まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

井の中の蛙

2018年05月30日 | 読経の日々
今期の朝ドラ、『半分、青い』は、鈴愛(すずめ)が末のわが娘(架空の子4号)のように可愛く、語りは同年代の姐さん、風吹ジュンさんなので、放送される毎日の出来事がとても身近な感じで楽しく見ている。
 
今日、律とマドンナの会話の中で、「井の中の蛙大海を知らず」という諺の続きがあることを初めて知った。
 
「井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さ(青さ)を知る」
 
この諺の原点は中国の荘子の「秋水」の中にある「井蛙不可以語於海者、拘於虚也」
されど、以下は、どうも近代(明治)以降の日本で作られたものらしい。
 
荘子は、「井蛙は以て海を語るべからざるは、虚に拘ればなり」=「井の中の蛙と海のことを語ることができないのは、くぼみのことしか知らないからである」と言った。
 
狭い見識にとらわれて広い視野でものを見ることができない、全体が見えず、小さなエリアのお山の大将で得意になっているたとえである。

本来は、そういうネガティブな意味での教えらしい。
 
でも、日本人の知恵で付け加えられた後段が、付くと実にポジティブな言葉になるではないか。
 
田舎しか知らない、ものの見方は自分の生活中心、日本語はほぼ房総弁、しかも日々垢臭い。
人間関係は直球勝負のみ。じき喧嘩もするけれど、根はないので普段も付き合える。
そんな下々の民草(まったく自分)とは、大海(世界情勢)を語ることはできないと言っている荘子に、いやいや、あんたこそ井の中の蛙だと、付け加えた後段。あっぱれ!だと思う。
 
大海とは、平面的広がりである。

一言で言えば、地縁・血縁、銭勘定。
そんな人たちが牛耳る社会。
一見華やかだけれど、よくみれば限られた財を奪い合っているだけ。
安倍さんや日大アメフト監督に代表される括りが実は世の中にはごまんとある。
わが小さな自治体のそんな例をカミングアウトしようと思えば、字田舎だけにかなり具体的にできるけれど、止めとく。
 
井蛙には、ほぼ奪い合う環境はない。
むしろ、井戸という小さな世界で共生を考えなくては生きていけない。
少しの財を分け合いながら、貧しく生きていく世界。
 
それでも、大海という平面に散らばる限られた財を奪い合い、傷つけあい、私利私欲にのみ走る人たちより、自分の足をほんの少しの地にしっかりつけて、小さな井戸の口に広がる世界に感謝をし、毎日を正道に生きることが、井蛙の生き方だと思う。
 
「井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さ(青さ)を知る」
この言葉は、なにか機会があったら、必ず後段までを入れてひとに伝えたいと思った。
 
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<今日は何の日にかえて(^_-)-☆ 類似の後段>
 
●「男は度胸、女は愛嬌、坊主はお経」
  最近は、男女逆転かも。坊主はお経は変わらず!お布施安くして<(_ _)>
 
●「安全第一、品質第二、生産第三」
  昭和の時代とはだいぶ違ってきましたね。最近は、利益第一?

●「地球は青かった、しかしどこを見回しても神はいなかった」
  後段に、いいね!です。神様も仏様も実は私たち自身なのでは!だから、悪いことをしてはいかんのです。

●「Boys, be ambitious like this old man」
(少年よ大志を抱け、この老人のごとく)
  早期退職した理由の一つです。30代での中途採用でもここまでなれるよ。でも、当然、保守本流にはなれない。所詮繋ぎ。これからの外の世界での生き方を参考にね。自分なりの「like this old man」でした。ま、そんなんもあり、シルバーバイト生活も頑張っています。けっこう楽しいかもです。
 
言葉足らずに思い込んでしまっている諺なども案外多いですね。
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