《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

『女優力』その技と力の向こうに何が見えるの

2010年02月09日 20時12分43秒 | Weblog
BOY 幾千年の 時の向こうに 何が見えるの?(『BOYのテーマ』 菊池桃子)

30数時間遅れで『女優力』拝見しました。
圧倒されました。いきなりあのテンションに持って行けるちゅーのは、さすがです。
あの研修生達全員をひっくり返していましたが、当然です。
即興劇をいったん中断する勇気、何かしら「ライブ」でパフォーマンスをした経験が有る方なら、
それがどんだけ勇気いることか、おわかりでしょう。
「二度と元に戻らないんじゃないか」という恐怖と闘わなきゃなんないんですよ。
そのことが少しも即興性を壊さなかった、ということに「凄い瞬間に立ち会った幸福」を感じました。
ケーキにむしゃぶりつく姿は、私にとっては衝撃的なほどにエロく感じられました。
むき出しの生命力とでも言いましょうか、
これまでの奥菜恵さんからはああいう種類のエロさは感じたことがなかった。
それらが、結構長期のブランクのあった直後に表出されたんですから、
深夜の放送じゃ、もったいない企画でした。

しかし、
あのエロさは初受感でしたが、
それ以外については
『胎内』で、『橋を渡ったら泣け』『失われた時間を求めて』等での
既視感があったかなー、と。
あの『女優力』を以てエキセントリック女性の非日常を演じる瞬間をあの研修生達に見せると、
きっと誤解を生む、と心配でならないのですよ。
「テンションをあの最高値に持って行けるところが奥菜恵の価値だ」
なんていう。
私もそういう誤解にはまり込んでいるときがある。
日常を描いていて、普通に人間が生きている芝居なんだけど
「あっ、やっぱり女優さんの演技だなぁ。ここ、こう描くか」という瞬間が一瞬有って、
というその瞬間をあの研修生に、
いや私が観たい。

こんなことを書いたのも、きっとあの文章の影響に違いない。
『なぜ落語なのかというのもそんな感じでね。元々法律家志望ですから。それが180度転換、というわけでもなく、実は、これはこれで自分の信じる正義の自己実現なんです。例えば、最高裁の判事の皆さんが一生懸命考えて、苦渋の結論を出した時に、補足意見だとか反対意見だとかっていうのを出しますね。15人中2人が反対意見、あるいは1人が補足意見っていうのを出して、新聞にも載るんですけど、それを国民はどれほど読んでるのか、と。
 世の中を良くしようと思っているわけですよ、判事の人達も。あるいは新聞記者の人達も、ああ、こういう風になればいいな、というので社説を一生懸命書いたりする。ところが多分それは、もう読まなくてもわかってる人しか読まない。そこにしか届かないってことは、我々の幸せを支えるはずの法システムが現実には機能してないってことではないのかと、法律を勉強していて疑問に思ったわけです。
 理屈が通じない、届かない人に対しては、情で絡め取る方が早い。(中略)それが私落語に対するアプローチの、まず一つ大きなところですね。』(『この落語家に訊け!』立川談笑)

『女優力』が描く世界、目指す思想、求める理念、願う情念、孝ならんと欲すれば忠べけんや、
考えて生きてりゃ、誰しもが「べけんや」っすよ、現代は。
その現代において、う~ん、まさに「こういう風になればいいな」というような、
「人を感じさせ動かす力を以って、何を実現しようとしているのか」が伝わるような、
もちろん受け手も参加しての共同作業、
もう、何を書いているのかわからなくなっているが、演劇と、奥菜恵の可能性に
わたしゃ賭けたいのだ。