めご の ひとりごと

ほぼ ひとりごと と おぼえがき

上田久美子インタビュー記事

2017-02-15 | たからづか
「月雲の皇子」「翼ある人びと」は観ていなくて、「星逢一夜」でいい作品だなとは思ったけれど宝塚で観たい題材ではなかったが、「金色の砂漠」でツボにはまった。

★★★★★

BOOKOUTジャーナル

【前編】宝塚歌劇団 演出家 上田久美子さんインタビュー
2016/04/15


2013年、入団7年目にして『月雲の皇子 ―衣通姫伝説より―』で演出家デビュー。
その公演が好評を博し急遽再演が決定。
異例のヒット作に。二作目である『翼ある人びと ―ブラームスとクララ・シューマン―』は鶴屋南北戯曲賞の最終候補に。大劇場デビュー作であり、彼女にとっては三作品目となる『星逢一夜』では読売演劇大賞の優秀演出家賞を受賞した。

今までに発表したのは3作品のみ、しかし、その全てが大きな話題に。
宝塚歌劇団の若き女性演出家として注目を集めている、上田久美子さん。
今では演出家として活躍している上田さんだが、実は過去には製薬会社に勤務していた時期も。
“転職”というカタチで宝塚歌劇団の門を叩いた、その経歴は少し変わっている。

幼少期は文学少女
青春時代を京大で過ごし
卒業後は製薬会社へ

「幼い頃は読書が好きな女の子でした。と言うと聞こえがいいですが、私が生まれ育ったのは奈良県の何もない田舎町で、本を読むくらいしかやることがなかったんですよ」

と笑う上田さんは、高校卒業後、かの京都大学の文学部へ進学。アンドレ・ジッドやレイモン・ラディゲをはじめ「フランス文学が好き」という理由でフランス文学を専攻。卒論はフランスの哲学書をテーマに書いたそう。

「当時は明確な将来の目標を見つけることができず、ただ漠然と“何か海外と関係のある仕事ができたらいいな”と思っていました」

そんな上田さんが、大学卒業後に就職したのはフランス文学とも海外とも全く関係のない製薬会社。

「当時は就職氷河期。ありとあらゆる会社を受けて、たまたま受かったのがその製薬会社だったんです(笑)」



会社という社会で働く
“普通の人”こそが
物語の主人公に思えた

大学を卒業したら会社に入って働くのが当たり前だと思っていた、という上田さん。その“当たり前”をまっとうすべく“お給料がもらえるならばどこでもいい”そんな思いで入った会社だったが、これが彼女の人生を大きく変えるきっかけに。

「会社には2年間勤めたのですが、そこでの社会経験はおおいに役に立っていて。あの時間がなかったら今の私はない、そう言っても過言ではないくらい」と言葉を続ける。

「学んだことも同じならば興味の対象も同じ、大学までは似たような人達に囲まれて生きていたけれど。会社には、年齢も、好きな物も、育ってきた過程も……自分とは異なる人達が沢山いる。
それが凄く勉強になったというか。社会とはどういうものなのか、世間の人々はどういう気持ちで日々暮らしているのか、その2年間が私に教えてくれたんです」

なかでも、上田さんの中に強く残ったのが「生きるのは大変なんだ」という学び。

「相手が年下であっても上司ならば頭を下げなければいけない、理不尽なこともあれば、どんなにやりがいを感じていても異動で他部署に飛ばされることだってある……でも、家族や生活のために会社を辞めるわけにはいかない。
そうやって、何年も仕事を続けている人が沢山いる。これが“生きる”ということなんだ、と。好きなことを仕事にしている人はごくわずか、大多数がそうやって生きていることを改めて実感したんですよね」

今まで知らなかった“人々が抱える思い”にも沢山触れることができた。

「ОLって色々大変なんですよ(笑)。
独身貴族として華やかに生活しているように見える人も、結婚して幸せそうに見える人も、おのおの心に何かを抱えている。深く知ると、それぞれがいろんな意味でスキャンダラスだったりして。それこそ、皆が小説の主人公のように思えるくらい」

会社生活では、日本企業特有の考え方や風習にカルチャーショックを受けることも多かったが「渦中にある現実というよりも、どこか外側から見ている自分がいて。まるで舞台を観るように、自分の葛藤も含めてそれを面白がっていた」と笑う上田さん。

