今日は、小樽に所用があって出掛けてきました。
久しぶりの小樽ですが、もう何度も行っていますので、行き慣れた場所でもあります。
用事を済ませ、海の見えるホテルでのお食事も済ませての帰り、
主人が、「こっちへ行ってみよう…。」と、祝津方面にハンドルを切りました。
祝津という地名は、小樽への行き来の時に、それこそ何度も見ていましたが、
行ったのは、今日が初めてでした。
閉店の札がかかった民宿の前に車を止め、車を降りて振り返ると、
その先の丘の上には、鰊御殿がありました。
その大きな建物…が、鰊御殿だとわかるのは、なぜなのかしらと思いました。
丘を登って建物の前に立ったのですが、『入れるのかしら?』と思うほど人気がありません。
主人がそっとガラスの扉を開けますと、中から声が聞こえました。
『入れるんだわ…』
入館料を支払うと、男性が説明をしてくださいました。
私達は、昨年の8月に、北海道開拓の村に移築してある鰊御殿に行きました。
その時にも説明をしていただきましたし、前回の朝の連続ドラマの『まっさん』でも、
鰊御殿が登場しましたので、少しですが知っていることがありました。
今日の説明は、さらに詳しいこともわかりましたし、
鰊御殿によって違う部分があることも知ることができました。
鰊御殿の造りや鰊漁に使った道具、魚肥として作り上げていく工程の写真などを見ながら、
その時代を想像することができました。
鰊の魚肥が桑栽培に適した肥料として、全国的に需要が高まった結果、
小樽など、北海道の日本海側に、巨万の富が集まったということでした。
こんなにも興味深く思えることが、もう少し早い時期(小学生とか中学生の頃)にあれば、
もっと多くのことに関心をもち、学ぶことができたかもしれないと思うと、
気付くのがちょっと遅かったかしら…と、残念な気持ちになります。
でも、この年になった今、こうして連れて行ってもらえる幸せに、とても感謝しています。
今日は、どうもありがとう。
楽しい時間を、本当にありがとう…。
昭和33年、この海が見える丘の上に、鰊御殿が移築されました。
鰊御殿の全景を撮ることができませんでした。
こちらは、額に入っていた写真です。
右の赤い建物が、この鰊御殿です。
久しぶりの小樽ですが、もう何度も行っていますので、行き慣れた場所でもあります。
用事を済ませ、海の見えるホテルでのお食事も済ませての帰り、
主人が、「こっちへ行ってみよう…。」と、祝津方面にハンドルを切りました。
祝津という地名は、小樽への行き来の時に、それこそ何度も見ていましたが、
行ったのは、今日が初めてでした。
閉店の札がかかった民宿の前に車を止め、車を降りて振り返ると、
その先の丘の上には、鰊御殿がありました。
その大きな建物…が、鰊御殿だとわかるのは、なぜなのかしらと思いました。
丘を登って建物の前に立ったのですが、『入れるのかしら?』と思うほど人気がありません。
主人がそっとガラスの扉を開けますと、中から声が聞こえました。
『入れるんだわ…』
入館料を支払うと、男性が説明をしてくださいました。
私達は、昨年の8月に、北海道開拓の村に移築してある鰊御殿に行きました。
その時にも説明をしていただきましたし、前回の朝の連続ドラマの『まっさん』でも、
鰊御殿が登場しましたので、少しですが知っていることがありました。
今日の説明は、さらに詳しいこともわかりましたし、
鰊御殿によって違う部分があることも知ることができました。
鰊御殿の造りや鰊漁に使った道具、魚肥として作り上げていく工程の写真などを見ながら、
その時代を想像することができました。
鰊の魚肥が桑栽培に適した肥料として、全国的に需要が高まった結果、
小樽など、北海道の日本海側に、巨万の富が集まったということでした。
こんなにも興味深く思えることが、もう少し早い時期(小学生とか中学生の頃)にあれば、
もっと多くのことに関心をもち、学ぶことができたかもしれないと思うと、
気付くのがちょっと遅かったかしら…と、残念な気持ちになります。
でも、この年になった今、こうして連れて行ってもらえる幸せに、とても感謝しています。
今日は、どうもありがとう。
楽しい時間を、本当にありがとう…。
昭和33年、この海が見える丘の上に、鰊御殿が移築されました。
鰊御殿の全景を撮ることができませんでした。
こちらは、額に入っていた写真です。
右の赤い建物が、この鰊御殿です。
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