渡船夕照 2008-05-08 | 街の風景 今日は聖誕節のイベントとして 伝統民俗音楽が演奏されるという情報があったのですが 出くわしませんでした 新観光区のできた対岸でやっているのでしょうか? でも まぁ 陽も傾いてきたので本日はこのへんで…
小魚干 2008-05-08 | 街の風景 淡水は漁港としても有名 海岸の露店では出来立ての小魚干(シラス干し)や 小魚煮(釜揚げシラス)が威勢よく売られています 不漁続きの日本にも「台湾産」が入ってきているようです
金爐和觀音山 2008-05-08 | 媽祖と研究 中国や台湾では廟で祈願するときに金紙(紙銭)を焼きます 天上に「お布施」を届けるためで 廟の前などに金紙を焼く「金爐」があります 借景が淡水河と観音山と豪華 この山は植民地時代には「淡水富士」と呼ばれていたそうです
王爺 2008-05-08 | 媽祖と研究 朱府三位王爺(三位の官位に登った朱さん)を祀る和衷宮 王爺はもともと疫病などを流行させないよう死者の霊魂を祀ったもの 遭難防止などにも効験があるとして 船乗りや漁民に信仰されるケースも多い 屋台や店が大きくなって門前を占拠してるのは 台湾ではよくあるケース 神さまが寛容なのか? 右手は淡水名産の蝦捲の屋台
保安廣澤尊王 2008-05-08 | 媽祖と研究 淡水の埠頭で祀られていたのは媽祖だけではありません 中国沿岸には他にもたくさんの航海守護神がいて 出身地によって、時代によって、人気のある神さまが変わります 神々の世界もサバイバルが激しいのです ここは保安廣澤尊王を祀る「幸海宮」 この男神は五代時代の福建省泉州府南安県で寇賊を溺死させた人物といわれ 泉州出身の海商に人気がありました 廟の前には香腸(ソーセージ)と烤魷魚(イカ焼き)の屋台 日本人ならビールのツマミというところですが 台湾人は甘いジュースやお茶を片手に頬張ります… (胡椒餅と違ってどちらも甜い味付け)
胡椒餅的朋友 2008-05-08 | 食と生活 今、人気沸騰の台湾名物「胡椒餅」 青葱が大量に入ったジューシーな豚まんの中身を サクサクの餅(モチではなくピン:精緻なピザ生地みたい)で包み ナンのように炭火の窯の側面で焼いたもの 食感の異なる両者が口の中で混ざり合うのが醍醐味 そこに胡椒のパンチがストレートにきまります (このようなシンプルなおいしさは台湾では貴重です) 日中の街角、右手で焼きたてをパクつきながらいつも想うのは “左手に缶ビールがあったらどれほど幸せだろう” (持ち帰って再加熱するとべちゃべちゃで油っこい別物になってしまう) でっ、今日は行楽地の休日 昼間から外で啤酒を飲んでも大目に見てくれるに違いない… ということで 途中のコンビニで啤酒を調達 海岸のベンチで遂に夢を果たしました 胡椒餅に啤酒 “台湾太好了!”
淡水的順風耳? 2008-05-08 | 街の風景 熱々の胡椒餅を手に海岸散策路へ (途中 一ヵ所寄り道) すぐにかぶりつかなかったのは ずっと心に秘めていたあることを実行に移すチャンスが遂に来たからです 渡船乗り場に近いこの辺りは観光客でいっぱい 仁王立ちしているおにいさんの胸に“順風”の文字!? よく見たら渡船業者の一つ“順風航業”の制服でした
娘媽的靈驗! 2008-05-08 | 食と生活 見学を終えて廟を出ると正面に焼餅のお店が 胡椒餅もあるけど、ケースは空っぽ… と、そのときオジサンが窯の蓋を開けました! 胡椒餅は何といっても焼きたてが一番! 行列のできる有名店でなくても焼きたてならハズレ無し しかも一個35元と安い!(松山の有名店は45元) “先生、要一個!”
淡水媽祖7 2008-05-08 | 媽祖と研究 廟内の壁に嵌め込まれた「望高樓碑」 望高樓は、港の入り口にあった見張台&燈台のこと 福祐宮のお坊さんが船主たちに勧進して 廟の建物と同じ1796年に建立しました その後、望高樓は淡水港の安全を守りましたが 第2次世界大戦中に日本軍は砲台の礎石にするため 解体されたということです
淡水媽祖6 2008-05-08 | 媽祖と研究 正面奥に掲げられた「翌天昭佑」の扁額 1884年の清仏戦争の時、淡水に上陸しようとした仏軍は 清の守備隊に阻まれここには上陸できませんでした。 そのとき、淡水鎮台から次のような報告が… 嵐のような仏軍の砲撃で、もはやこれまでと思ったとき 天空の雲の間から忽然と媽祖が姿を顕わしたのです! これを見た鎮兵は奮い立ち、遂に敵を撃退しました これを聞いた光緒帝は霊験を讃え、この額を下賜したと伝えられています しかし、仏軍はその後、基隆に上陸しました 基隆の媽祖はどうしていたのでしょうか?