なんとも演出家らしい発言!! だがしかし、次第にこんな思いも抱くようになっていったそう。

東京砂漠で遭難してしまう!!
“夢を追い求めて”というより
“逃避”に近い転職でした

「東京で一人サラリーマンとして働く、この状況がどこか“根なし草”のように思えて。
“このままでいいのか?”という不安は常に感じていました。
毎日デスクに向かい同じ作業を繰り返す、それが私の仕事であり、皆も当たり前にやっていることなんですけど……次第に“自分の存在のよりどころはどこなのか”を考えるようになってしまったんですよね」

仕事とはお金を得るためのものだと割り切ることもできなければ、仕事以外に打ち込めるものもない。
時間を売り渡して得たお金をストレス解消のようなものに使い、またストレスを溜めてお金を使う……そんな毎日の中で膨らんでいく「私は何者なんだろう」「誰なんだろう」という感覚。

「この東京砂漠にこれ以上いたら遭難してしまう!! そんな思いが蓄積したときなんです。
宝塚歌劇団の演出助手の求人を知り願書を出したのは。正直に言ってしまうと“夢を追い求めて”というより“転職がしたい”、後者の思いのほうが当時は強かったんですよ(笑)」

【後編】宝塚歌劇団 演出家 上田久美子さんインタビュー
2016/04/22



生徒も演出家も
舞台への敬意がなければ
一緒に作品は作れない

「宝塚歌劇団の公演を見たのは大学生の頃。劇場ではなくTVで観た『ベルサイユのばら』が初めての作品でした。どこかレトロで華やかな世界、男役が見栄を切ったときの興奮……カルチャーショックを受けるのと同時に、流行を追ったモダンなものがもてはやされる現代で、古式ゆかしい舞台が毎日劇場を満員にさせている、そこに興味を抱いたんです」

どこか客観的な視点で「ひとつの文化として素晴らしい」という思いで楽しんでいた、という。
「熱烈な宝塚ファンではなかった」それもまた上田さんの面白いところだ。

「本当の意味で愛情やリスペクトが芽生えたのは宝塚に入ってからなんです。先輩の演出家から言われた言葉に“生徒達が命がけで立っている、その舞台を裏方である私達が潰してはいけない”があるのですが。

その言葉通り、生徒達は稽古も舞台も真摯に敬意を持ってやっている。生徒達がよく口にする言葉に“お客様の明日の活力のために”がありますが、きれいごとのように聞こえるかもしれないけど、本当に皆それを信じて舞台に立っている。それまで深く知らなかったからこそ、皆が持つ舞台への思いや姿勢に触れるたび、敬意が大きく育っていったんです」。

自分の作品は氷山の一角。
“宝塚のために”
それが何よりも大切

稽古場のドアストッパーのブロックを枕に床で寝たことも。本番前になると過酷を極めた演出助手時代。
しかし「一度も辞めたいと思ったことはなかった」と上田さん。

「生きること、そして、仕事とは大変なものである。それは会社勤め時代に学んでいましたから(笑)。
また、物理的な大変さはあっても、精神面は逆に以前よりラクになったんです。
初日の幕が開けば、皆で作り上げた舞台がお客様に届く。

一次生産者から消費者へ、そのカタチが明確になったというか。歯車の一部になっていたときには見えなかったものが明確に見える。会社時代に抱えていた“私は何をしているんだろう?”そんな不安を感じなくなったのが大きいのかもしれませんね」

会社員経験がなかったらこの仕事の有難みを感じることなく辞めていたかもしれない、と微笑み
「先まで見通せる長い道を眺めるよりも、曲がり角があるサバイバル人生のほうが私には向いているのかもしれません。まあ、これは宝塚という組織に守られているからこそ、言える言葉なのかもしれませんが」

と笑った上田さん。とはいえ
「いつか自分の作品を舞台で。そんな強い気持ちも背中を押していたのでは?」とたずねると、返ってきたのは「それが全くなかったんですよ」という驚きの答え!!

