美津島明編集「直言の宴」

一〇代から六〇代までの良質な執筆者が集結しました。政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

歴史人口学者・エマニュエル=トッド、中国を語る (美津島明)

2015年10月07日 21時49分13秒 | 政治
歴史人口学者・エマニュエル=トッド、中国を語る (美津島明)



歴史人口学者・エマニュエル・トッドが、文芸春秋10月号に、「幻想の大国を恐れるな」という論考を寄稿しています。中国の経済力や軍事力を過大に評価し、恐れおののくことはあまり意味がないのでほどほどにしておけ、というのがその論旨です。

その詳細については、下に、文芸春秋の発行人・鈴木洋嗣による解説のyou tube をアップしていますので、ぜひお聴きください。10分ちょっとの、ごく短いものですから、ご負担はあまりかかりませんよ。

私からは、余人によっては容易に指摘されえない、歴史人口学者・エマニュエル・トッドならではの、ユニークで鋭利な視点をいくつか指摘するにとどめておきましょう(読みやすさを優先して、トッドの見解がまるで自分のそれであるかのような書き方をしますが、他意はございません)。

トッドが、中国の今後について非常に悲観的なのは、その特異な人口問題に着目するからです。

中国では目下、ものすごい勢いで少子高齢化が進んでいます。他方で、まだ国家全体が豊かになっていないので、年金をはじめとする社会保障制度の整備がままならない状態です。にもかかわらず、高齢化社会を迎えてしまった。これが近い将来、社会不安を増大させることは間違いないでしょう。急速な経済発展によって、伝統社会を破壊してしまったので、自生的な相互扶助のシステムはもはやあてにならない。他方で、それをカバーする近代的な社会保障制度は整っていない。とすると、働けない高齢者の群れをどうするかという問題が宙に浮いてしまうことになるわけです。これは、今後大変な不安要因となるでしょう。

それに加えて、中国では、男女の出生数に著しい差があります。国連の統計によれば、「女子の出生一〇〇:男子の出生一〇五か一〇六」であるのが世界の平均であるのに対して、中国では「女子の出生一〇〇:男子の出生一一七」です。男子一〇七を超えると不均衡とみなされますから、この数字がいかにいびつで極端な不均衡であるのかがお分かりいただけるでしょう。

これだけの男女の差が生じているのは、女子を妊娠したことがわかると選択的に堕胎を行なっているか、出生しても当局に申告していないか、のどちらかでしょう。

この事実は、中国が依然として前近代的な父権主義社会であることを指し示しています。そして、これだけの、いびつな男女数の差それ自体が将来のこの国の社会構造によくない影響をもたらすことが強く懸念されます(性をめぐる略奪や暴力、衝突が常態化する「男性過剰社会」が到来するとのシナリオを描く論者もいます)。

伝統的な中国社会の長所は、そのような強い父権の下における平等主義です。特に兄弟間の平等性が重視されてきました。中国で共産主義革命が起きたのも、社会に平等主義の信念があったから、とトッドは考えます。

2008年以来の驚異的な経済成長にともなって、不平等や貧富の格差がすさまじい勢いで拡がっています。ところが、社会には依然として平等主義の考え方が根強いため、潜在的な政治的不安定度が高まっていくことになります。不満が膨らむわけですね。

言い方を変えてみましょう。伝統的に平等主義が意識の根底にある中国人にとって、いま進みつつある格差の拡大は、他の国の人々が感じるよりも一層、受け入れがたいものになっているのです(ピケティによれば、大陸中国の格差の拡大の程度は、おそらく、アメリカよりもはなはだしいにちがいない、との由なので、そうだとすれば、なおさら不満が募ります)。そのようにして、人民の自然体の心持とマッチしない、格差拡大の現状が、社会全体に大きな緊張感をもたらしているのです。

そこで中国の指導者たちが採用したのが、ナショナリズムを高揚させるという古典的な解決法でした。日本人から見れば、いわゆる反日政策・反日教育ですね。日本という外敵に狙いを定めることによって、ナショナリズムで国内を引き締めようとする。これは非常に危険なことです。ここで注意していただきたいのは、トッド氏が感じているのは漠然とした危うさではない、ということです。中国が直面している歴史の現段階において、ナショナリズムを使わなければいけない状況に追い込まれていることが、とりわけ危険なのです。

