海了 《台湾媽祖史3》

2005-02-13 | 媽祖と研究
台南は、オランダ人・鄭氏政権・清朝が統治の拠点とした台灣の古都ですが、かつては「台江」という内海に面し、砂洲によって外海と区切られていました。この湾口にあたる安平は、往時「大員」と呼ばれる島の一部でした。台南と安平は、ちょっと強引ですが博多と志賀島のような関係にあります。

ちなみに台湾の語源については、この「大員(タイオワン)」由来説と、外来者をさす原住民の言語「Tayouan(タイユアン)」由来説が有力です(写真の図は「荷蘭・西班牙在台灣」から借りました)。

1624年にオランダ人が安平にゼーランディア城を築いて貿易拠点にしました。その後、内海をはさんだ赤嵌にプロビンシャ城を築き台湾統治の拠点とします。オランダ船が碇泊するゼーランディア城に隣接して、ジャンク船や朱印船が碇泊する地区があり、中国人街も形成されていました。

「台江」にはもう一つ「鹿耳門」という湾口があります。安平に比べると水深が浅いようすが、潮時を読めばジャンク船は通れたといいます。鄭成功が1661年にオランダ軍を攻めるとき、守りの堅い安平でなはく鹿耳門から船団を進入させ、台江の制海権を握ったのが重要な勝因と伝えられています。

嘉義縣 布袋鎮 好美里太聖宮「衙門媽」《台湾媽祖史2》

2005-02-12 | 媽祖と研究
鄭芝龍時代の漢人移住と結びつけて由来を説かれるのが「衙門媽(祖)」と呼ばれる好美里太聖宮の古媽祖。中華民国教育部から明代のものと公認されているものです。大きさからみると船に祀られていた「船仔媽」のようです。写真は《魚鹽之郷市布袋嘴》(ブックマーク参照)の〔信仰〕から借りました。

好美里は第二次大戦前は虎尾寮、さらに清朝中頃までは蚊港と呼ばれていました。1602年の海寇追討に参加した陳第が著した『東番記』に澎湖の外洋すなわち台湾の「魍港」という寄港地が登場します。オランダ文献の「WANCKAN」と同一とされていますが、魍港と蚊港は閩南語で音通するので、好美里を故地する説が有力です。ここは嘗ては「倒風内海」(西風をよける内海=潟湖)がひろがり、そに太聖宮のある小高い丘が突き出していたようです。

「衙門媽」の呼称は、洪水で廟が壊れた時に丘の頂にあったオランダ砲台(荷蘭衙門)内に祀られたことがあるからだとされています。或いは清朝の統治開始直後に、船の出入りを検問する機関=「蚊港汛」(地元では「満漢衙門」と伝承)を置いたことと関係あるのかもしれません。どちらにしろ澎湖諸島から直線距離で一番近い(現在は高速船で90分)この港が、早くから要衝であったことに変わりはありません。

周囲のラグーンには塩田や養魚池が増えているようですが、往時の面影も残っているようで自然生態保護区に指定されています。太聖宮も最近、多数の筏船を海上に繰り出し近隣からの進香船団を迎える「海上祈福會香」をはじめて、知名度をアップを図っていますが、他所の著名な大廟に比べるとまだまだ素朴さが残っているようです。

早期台灣史和古媽祖廟 《台湾媽祖史1》

2005-02-12 | 媽祖と研究
この地図は中華民国交通部観光局のサイトの台湾観光地図に、西海岸の古い媽祖廟を書き入れたものです(「主要」の基準は独断です)。今日から調査の準備ノートも兼ねて、台湾の古い媽祖廟と媽祖像を不定期で紹介していこうと思います。

台灣の古い媽祖廟は17世紀の台湾史と深い関係があります。オランダが澎湖島から台灣南部に拠点を移したのが1624年ですが、その前からすでに対岸からの移住が始まっていたといわれ、しばしば鄭芝龍(成功の父)など「中国系倭寇」の動向と結びつけて説明されています。

