真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

6月28日

2010年06月28日 10時50分25秒 | Weblog
7,324位 / 1,430,345
昨日の歩数:2884歩
起床時間 :8時08分
血圧   :120    67
脈拍   :61
体温   :35.9℃
体重   :66.3kg
-----------------------  
東久留米の天気予報
0---3---6----9----12----15---18---21---0

テレビを見ながら体温と血圧を測る。妻は洗濯物を干している。こうイマジカに行くので雨が気になる。8時20分下に行き歯みがきと洗顔、体重を計る。新聞に目を通しながら朝食をする。8時38分妻でかけていく。50分部屋に戻りパソコンの電源を入れる。
メールのチエック等。アマゾンランキングページ、掲示板、友人のブログ、mixi友人等見る。体重表、ランキング表の記入。ドラえもん2ちゃんねるッチェック。路線で五反田名でのルートを調べる。
10時10分ブログ。
昨日のブログも書いている。10時50分そろそろ出かける準備をしよう。12時30分五反田駅で、蝶野さん清水さんと待ち合わせ予定。
11時自転車で東久留米駅まで行く。予定の電車を見過ごし、11時26分の新木場行きで練馬駅に行き、豊島園初各駅に乗り換えて池袋に着く。
12時丁度の山手線で五反田駅には26分に着いていた。改札口付近に蝶野さんがすでに待っていた。しばらくすると清水さんも見える。
 今日はお二人に無理なお願いをした。長男がイマジカの試写室へ雄島しているらしく、三階にある、その試写室に良く行くらしい話を聞いた。昔はカウンターがあり、昔の病院の待合室と同じような長椅子が置いてあり、待合室は狭かったなどという話をしたが、今はとても広くホテルのロビーのようになっている。オプチカル合成の聞かあいが展示してある。周りも高いビルが立ち並んでいる。そんな話を聞かされた。
 そこでどう変わったか見たくなったのは、生来のやじうめ根性。ただ行ったのでは、どこの馬の骨かわからないやつがきたと見せてはもらえないであろう。そこで無理を云って、蝶野さんを通じて、現役の清水さんに案内を乞うたのである。ど反田駅から歩いて川べりに出る。昔は溝川だったのが今は綺麗に変わっている。高いタワーのようなビルが立ち並び公園を抜けていくと、そこにイマジカの建物があった。
 玄関を入ると右にそのオプチカル同棲映写機は飾ってあった、すでに勤めを終えて今は安らかな眠りについている。当時はかなり高価なものであった。円谷英二先生がオリンピックのトリノ前あたりに突然欲しくなり、注文して仕舞い、てんやわんやしたエピソードが残っている。昭和42年頃、社長室勤務であった私は虫プロ商事で、その合成機を設置したいという話が持ち上がり、情報を得るため、当時方南通りに面してあった、円谷プロに、手塚先生の代理で訪ねて言っている。
 その撮影機が今は横たわって、眼の前にあるので在る。
虫プロ商事の江古田スタジオは13間通りを超えたその先三波春夫先生の邸宅方面にあった。材木屋か何かの倉庫あとでかなり天井が高かったことおを覚えている、1,2階吹き抜けより高かった。そこに鉄製階段の手摺を登って行くとカメラがあったと記憶しているが定かでない。イマジカのそれは普通に置いてあるだからカメラは横を向いているが、江古田スタジオでは撮影台が水平においてあるためカメラは天井の方にあった。つまり下を向いていたのであった。うる覚え高そんなふうにお覚えている。(その頃は日本に2台しかないと言われていたが、そうなると一台は円谷先生の事件のものとなるので、)まだ日本には数台しか無かった時代であった。
 すっかり変っていた、案内していただいた方々も親切で感謝している。
帰り3人でシャイゼリアに寄って遅い食事をしながら、迷惑な私の思い出話を聞かせる。
 お礼を云って五反田駅で別れ、池袋駅から西武線に乗り換える。
思わぬことで若返ってしまったか、バタバタしてしまった。16時48分の準急飯能行きのホームが違っていて乗れなかった。50分が小手指行各駅停車。これではかったるい。17時丁度が特急これは乗れない。17時3分発の5番ホーム準急小手指行に乗る。もちろんまだすいていて誰も座っていない状態で腰掛ける。庄内アナウンスが流れ3番ホームの急行飯能行きが所沢に先着します、お急ぎの方は3番ホームにお周り下さい。見るとまだ電車がホームに入っていない、なら座れるだろうと、階段を下って3番ホームに上がる、列に並ぶが此処で初めて後悔をする。座っていた電車内は冷房が効いていて暑さを感じなかったが、線路から吹き上がってくる、生暖かい風で、汗が吹き出すのである。しまったさっきのままだ良かった、と向こうの電車を見れば、先ほぼの場所もすでに人が立っている。これから行っても座れない。またアナウンスがあった。16時57分発豊島園行きは練馬駅に一番早く到着するという。練馬駅までの方はこちらをご利用下さい。両方のドおあが空いているので、こちらからも乗り移れる。まあいいかこれでのんびり座っていこうと乗り込んでしまう。目先の欲に迷ったのである。確かに練馬駅までは座れた。練馬駅で乗換のため降りた途端炎天下。やっときた準急は本来私が乗ろうとした電車、乗れないで空いているドアへ移動してやっと乗り込むという始末。石神井駅はぎゅうぎゅう詰め。そこからは各駅停車、反対側のドアが開くのでだんだん楽になる。ひばりヶ丘駅に到着、急行待ち。なんとこれも私が2度目にのお郎とした急行。これで来ても座ったまま来れて、此処で乗り換えればよかったのだ。
 その九項のドアが開かない、見いているとどうも手前で停まったらしく再度走りだして停る。私がこれに乗っていたら何かあったのかも知れない、と良い方に考えることにした。
 すると、また、心が暗くなることをして来る(誰が)乗った電車が走り出し近くの道路が見えると、雨でびしょ濡れである。停る前まで雨は降っていない。この駅を堺にして雨降りと変っていた。17時30分東久留米駅に降りる。妻の携帯に電話してみる。案の定出ない。次男の携帯に電話する。直ぐに出た。この雨いつから降りだしたと尋ねるとだいぶッ前から降っている、降ったり止んだりだよ。との事。やはり左が駅が雨の堺目であったのだ。
西北の空が明るい、もう少し待てば小ぶりになりそう。しばらく待って、小ぶりになったところで99円ショップに飛び込み、傘を買う。直ぐ指すからというと、ビニールと正札を取って渡してくれる。リックにすればよかったと肩掛けカバンの方から外れるのを何遍も直しながら不自由に市役所まで行き。前かごにブリーフケースとカバンを入れ。肩掛けカバンは肩掛けを短くして自転車のサドルに書ける。その上に傘をかざして自分は濡れてもそれらは濡れないように自転車に乗って18時家に帰る。
 良い子よ3つあれば悪いことも3つ有る。3面大黒天さんのご利益で良いことの方が損得勘定してはいけないだろうが、大きいよ。ありがたい事である。
IEを起動して「ツール」「インターネットオプション」「終了時に閲覧の履歴を削除」「削除」「インターネット一時ファイル」「履歴」「cookie」「フォームデーター」「InPrivateフィルダーデーター」「パスワード」の削除をした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする