ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

クリスティーヌ・ラガルドの美しさにあこがれる

2012-10-11 00:00:00 | 美女探求
東京でIMFと世界銀行の総会が開かれるので、IMF専務理事のフランス人女性クリスティーヌ・ラガルド(Christine Lagarde)に注目が集まっていますね。彼女については前にいちど記事を書いたことがあります。また、その記事でも紹介しましたように、彼女は十代のころはフランスのシンクロナイズドスイミングのナショナルチームに所属していました。昨日のテレビ朝日の朝の番組で、そのときの彼女の写真が紹介されていました。当時から細身で長身のとても美しい女性(15歳の写真といっていたから、少女時代ですね)でした。うーん、こういうすごい女性っていうか人っているんですね。でも彼女の子ども(息子だそうです)には同情します。お母さんがこんな優秀では、いろいろ苦労もたえないでしょう。

それはともかく、クリスティーヌ・ラガルドは美人で頭がよくって仕事もできて運動もできるというすごい人です。まさに私があこがれる女性です。読者の方もお気づきでしょうけど、私ってほっそりしている美女が好きなのです。というわけで、彼女の写真をまた紹介しちゃいましょう。









左は現在の彼女のパートナーですかね。















隣にいるのはドイツのメルケル首相です。それにしてもパンツのメルケルとの服装が対照的(笑)。それから案外ラガルドって脚太いのね。



いかがでしょうか。なかなかの美貌です。彼女については、私なりに今後も注目したいと思います。
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たいしたことがなくてよかった

2012-10-10 00:00:00 | Weblog
ネットで見かけた記事を。写真は引用した記事のページから。



>中国語も英語もダメな日本人男性、旅券と財布失くし駅で1カ月野宿、市民が3食差し入れ―福建省福州市
Record China 10月8日(月)10時0分配信

2012年10月6日、中国福建省の福州市で、パスポートと財布を失くした40代の日本人男性が1カ月近くの間、駅で寝泊まりしていたことが分かった。その間、近くの市民らが三食の世話などをして男性を助けていたという。7日付で海峡都市報が伝えた。

男性は3カ月前、兵庫県明石市から1人で中国に遊びに来ていた。上海、蘇州を回り、福州の福清市に住む日本人の友人の元に滞在していたが、友人が一時帰国してしまったため、1人で観光しようと列車に乗って福州駅までやって来た。ところが、福州駅に到着した途端、パスポートと財布がないことに気付く。だが、中国語も英語も話せないため、助けを求めることもできず、そのまま動けなくなった。

1カ月近くの間、駅で寝泊まりしていた男性を近所の人々が助けていた。毎日3度の食事のほか、防寒着なども提供されていたという。6日、市民の張(ジャン)さんが「この日本人男性を助けてほしい」と同紙に通報、同紙記者の日本語の分かる友人の助けを得て、ようやく事情が判明した。

男性は「福州の方々はとても親切で、たくさん食べ物などをいただいた。ここ数日、急に寒くなってきたので防寒着を持ってきてくれる人もいた」と話している。記者が早速、福州市出入境管理処に男性を連れて行き、帰国の手続きを行うという。(翻訳・編集/NN)


・・・(失笑)。

いや、笑っちゃいけないけどさ。でもやっぱりね、大変ですよね。

中国語と英語ができないというのもなんだけど、最悪の場合を想定して、自宅もしくはそれに準ずる連絡先とか、クレジットカード会社の連絡先とか、大使館、領事館の連絡先とか、そういったものはなかったんですかね? また、英語や中国語ができないのは仕方ないとして、会話集の類もなにもなかったのかな? 荷物は盗まれていないみたいですけどねえ。

でもここ最近の一連の中国とのトラブルのさなか、特に問題もなく助かったみたいで、それはよかったですね。たぶん中国の人たちも、かなりみるにみかねるものがあったのでしょう。下手なことにならないでよかった。

