台灣媽祖日記

海の女神・媽祖などの研究調査のための台湾滞在記 日本の媽祖・天妃信仰も紹介

清王朝的媽祖利用 《台湾媽祖史6》

2005-02-18 | 媽祖と研究
1683年に鄭氏政権は倒され、台湾は清朝の統治下に入ります。この時の清軍司令官は、鄭氏側から寝返った施琅でした。大船団を率いて台湾を制圧した彼は、その功績で清朝から靖海公に封じられます。

鄭氏制圧の功績で出世したのは施琅だけではありません。媽祖もこの時に「天妃」から「天后」に昇進します。これは台湾が平定できたのは、媽祖の霊験による数々の奇跡のおかげであると施琅が奏請したからです。

写真左は福建省平海の媽祖廟前にある師泉井で、水が無くて清の大軍が困っていた時に、媽祖のお告げによって施琅が掘ったところ、清の大軍を養うに十分な水が湧き出たという霊験譚を描いています。写真右は両者の形勢を決した澎湖海戦の時に、天空で媽祖たちが清側に加勢している様を描いたものです。

媽祖は古くから中国南部沿海で信仰されてきました。ですからこの海域を基盤とする鄭氏政権の守護神でもあったわけですが、その倒壊の過程で北方の満州族が建てた清朝によって取り込まれていくのです。

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