旧約聖書では「善悪を知る実」を食べたら楽園追放になったとしていますが、旧約聖書は全編通じて「善悪」を説いています。十戒も然り、トーラも然り、預言者の言葉も然り。
これは、大きな矛盾です。「善悪を知る実」をたらふく食わせるのが聖書で、神は大いに殺害するのに、善悪の分別を否定する最初の失楽園のくだりは一体全体何なのか。。
大日月地神示では、以前のブログ記事でも書きましたが、「善の悪」として「我は善、彼は悪」として人を責めることを戒めています。
また、神の目からは、善悪の区別はないともあります。
悪の子を善の子が「悪だ」と責めたら、この善の子も悪の子になったという謎かけのような内容も出てきます。
どうやら大日月地神示では、悪を糾弾するのは悪であるようです。
なお、善悪の区別がないと言っても、魔物の好き放題というのではありません。
魔物の企ては暴いて、他の星に移すとあります。ただ、魔物についてはお役目ご苦労と言っています。
魔物のしもべとして多くの人や生物、さらには地球を虐めた人間は、(罰ではなく)因果の法則で長期にわたって石ころになったり、他の星で苦しむということが書かれています。
神の目からは、
自由意思を認めた+陰陽の法則
→中庸からズレて悪を為す自由もあり、善もすれば悪もしてしまう
→因果の法則で帳尻合わせ
ということなのでしょう。
この点、「ガイアの法則」の千賀一生さんは「最後のムー大陸『日本』失われた楽園の正体とは?」という1998年発行の本で、
本来の日本人は一元論、それぞれの神々も善悪両方を内包しているのに対し、
一神教は善悪二元論になり、戦争は二元論から生まれると指摘しておられます。
正義の反対は悪ではなく、別の正義です。それが人類を窮地に追い込んでいます。
この著作は1998年と今から四半世紀前のものですが、
今、ウクライナ戦争で多くの人が、モヤモヤと不安を感じているのではないでしょうか。
その不安の正体は、善悪二元論の行き着く果てには破滅しか待っていないという漠然とした予想だろうと思います。現代、複数の国が核兵器を保有していますから。
核兵器を使用しない戦争ですら、多くの人命を奪い、負傷のみならず職場その他の様々な破壊によって生活を奪います。それだけでなく、大地を歪め、汚し、多くの生き物を苦しめもします。
霊長類の為すべきことではないです。
核戦争というのは、この戦争のマイナス面が拡大されるものであり、戦争の醜さ、ヤバさをより分かり易く拡大機で見せてくれているだけです。
縄文以来の平和の叡智を世界に発信し、誘導できるのは、つまり、文明を大転換できるのは、日本だと思います。日本には、そうした使命があると思います。
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