で、私の従弟も実はカナダで相当ひどい目にあったことがあります。にもその話は書きました。もう一度その話を書いてみましょう。

私の従弟が、カナダへ行きました。そうしたら入国審査の際、よほど怪しく思われたのでしょうか、帰りの航空券を予約するように命じられ(オープンの航空券を持っていたのかな? 詳細は不明)、帰りまでのすべてのホテルの予約をさせられました。従弟はたぶんろくすっぽ英語なんかできないはずですから、相当コミュニケーションには苦労したと思います。

で、その後、なにがどうしてそこまでひどいことになったのかわかりませんが、従弟は街でホールドアップをくらい、全財産かどうかはわかりませんが、金をあらかた盗まれてしまいました。でも撃たれないでよかった(笑)。従弟は、そんなにいろんなことを知っている男ではないから、最悪下手な抵抗をして撃たれるということも考えられないことではありません。

私が同じことになったら「これはだめだ」とすごすご帰国しますが、彼は、自分で語るところによると、大道芸(歌を歌ったとかのようですが)で小銭を稼いでなんとか生きながらえたそうです。いくらなんでもそれだけでは金が間に合わないと思うのですが、とりあえず金にものすごく困ったのは事実なのでしょう。なかなか根性のあるやつです。

実は彼は、私の親戚連中の間でも、厄介者というか、少々「困ったもんだ」と思われていた人間でした。「不良」とまでは言わずとも、非行歴もないわけでもなかったので、そして私の親戚にはそういった人間はほかにいないので、みんなからあまりいい顔をされていない人物だったのです。正直私もやや彼を嫌っているところがありました。大学も中退しちゃったし。

が、彼はなかなかバイタリティのある人間だなという気はしました。その後も、だいぶおちついてきたのでどうやら更正(というほどの問題がある人間でもありませんが)したようです。

中国でひどい目にあった日本人男性がどういう人なのか(仕事は? 家族構成は?)わかりませんが、次に旅行をされるときはもう少し慎重に旅行したほうがいいかも。そういえば、やはり外国(米国だったかな?)で迷子になってしまいひどい目にあった日本人の話も聞いたことがあります。やっぱり英語がぜんぜんだめで、道に迷ったかどうかしたみたいなのですが、でも英語がだめでも「ポリス!」とか「ヘルプ! ジャパニーズ!」ってわめくとか、何とかなるんじゃねーのとその話を聞いたとき考えたことがあります。いくらなんだって、ポリスという英語を知らないわけじゃないでしょう。

そういう機転のきく人じゃなかったのかもしれませんが、どうもね。私もいろんな国に行きましたし、その中には英語なんかからっきし通じない国もありますが、今のところ何とかなっています。でも、いつの日かけっこうマジでやばい目にあう日もあるかもしれません。その日が来ないことを祈って今日の記事を終えます。
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クロード・ピノトーが亡くなった

2012-10-09 00:00:00 | 映画


フランスの映画監督クロード・ピノトーが亡くなりました。朝日新聞の記事より。

>仏映画監督のクロード・ピノトーさん死去 クロード・ピノトーさん(仏映画監督)代理人が6日明らかにしたところでは、5日、パリ近郊ヌイイシュルセーヌで死去

パリ近郊ブーローニュビヤンクール生まれ。10代で小道具係として映画界に入り、助監督、脚本家などを経て72年に長編映画監督デビュー。ソフィー・マルソーのデビュー作「ラ・ブーム」(80年)、続編の「ラ・ブーム2」(82年)、「スチューデント」(88年)などを手掛けた。(時事)


もうひとつ。報知新聞より。これも通信社の記事です。

>「ラ・ブーム」のクロード・ピノトー監督死去

フランス公共ラジオによると5日、フランスの映画監督・クロード・ピノトー氏がパリ郊外で死去、87歳。死因は明らかにされていない。

 25年パリ郊外生まれ。80年にソフィー・マルソーを起用した「ラ・ブーム」が世界的にヒット。2年後に「ラ・ブーム2」を製作した。父が映画助監督、兄も監督という映画一家。小道具係として映画界入りし、ジャン・コクトー、クロード・ルルーシュといった監督の下で助監督を務めた。(パリ共同)





日本では、クロード・ピノトーっておそらく「ソフィー・マルソーの映画を監督した人」というイメージしかないと思います。ていいますか、私もそれしかありません。私が昨日allcinemaに書いた記事を。