「実は今も“自分の作品を舞台でやりたい”気持ちはそんなに強くなくて。ネタを思いついた時、これをあのキャストで出来たら…と夢を持つことはありますけど。こんなことを私が言うのもおこがましいのですが、私にとっては自分の作品より“宝塚歌劇団が続いていくこと”が大事なんです。そもそも、私が宝塚の門を叩いたのもその思いから。

例えば、日本が世界に誇る文楽などであっても、劇場は空席が目立ったり……そんな現実を目の当たりするなかでぼんやりと生まれた“面白い文化が続いていくために奉仕したい”という思いからなんです」

実は転職時「歌舞伎のプログラムを作る仕事や日本の舞台を海外に紹介する仕事だったり、宝塚以外の団体にも願書を出していた」そう。

「私の中に常にあるのは“宝塚を良いカタチで存続させるために貢献したい”という思い。

そのためには、本当は、演出家でなくてもいいのかもしれない。自分にそのセンスがあるなら衣装やセットのデザイナーになって貢献したいし、人を育てる才能があれば音楽学校で人材育成だってしたい。でも、私にはどちらの適性もなさそうなので、結局、台本を書くのがまだ一番いいのもれませんが(笑)。」

日常を離れ別世界を楽しむ
それが宝塚の醍醐味だからこそ
誰もが楽しめる舞台にしたい

そして「どんな作品を描いていきたいか?」質問したときに続いたのが上田さんらしいこんな言葉。

「一人の演出家しかいないほとんどの劇団とは異なり、宝塚歌劇団には複数の演出家がいます。ゆえに、私は自分自身を大きい複合ビルの中の個人営業店だと考えているんです。
“うちはフレンチ”“うちはイタリアン”“うちは和食”おのおのの演出家がひとつの店であると。
美味しい店が集まれば、誰もが行きたいビルになる。私自身が寿司屋なら寿司の技能を磨きたい。

例えば悲劇なら悲劇、作風は一つでいいのかもしれません。
あれもこれも出来ますよと技能を披露する必要はないのかなと。

私は寿司職人だけどたまにはフレンチの腕も見せますよ、って寿司屋でフレンチを出されても、フレンチレストランにはかなわないでしょう?そのために、たくさんの演出家の異なった店があり、生徒という“素材”が、それぞれの店の一番得意な方法で美味しく料理される、それが宝塚なのかなと」

取材中、こんな印象的な言葉もあった。

「私が演出した舞台を人から“良かった”と言ってもらえるのは心から嬉しい。でも、私自身は自分の脚本演出が良いなんてまだまだ思えない。自分に才能があると思ったことも一度もないです。だからこそ、何度も推敲し“どうしたら面白い舞台になるか?”一生懸命考える」

「大変な現実から離れ、ひとときの間、別世界を楽しむ。それが宝塚の舞台の素晴らしさだと私は感じていて。
だからこそ“誰が見ても楽しめるものを”という気持ちも自分の中に強くあるんです。

そこで基準になるのが、前の職場で出会った人達。今はある意味、特殊な世界にいるので、自分の感覚というギアをニュートラルに入れておく意味でも、会社員時代に知り合った人たちとの繋がりは有り難いし、ずっと大切にしたい」

どんな高評価を受けようとも、舞い上がることなく冷静に「宝塚のために自分には何ができるのか?」客観的に俯瞰で考える。自分の主観で突っ走ることなく観客の目線で舞台を見ることができる。

その視点があるからこそ、上田さんの舞台は多くの人の心を動かすのだろう。
上田さんがどんな物語を宝塚の劇場に紡いでいくのか、これからも楽しみだ。



【PROFILE】
上田久美子(うえだ・くみこ)
宝塚歌劇団 演出家
2006年宝塚歌劇団入団。2013年『月雲の皇子―衣通姫伝説より―』、2014年『翼ある人びと―ブラームスとクララ・シューマン―』で高い評価を得る。2015年『星逢一夜』で宝塚大劇場デビュー。同作品で読売演劇大賞、優秀演出家賞を受賞。

上田久美子さん次回作品
宝塚歌劇 花組公演

宝塚舞踊詩
『雪華抄(せっかしょう)』
作・演出/原田 諒
トラジェディ・アラベスク
『金色(こんじき)の砂漠』
作・演出/上田 久美子
・宝塚大劇場  2016年11月11日(金)~ 12月13日(火)
・東京宝塚劇場 2017年1月~2月(予定)

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