大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

旧真田山陸軍墓地の会津藩士

2008-01-19 | 掃苔
昨年の冬、大阪玉造の真田山にいった。
この真田山、大坂冬の陣で真田幸村が
大坂城の出曲輪「真田丸」を築いたところ。

この跡地に、日本で最初に作られた軍隊の埋葬地、
真田山陸軍墓地があり、西南戦争の兵士の墓碑や
各地の鎮台兵の墓碑がある。

裏側の真田山三光神社側から墓地へ入ったせいか、
整然と並んだ墓碑にハッと息を呑む、
暫くの間、動く事が出来なかった。

ここに、旧会津藩士 陸軍会計一等書記の赤塚鉄蔵の墓碑があった。
他の資料から1年掛かってやっと特定できた。ほかに、
磐城宇多出身 警視局四等巡査心得佐藤喜八
新撰旅 警視局四等巡査伍長心得三上清八
磐城大浦村大森 陸軍伍長亀田敏等福島県人の墓碑がある。

軍役夫・934基、兵卒・1260基、下士官・247基
下士官・154基、兵卒・707基、兵卒・1413基
将校・155基、野田村遺族会・169基、破損墓碑塚・260基以上、
満州事変戦病没将兵合葬碑、明治三十七八年戦没戦病死者、合葬碑があり、
また現在、納骨堂に4万3千余の遺骨が納められている。

この陸軍墓地は時代の変遷と共にその性格を変えて行ったが、
いまなお、戦前の陸軍墓地の景観が保全されている。

地元の「真田山陸軍墓地維持会」、
「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」の
努力と活動に負うところが大きい。

しかし、兵士の墓碑群の多くが砂岩で出来ており墓碑面の剥落が激しく、
いつ崩壊してもおかしくない。墓碑銘が判読不能になる前に、
なんとか保存の方法を考えて欲しいものだ!!
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