>お亡くなりになったことを今日知りました
投稿者:Bill McCreary 投稿日:2012-10-08 10:06:01
本日(2012年10月8日)の朝日新聞で知りました。日本ではたぶんほとんどソフィー・マルソーの映画の監督(「ラ・ブーム」「ラ・ブーム2」「スチューデント」)としてでしか知られていないでしょうし、私も知りませんが、でもほかにも日本公開作品もありますね。キューリー夫人の映画は見てみたい気がします。

といいつつ私も、ソフィー3部作(って私の造語だけど)もむかし見たっきりみていないんだよなあ。「ラ・ブーム」は日本でもフランス語学習テキストが発売されていた(いまは不明)くらいで私ももっているから勉強するつもり。

ソフィー・マルソーのおかげで日本の新聞にも死亡記事が載るくらいの監督になったと書いたら問題ですが、でもそんなにひどい的外れでもないと思います。監督デビューも40代半ば過ぎで、もっぱら助監督を務めていた苦労人でした。ご冥福をお祈りします。


記事中に出てくる「キューリー夫人の映画」というのは「キュリー夫妻 その愛と情熱」のことです。むろん大傑作というわけではないかもしれませんが、彼を追悼するという意味で見てもいいかも。

ところで引用した記事に出てくる「ブーローニュビヤンクール」というのは、実は私が好きなアニセー・アルヴィナの出身地です。ほかにも映画関係者ではベルトラン・ブリエもここの出身です。日本語のwikipediaにも「ブローニュ=ビヤンクール出身の人物」というカテゴリがありますので、興味のある方はご覧になってください。



ソフィー・マルソーは「ラ・ブーム」のオーディションで700人の中から抜てきされてスターになったわけで、ピノトーは彼女にとって恩師にあたるわけですね。「ラ・ブーム」シリーズ以外では「スチューデント」以外つきあいがありませんでしたが、しかしピノトーは「ラ・ブーム」を監督したときすでに50代後半だったわけです。青春映画をある程度の年齢で監督してヒットさせて、抜てきした女の子は世界的な女優になった、そう考えると、彼はなかなかの有能な監督だったということなのでしょう。



「ラ・ブーム」のソフトは持っていませんが、しばらくぶりに見てみようかな思います。フランス語の勉強にもなるし。クロード・ピノトー監督のご冥福をお祈りしてこの記事を終えます。最後の写真は、2011年のカンヌ映画祭にて。
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飽きもせずミャンマー紀行(2012年夏)(2)

2012-10-08 00:00:00 | 旅(ミャンマー)



トランジットのエリアに移ります。私が乗るのは、昨年のったのと同じ便なのですが、ゲートは変わりました。





なお、トランジットに入る際、靴を脱いで、カプセルみたいなものに入り足を軽く開いて両手をあげるというポーズをさせられました。なかなか厳重なセキュリティです。







べつに腹は減っていませんが、こちらのレストランで食事します。









バンコクの雨


ヤンゴン行きの便を待ちます。客が多いことと、白人が多いことが印象に残りました。昨年は客は少なく、白人は見かけませんでした。外はすごい雨です。雨季であることを感じます。





機内食です。







ヤンゴンに着きました。近代的な空港です。



イミグレの列に並びます。私の前にフランス人の夫婦が並んでいたので、ちょっとフランス語で会話しました。しかしアルベール・カミュの「カミュ」という発音がうまくいきませんでした。やはりもうすこしフランス語を勉強しなければ。







待合室にロンジー(ミャンマーの民族衣装)姿のミャンマー女性がいます。ところで「WASABI」って日本料理店なんですかね。

タクシー乗り場でタクシーを予約します。10ドルという価格は去年と変わりません。





ホテルに着きます。昨年と同じパノラマホテルです。

今回は日本で予約しておきました。価格は昨年よりだいぶ上がっています。景気がよく、ホテルも強気な価格設定です。

で、昨年の滞在で世話になったボーイの人がいたので、とうぜん私のことなど覚えてはいないだろうなと思いながら挨拶したら、私のことを覚えているとのこと。容貌魁偉だからかな。でもうれしくなってしまう私。



