今日、爪切りをしました。
今でこそ、『爪切り』で簡単に爪を切る事ができますが、昔は大変でした。
小さい頃は、父親が私を膝に抱え込むように座って、爪を切ってくれました。
今のような爪切りはなく、しかも、今のような深爪防止がない鋏を使って切るのですが、
子供は爪が柔らかいので、深爪にならないように気遣ってくれたことを思い出します。
「痛かったら言うんだよ。」と言いながら、慎重に切っていることが、
私の背中に伝わってきました。
小学生になった頃には、「見てるから、自分で切ってごらん。」と言われ、
恐る恐る、切ったことが思い出されます。
当時の我が家には、子供の爪を切るにはちょうど良いサイズの小さな鋏がありましたが、
たぶん最初は、左手の爪だけを切り、右は父親に切ってもらったような気がしています。
最近、私は爪を切りながら、父親の爪に似てきたと思うことがあります。
それは、爪に縦じわが入るような年齢になったからかもしれません。
そういえば、母の爪にも縦じわが入っていました。
50代後半から身体の自由が徐々に利かなくなった母でしたので、
早いうちから爪を切ることもできなくなってしまいました。
そんな母の爪切りは、私の担当(?)でした。
その頃にはもう、『爪切り』がありました。
母と向かい合って座り、爪を切る間にいろいろな話をしました。
話すのは、主に私です。
言葉を発することも難しい母は、相槌を打つくらいでしたが、
それでも楽しい時間でした。
母が亡くなって、もう30年になります。
あの頃を、ちょっと懐かしい気持ちで思い出しています。
今でこそ、『爪切り』で簡単に爪を切る事ができますが、昔は大変でした。
小さい頃は、父親が私を膝に抱え込むように座って、爪を切ってくれました。
今のような爪切りはなく、しかも、今のような深爪防止がない鋏を使って切るのですが、
子供は爪が柔らかいので、深爪にならないように気遣ってくれたことを思い出します。
「痛かったら言うんだよ。」と言いながら、慎重に切っていることが、
私の背中に伝わってきました。
小学生になった頃には、「見てるから、自分で切ってごらん。」と言われ、
恐る恐る、切ったことが思い出されます。
当時の我が家には、子供の爪を切るにはちょうど良いサイズの小さな鋏がありましたが、
たぶん最初は、左手の爪だけを切り、右は父親に切ってもらったような気がしています。
最近、私は爪を切りながら、父親の爪に似てきたと思うことがあります。
それは、爪に縦じわが入るような年齢になったからかもしれません。
そういえば、母の爪にも縦じわが入っていました。
50代後半から身体の自由が徐々に利かなくなった母でしたので、
早いうちから爪を切ることもできなくなってしまいました。
そんな母の爪切りは、私の担当(?)でした。
その頃にはもう、『爪切り』がありました。
母と向かい合って座り、爪を切る間にいろいろな話をしました。
話すのは、主に私です。
言葉を発することも難しい母は、相槌を打つくらいでしたが、
それでも楽しい時間でした。
母が亡くなって、もう30年になります。
あの頃を、ちょっと懐かしい気持ちで思い出しています。