というのも、トッドによれば、歴史的・文化的な観点から、中国はいま、1900年ごろのヨーロッパくらいの段階にあると考えられます。その時代の欧州との共通点は、たとえば教育水準です。中国の現在の高等教育への進学率は1900年ごろの欧州の数字とほぼ同じ。つまり、一定の教育を受けたけれども高等教育には進まない層が、マジョリティーを占めている。トッド氏によれば、この状態は、どこの国でもナショナリズムが激しく燃え上がる危険性を秘めているのです。実際に1900年ごろの欧州では、まさに人々がナショナリズムに没頭していきました。だから、いまの中国は危険なのです。

現時点で中国の今後に関して確定的なことは何も言えません。数えきれないほどのシナリオが考えられるからです。ただひとつ断言できるとすれば、最良のシナリオだけは想像ができないということです。最良のシナリオ、すなわち、中国が安定成長を持続し、国内消費が増え、権力は安定し、腐敗も減っていく、という素晴らしい未来だけは考えられないのです。したがって、中国の未来の姿は、この最良のシナリオを除外して、それに次いで良いシナリオとカタストロフィーのシナリオの間にある。逆に言えば、カタストロフィーも考えられるということです。

ですから私たちは、中国の危機的な現状に対して、今まで以上に関心を払う必要があるのです。

中国経済にまつわって、トッドは、自らの欧米社会に対して厳しい視線を向けます。それを説明しておきましょう。

中国が「帝国」と呼びうるかどうかに関して、トッドは、明確にノーと言います。経済面で、なにゆえ中国は、「帝国」と呼びえないのか。

中国の経済は確かに急成長を遂げてきました。しかし、それは自立的に達成したものではまったくありません。欧米日の資本家たちが中国にたくさん投資し、そしてまた中国からたくさん輸入する――このモデルを作って、中国の最高指導者たちに受け入れさせてきた。これこそが、中国の経済成長の実態です。

つまり、この経済的な繁栄は、中国の指導者たちが有益な決断を主体的に下した結果、得られたものではなく、経済的な力関係の中で、欧米日の資本主義諸国から押し付けられたものを受け入れたからこそ得られたものなのです。一見、中国の最高指導者たちは賢そうに見えますが、実はそう賢くもありません。彼らの進路を決めてきたのは、中国の膨大な人口を安価な労働力として「使ってきた」欧米日のグローバル企業なのです。

その意味で、いびつな中国経済を生んだのは、欧米日のグローバル企業なのです。だから、彼らには、中国経済の不安定な現状に対して多いに責任があるといえる。そう、トッドは考えます。

欧米側の問題点は、それだけではありません。

トッドが問題にするのは、八月に三日間連続で行われた人民元の切り下げについてです。彼は以前から、中国は輸出頼みの不安定な経済構造から脱却し、国内需要を中心とした安定的な経済構造に変わっていくべきだと繰り返し主張してきました(できるかどうかは別として、それはまっとうな主張です)。しかし、今回の元の切り下げを見る限り、通貨を安くすることで輸出品の価格を下げて経済成長を目指すという、従来の経済政策を続けようとしているのは明らかです。

ところが今回の人民元の切り下げに関してフランスやイギリスのメディアが報じたのは、本来伝えるべき「これは大変なことが始まった」という危機感ではなく、「人民元が国際的にまともな通貨となる表れだ」などといった好意的な評価でした。

ここに見られるのは、中国の現状を直視しないヨーロッパ人の典型的な姿です。客観的なデータや状況をつぶさに分析すれば、中国を必要以上に大きく見ることはできないはずです。では、彼らはなぜ、中国経済の現状を過大評価して、楽観論を繰り返すのでしょうか。それは、世界のネオリベラリズム(新自由主義)と関係があります。

つまり、長期的展望・長期的安定をないがしろにし、短期的に目の前のカネにありつくことを最優先する新自由主義の無責任さ・退廃がここにあらわれています。楽観論という無根拠なポジション・トークを世界にふりまいて、抜け駆け的にとりあえず儲けられるだけ儲けようとするわけです。そういうふるまいが、ノーブレス・オブリージュ(高貴であるがゆえの高度な責任の自覚)なき超エリートたちの共通なものになってしまったのです(この最終段落だけは、私見です)。

では、よろしかったら、お聴きください。

エマニュエル・トッド「 幻想の大国を恐れるな!中国は経済的にも軍事的にも帝国では無い」
『政治』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
« 見田宗介氏のひどい文章を見... | トップ | 中共は、歴史問題についてな... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

政治」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事