我現在習台灣歴史用漫畫

2005-02-12 | 媽祖と研究
台湾書籍シリーズ?第二弾。今日紹介するのは『漫畫台灣歴史』シリーズ。漫画と思ってバカにしてはいけません。かの曹永和先生が総顧問(監修)で、気鋭・中堅の第一線研究者が脚本を書いています(今読んでいる第三冊「荷蘭・西班牙在台灣」は中央研究院台湾史研究所の翁佳音さん)。最新の研究成果がふんだんに盛り込まれていて、読み応えがあります。

まず、表紙(写真)を見ても判るように歴史の主体として原住民がクローズアップされ、彼らの動向にかなりの紙数がさかれているし、また、かつてのようなオランダ・スペイン=帝国主義的侵略者という描き方ではなく、両国と中国・日本・鄭氏そして原住民が、台湾とアジアの海という舞台で駆け引きを繰り広げる諸勢力として、同等の立場で登場してます(原住民を弾圧するオランダ勢に、別の原住民部族が加わっていることもちゃんと書き込んである)。ただし哈日族を意識してか、濱田彌兵衛はちょっぴり「いい者」に描かれているような気が…。

第四冊「鄭氏王朝在台灣」、第五冊「大清帝國在台灣」と読み進むのが楽しみです。中国語の学習にもなるしね。

【追記】先日、曹永和先生の研究室を訪れた時のこと。日本古媽祖DBの抜刷を手渡したところ、媽祖の写真には目もくれず、巻末の参考文献一覧を舐めるように読み始め、目を通し終えてから、そこに挙がっていない台灣の媽祖研究者を一人ずつ丁寧に教えて下さるという、緊張と感激の訪問でした。

我的最好酒菜

2005-02-10 | 食と生活
かたい話題の次はやわらかい話を。勤め帰りに夕飯を兼ねてちょっと一杯…という居酒屋文化が無い台湾。日々晩酌派の小生は、店先や屋台でおかずを「外帯」(テイクアウト)して独酌します。今、一番のお気に入り酒菜がこの「厚揚げ」のようなもの(写真下)。

何だか判りますか? そうです、かの「有名」な臭豆腐です。食文化のなかで日本の納豆みたいなポジションの食べ物で、外国人は苦手だけれどネイティブは大好き!の代表選手です。でも納豆好きの外国人がいるように小生は割りと好き(很好レベル)です。こういうものは第一印象で決まるのかもしれません。

小生が最初に遭遇したのは6年前の杭州。同世代の中国研究者たちと堅苦しいレセプション会場を抜け出した安酒場で大いに盛り上がり、口角泡を飛ばしながら出てくる料理や酒を次々にたいらげました。この時臭豆腐も登場したのですが、パクパク食べる彼らに負けじと箸を出しているうちに苦手意識は消えていました。

アパートの横の公園にお客が絶えない屋台があったので私も並んでみたのですが、ここの臭豆腐、ハマリました。

注文するとダンナさんが三角に切った豆腐をあの臭いのもとの液体から油の中へ。入れる直前に竹串をプスプス突き刺すのがポイントで、火の通りが早くてジューシーに揚がります。隣で子供を背負った奥さんが、同時進行で外帯用のポリ袋をステンレスの円筒にセット、数種類のタレを入れてスタンバイし、揚がった豆腐を放り込むや否やまた違うタレと薬味数種を上から手際よく投入し、口を結んで渡してくれます。この時にタップリ入る野菜が第2のポイントで、酢に浅く漬けあるのでタレがしみた揚げたて豆腐と実に良くなじみます。

帰りが遅くなった夜など、丼にあけたまだ温かい臭豆腐をほおばり、コンビニで仕入れた黄酒をグイッとやると、充実感が拡がります。「過年」の間は当然休みなので、営業が始まるのが待ち遠しい…。いま気づきましたが、小生の臭豆腐歴は常に酒類を伴っており、臭豆腐単独というこちらの普通の食べ方は未体験です。

新年快樂! 酉年好出發

2005-02-09 | 媽祖と研究
今日は旧正月の元旦。台北は午前中には陽も射す穏やかな新春でした。今年は酉年。ということで「トリ」にちなんだおめでたい話?を一つ。

