マグリットの空と雲

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中尊寺・金色堂

2010-07-21 | Temple;Shrine/寺社
五月雨の 降りのこしてや 光堂

これは松尾芭蕉の有名な句。
そして、「光堂」とは、ここ中尊寺・金色堂のこと。
保護のために、鞘堂(覆堂)にすっぽり覆われているが、内部はさらにガラスケースの向こうに、総金箔を貼ったまばゆいばかりの黄金の仏堂がある。(※国宝で内部の撮影は不可)

金色堂は、1124年(天治元年)藤原氏初代清衡が自身の廟堂として建立したもので、現在でも、内部には藤原氏三代、清衡、基衡、秀衡の棺が安置されているらしい。

しかし、黄金の埋葬所とは、すごいものを作ったものだ。
約100年つづいたその栄華も、1189年、奥州藤原氏は頼朝により滅亡。
平安時代の浄土教建築で現存しているのはこの金色堂だけなのだそうだ。

奥州藤原家の滅亡後、中尊寺は頼朝の命により存続は約束されたもの、一時中尊寺も衰退。
金色堂もとても傷んでしまっていたが、『吾妻鏡』によれば、時は1213年(建保元年)、藤原秀衡公が、頼朝の妻・北条政子の夢枕にあらわれ、平泉寺院の修理を促し、金色堂も鞘堂に納められるようになったのだそうだ。




こうして、芭蕉が詣でた時代には、鞘堂に納められていた金色堂だがそれでも傷みが激しく、芭蕉はたいへん嘆いたのだそうだ。

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