ミャンマーの国営英語新聞です。上から2番目の左の写真に、アウンサンスーチーが見えます。私が到着した前日が、彼女の父であるアウンサン将軍が殺害された日です。







ホテルは、今回はすこし高級な部屋にしました。いちおう2間です。シャワーを浴びたりします。

街を散策します。雨季だから外は雨です。





















ほとばしる水(ヤンゴン)










トレーダーズホテルのコーヒーショップで一休みして、マッサージ屋に行きます。昨年とまったく同じだなあ。


















食事をします。昨年も同じレストランで最初の食事を取りました。



ミャンマーで第二の人生を歩む車です。



ホテルにもどって寝てしまいました。今日はこれでおしまい。

(つづく)

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飽きもせずミャンマー紀行(2012年夏)(1)

2012-10-07 00:00:00 | 旅(ミャンマー)

昨日も記事に書きましたように、よせばいいものをまたミャンマーに行ってきました。2年続けてで7月20日~23日です。前回は実にえんえんと記事を書きましたが、今回は同じヤンゴンだけの旅なので簡潔にすませます。



羽田空港です。実は、自動チェックインで搭乗券を受け取りましたが、出国して待機エリアで待っていたら、放送で私の名前が呼ばれました。なんだと思っていってみると、係員が私に言いました。

係員「McCreary様、ミャンマーのビザは大丈夫でいらっしゃいますか?」

McCreary「(なんだ、それか)はい、もちろんぜんぜん大丈夫ですよ」

係員にミャンマーのビザを示しました。係員は入念にチェックしました。

McCreary「やはり、ビザが必要なところへの渡航は、自動じゃなくて有人のカウンターがいいわけですかね?」

係員「はい、渡航できない場合がございますので」

実は私も、自動チェックインで大丈夫かなあという考えがすこし頭をよぎったわけです。前回のミャンマー紀行では、タイ国際航空の係員の女性がかなり入念にビザをチェックしたので。

というわけで、こんなこといまさら書くまでもないっていう気もしますが、ビザを必要とする国への渡航の際は、有人カウンターでのチェックインが望ましいということですね。次回から気をつけます。



話はもどります。夕飯を食べていないので、カツを食べました。もうラストオーダーの時間です。ウェイトレスはアジア系の外国人でしたが日本語も英語も達者でした。となりに中国系(?たぶん本土の人間ではない)の男性がいたので、彼女はとても英語が達者だとかつまらんことを言ったら、彼は私に尋ねました。

男性「あなたは日本人?」

私「そうだよ」

男性「とても英語がお上手だ」

この男性の英語力にはもちろん遠く及びませんが、そんなことを言われたのは人生2回目です。最初は、自転車屋の場所を聞いてきた白人男性がいたので、説明してあげたら英語がエキセレントだといわれて握手をもとめられました。そこまで言われるのは、人生たぶんもう2度とないな。



出国手続きをして、また空港の待合室で寝転がります。ちょうどサッカーの女子、日本とフランスの試合が行われようとしていました。



飛行機に乗ります。機内食はタイ国際航空と比べて簡素でした。映画を見ます。「明日に向って撃て! 」です。この映画も何回見たか分かりませんが、すきな映画です。

それはそうと、見ることのできる映画の中には、ヌードのシーンのある映画もあります。むろん注釈はありますが、シートのモニターで見るシステムなら機内上映サービスの映画の鑑賞もそういう時代なわけですね。

バンコクに着きます。

(つづく)

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飽きもせずミャンマーに行ってきた

2012-10-06 00:00:00 | 旅(ミャンマー)

だいぶ前の話ですが、飽きもせずミャンマーに行ってきました。今回もヤンゴンへです。7月20日から23日まで行ってきました。よって、そのときはあらかじめ記事を書いておきました。

なぜミャンマーに行ったかというと、将来この国に移住しようかと考えているからです。

移住といっても、日本での仕事をやめて、かの地で一旗あげる…なんてことを考えているわけではもちろんなく、定年退職後、あんまり退職金も年金も当てにならないので、当地の安宿にとまりながら暮らしていけば安上がりに生きていけるかなと考えているわけです。