小生は過去2年間くらい日本に残っている江戸時代以前の媽祖像を調査してきましたが、中には本当に媽祖?と確信がないものもあります。写真中のブロンズの女神は台座に「天妃宮」(天妃は媽祖の別称)と刻まれているので、いちおう媽祖像としたのですが自信がありませんでした。「鳥が頭に飛んでる」媽祖像は他に例がないからです。

ところが『明代觀音殿彩塑』をめくっていると頭に「鳥」がついている神像があるではありませんか(写真右)。しかも参考資料として載っている壁画の模写の女性にも鳥の髪飾りが(同左)。この壁画は元代成立の「観音大士傳」に取材したもので、女性は観音に帰依して父の命を救った妙善公というのだそうです。

鳥の意匠が観音信仰とも関係が深いこともわかったのですが、媽祖は観音の化身とも当時から考えられていたので、鳥の飾冠つけていることも説明がつきます。ということで、ブロンズの女神を媽祖とした推定の精度を高めることが出来たわけで(同業者以外は「何のこっちゃ?」と思うでしょうが…)小生としては「非常高興」の発見でした。

後で中国服飾史の専門書をひもといてみると、鳳や雀など鳥をあしらった釵(かんざし)があり、特に明代の上流女性に人気があったことがわかりました。そんなトレンドが女神の宝冠の意匠に鳥を登場させたのかもしれませんね。

我找好書了 (誠品書店編)

2005-02-08 | 街の風景
食べ物の話が続いたので方向転換して台北書店情報(その1)。

運忠孝敦化站から敦化路東側を南下すると鋭角の交差点に面したビルがあります。ここにあるのが誠品書店。「立ち読み歓迎」の台湾では大きな書店にはふつう椅子が用意されていますが、ここは床や階段がピカピカなので、みんな平気で「座り読み」しています。

小生にはまぶし過ぎるお洒落な店内ですが、台北を代表するマンモス書店だけあって品揃えは豊富。こういう所に足を踏み入れると「本のハンター」に職業病で豹変してしまうのですが、今回は競合者がいないのでゆっくり獲物を捜せました。

戦果の一部を紹介すると、まず『明代觀音殿彩塑』という写真集。北京の大慧寺というお寺の28体の仏神像と壁画が美しい大判カラーで紹介されています。戦災や文革の難を奇跡的に免れたその姿は、五百年前のものとは信じられないくらい色鮮やかです。

媽祖像の図像学的研究のために同時代の中国の神や仏の姿をもっと知らなければ…と、軽い気持ちで手にとった一冊ですが、小生にとって思わぬ大発見が!(来年、つまり明日につづく)

過年我的晩餐

2005-02-08 | 食と生活
今日はいよいよ徐夕(大晦日)で、さすがに運も公車も乗客はまばら。街のお店もシャッターを閉めている所が多いです。昨日、房東(大家)さんが「過年中の食事はどうするの?」と心配してくれましたが、コンビニをはじめチェーン店系は「年中無休」で、正月も営業しているところがけっこうあります。

「鬍鬚魯肉飯」錦州街店もその一つ。魯肉飯は、トロトロの豚の醤油煮込みをご飯にかけた台湾の丼ですが(昨秋の大学祭の留学生模擬店で出したところすぐ売り切れました)、ここのもう一つの売り物は便當(弁当)。遅くまでやっているので小生も普段からよく利用しています。

私的1位は鶏腿(鶏モモ)便當85圓、2位豬脚(豚足)便當80圓、3位魯肉便當75圓。写真は豬脚便當で、このようにメインだけでなく福菜類も豊富です。HPによると日本でも「ひげちょう」の名前で展開中のようですが、メニュー写真を見る限り台湾に比べ「値段倍額、迫力半分」の観は否めません。

今天早餐是麺包和優酪乳

2005-02-06 | 食と生活
今朝、出かける時にいつもの三明治屋のおばさんとすれ違いました。手を合わせるしぐさをしたので、どうも礼拝にいくようです。ということで今日の朝食は、運站の隣の麺包(パン)舗で買いました。おいしいけどちょっと高いお店です。

購入したのは「日式」焼餅。軽く炒めたキャベツと蟹カマボコの具がたっぷりはさまったお好み焼き風焼餅です。左上はコンビニで買ったヨーグルトですが、カツオ風味なのでお茶のほうが合いそうです。