めご の ひとりごと

ほぼ ひとりごと と おぼえがき

よみがえれ、東日本!列車紀行

2012-09-11 | しんさい
『よみがえれ、東日本!列車紀行』
田中正恭
クラッセ

津波で被災した鉄道について懐かしんでる本かなと思ったら、被災地の状況やボランティア活動なども取材。

『自宅で避難している方々の家を一軒ずつ訪問し、水のことで困っていないか確認してまわった。ところが東北人は困ったときはお互いさまという気配りとともに、他人に迷惑をかけたくないという意識が強い。お年寄りの家を訪ねて標準語で問いかけると「いいがら、いいがら、ウチはなんともねえから、ほかんとこさ行ってけさいん」と遠慮する。ところが、実際には家には風呂場にもトイレにも水が一滴もなくて、飲むこともトイレも我慢していることが多い。そこで、彼はあえて方言丸出しで「いいがらでねえべや。困ったごどねえが?なんか、けでやっか?」と言うと、ようやくポツリポツリと本音を話してくれる。』

『旅の道連れたちはお酒を飲まないので、私は、ひとりチビチビと「どんぺり」を口に運ぶ。』
どんぺりっていうお酒があるんだよね。

『1972(昭和47)年(略)五能線の広戸~追良瀬間の海岸沿いで、高波が蒸気機関車を飲み込み、走行中のハチロクが海に転落して機関士が殉職するという痛ましい事故が起きた。』
『深浦港が見えてきた。この港には2007(平成19)年に、北朝鮮を脱出した難民が、小さな木船にたどり着いたことがあった。』

震災後に五能線に乗っている時に津波がきたら、どこに逃げればいいのかと考えていたんだが、すでに高波事故があったのね・・・。

『山田線(略)盛岡~宮古間は、ほとんど人の住まない過疎地帯を通る。この線が建設される時、「猿でも乗せるのか」と国会で批判されながらも、「規則では猿は乗せないことになっております」と地元出身である原敬首相が答えたというエピソードが残っている。』

国会で「笑点」?

『ドラゴンレール大船渡線(略)この愛称は、その地図上の線形が、まるで龍の背中のようにクネクネと曲がっているからで、別名、鍋弦線ともいう。その経緯は大正時代の地元政治家たちの「我田引鉄」によるものである。当初は陸中門崎から千厩までを直線で結ぶ予定だったが、千厩の北にある摺沢出身の有力政治家の要望で摺沢を経由することになった。このことで一時は千厩に鉄道が通らなくなる計画に変更されたが、今度は千厩出身の政治家の力で千厩も通ることになり、クネクネと曲がる現在の線形となったのである。このため陸中門崎~千厩間は直線距離では八キロ余りのところを、摺沢を経由するために二六.一キロにもなってしまった。』

山など難所があって迂回してるのかと思ってた。

『この石巻駅は、かつて、道路を隔てて、汽車駅と呼ばれた石巻駅と、電車駅と呼ばれた仙石線の駅の二つに別れていた。仙石線が元私鉄だったことの名残だったのだが、今は汽車駅に統合されている。』

『同じJRである東北本線と仙石線が平行して走っている。なのに、お互い連絡する接続駅はない。戦前、仙石線は元私鉄の宮城電氣鉄道だったため、このような路線になっているのだ。』

東北本線と仙石線が並走しているけどアクセスが悪いのが不思議だったのだが、鉄道会社が違ったのね。

『仙石線(略)乗ってくる人がドアを自分で開け、乗ると即座に自分で閉める様子が見ていて面白い。開けたままでも発車する時に自動的に閉まるのだが、地元の人たちは律儀に必ず自分で閉める。宮城県人は日本一律儀で、慎み深いと聞いたことがある。』

へぇへぇへぇ。

ジャンル:
モブログ
コメント (2)   この記事についてブログを書く
« 前の記事へ | トップ | シティハンター »
最近の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございます! (著者です)
2012-11-17 09:37:29
拙著を、細かくお読みいただき、ありがとうございます。津波や放射能に襲われた地域の復興がなかなか進まないことに心が痛みます。
1日も早く人々に心からの笑顔が戻りますように願っています。

うわっ!!!! (めご)
2012-11-27 21:51:23
今頃コメントに気づいた・・・。
それも著者さまよりの!!!!
著者さまの目に入るなら、真面目な文章を書けばよかったと後悔したりして。←もう遅い

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

しんさい」カテゴリの最新記事