そうなるとこのブログも題名が変わり、「ヤンゴンの夏」にでもなるのでしょうか。人生の最後の段階でライプツィヒに住む予定ですから、別にタイトルを変えることはないか。

もっとも私が移住するころは、すっかり物価も上がりあまり住みやすくはないのかもしれません。このあたりは分かりませんが。

前回は、実に延々と記事を書きましたが、今回はそんなに長くしないでやめます。ただまた面白い写真が撮れましたので、大量に掲載したいと思います。

というわけでミャンマー紀行をお楽しみに。

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ブルック・シールズの美しい写真(5)『青い珊瑚礁』(その2)

2012-10-05 00:00:00 | ブルック・シールズ
最近このブログは、ブルック・シールズ関係のアクセスがわりと良く、そして『青い珊瑚礁』を特集した記事がよく閲覧されています。記事にも書きましたように、『青い珊瑚礁』でのブルックが、少なくとも日本人にとっては最高の彼女だったのかなという気がします。個人的には彼女の乳首が見えるショットが掲載されている記事のほうを読んでほしいんですけど(笑)、残念ながら世の中なかなかそうはいきません。

というわけで、この映画での彼女の写真を再度特集しましょう。彼女の写真はいろんなサイトにたくさんアップされていますから、素材にはことかきません。なお、あからさまなヌードはありませんが、きわどい写真はあるので嫌いな方は見ないでください。

































いかがでしょうか。やはりこのころの彼女がいちばんよかったかな。でもそれなりに年齢を重ねてからは演技力の欠如があらわになったし、また時代も彼女のような古典的美女が活躍する場に乏しかったと思います。ろくな役がまわってこなかったし、同世代のジョディ・フォスターダイアン・レインほどの役者根性も彼女にはありませんでした。役者としての資質にいくぶん欠けていたのでしょう。

また気が向いたら彼女の特集をしますので、乞うご期待。
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今日でグレン・グールドが亡くなって30年目

2012-10-04 00:00:00 | 音楽関係(CD、コンサート、歌手その他)
前に記事で紹介したカナダ人ピアニストのグレン・グールドが50歳で亡くなったのは、1982年の今日です。この偉大なピアニストを追悼するため、写真と彼の演奏の動画をご紹介します。





















Glenn Gould plays J.S.Bach Piano Concerto No.7 in G minor BW


Glenn Gould: Bach Goldberg Variations 1981 Studio Video (complete)


よろしければ、皆さまもグレン・グールドの演奏を聴いてみてください。そして心を洗ってください。
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1960年代終わりのソ連(当時)の女性は、ほとんどみんなスカートをはいていた

2012-10-03 00:00:00 | 映画
以前、1980年代に撮影されたとおもわれる私の母(「いいじゃなーい!! 自分のことを名前でよぶくらい!!!」と言って、私をひどく失望させた人。母自身は自分をいつも「私」と呼んでいるけどね)の写真を見たら、母がスカートをはいていました。母のスカート姿なんてこの数年来見た覚えがないので、ああ、母も昔はスカートをはいていたんだなあと思いました。最近は以前とくらべてパンツ姿の女性を多く見かけます。日本の女性はもうパンツのほうが主流でしょう。

で、前の記事でもちょっとふれたように、映画「ひまわり」に出てくる女性は、イタリアの女性もソ連(当時)の女性もみんなスカートです。当時(1969年製作。時代設定はそれより前ですが)は女性はスカートをはくものだという観念がかなり強かった時代だったのだと思われます。正直、パンツの女性、あの映画にいたっけと思います。しいて言えば、マルチェロ・マストロヤンニの娘のパジャマ姿(笑)がそうか。でもこの女の子も普通の服装のときはいつもスカートです。

最近この映画を再見してあらためてその徹底的なスカート姿ばかりの有様にちょっと感銘(?)を受けたので、何枚かその様子をご紹介したいと思います。以下、その例。イタリアのシーンは省略します。なお、ブラウンの服を着ている女性はソフィア・ローレンです。





























ね、私の言うとおりみんなスカート姿でしょう。街をゆく人から郊外に住んでいる人、子どもからお年寄りにいたるまでみんなスカートです。個人的な意見を書くと、ここまでスカートばっかだとなかなか壮観(笑)。

ところで子どものミニスカートぶりがすごいね。日本の70年代あたりの日活児童映画を見ても、かなり短いミニの女の子がいますね。いまは時代が違うから、こんな女の子はあんまり見かけません。

どうでもいいですが、ロシアの子どもってかわいいね。私はロリータコンプレックスじゃありませんが、でもやはりかわいいですね。



この女の子のパジャマ姿が唯一のパンツかも。パジャマじゃね(笑)。

ロシアも、いまは女性の多くはパンツでしょう。それにしても女性のワンピース姿がめだつっていうのもなんか懐かしいですね(って、ぼくの年が分かっちゃうか)。昔の東欧というのかソ連の女性って、やたらぶかっとしたワンピースを着ているっていう印象がありまして、これを見る限りではあながち勘違いでもなさそうです。

日活児童映画については、また記事を発表します。それにしても、映画やドラマ、記録映像資料を確認して当時の女性のスカート姿の割合みたいなものを研究しても面白そうです。おれも暇だねー、こんなことしらべて。

前にも記事にしましたとおり、私は女性のパンツ姿が嫌いな人間ではありませんので、いまの日本女性にもっとスカートをはいてほしいとも思いませんが、でもスカート姿の好きな人にとっては、他の国々は知りませんが当時のソ連て天国だったかもね。そんなにきわどい服装は見かけないけど。個人的には、あの種の野暮ったい服は嫌いではありません。ソ連はともかく60年代おわりから70年代はじめってミニスカートが多かった時代でもあるしね。キム・ダービーの「いちご白書」でのミニスカートとか。



ところで今日は、一人称が「私」「ぼく」「おれ」と3種類も出てしまいました。ついでながら、私は日常会話では、「私」8割、「ぼく」1割5分、「おれ」5分くらいで使用します。

というわけで、女性のスカートの話はこれからもちょいちょい記事にするつもり。乞うご期待。
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松田瑛子のインタビュー記事を採録したい

2012-10-02 00:00:00 | 映画


前にこのブログで紹介した『聖母観音大菩薩』をDVDで入手してみることができました。

前々から見てみたい映画だったのですが、なかなかそれが困難だったのです。しかしようやく見ることができました。

監督の若松孝二は『愛のコリーダ』の製作(製作実務)を担当しまして、実は私、彼と握手したことがあります(笑)。思えば私も、ずいぶんいろんな人と(ジェーン・バーキンとか栗山千明川原亜矢子など)握手したな。

で、この映画の主演が、上の『愛のコリーダ』の主演女優だった松田瑛子(英子)なんです。つまりこの映画は、たぶんに『愛のコリーダ』を意識した映画だと思われます。

彼女のこの映画について感じる思いとはどのようなものかとか、いろいろ興味を感じるものがあります。そして同時に、このブログで最近とてもお客さんが多い記事が、『愛のコリーダ』にかかわる藤竜也のインタビュー記事です。インタビュー採録ですが、もう廃刊になった雑誌(『アサヒグラフ』)掲載の記事ですし、たぶん誰かが採録しなければ埋もれてしまいかねなかったので、読者の皆さまが読んで楽しんでいただければとてもうれしく思います。

さて、藤竜也のインタビューを記事にするとなれば、次は阿部定を演じた松田瑛子(英子)のインタビューを採録したいところなのですが、あいにくまだ彼女のインタビュー記事について調査していません。

そもそも彼女がインタビューを受けたのかどうかすら分からないし、調査が行き届いていないのですが、もし彼女の肉声を採録できたらこれは面白そうですねえ。私も楽しいし、「ライプツィヒの夏」の読者もますます増えるというものです。しかし、そんなのあるのかなあ。

とりあえず1976年ごろの映画雑誌を当たってみるとかが必要でしょうし、ともかく彼女についていろいろ調べたいところですが、どんなもんですかね。

個人的に私が『愛のコリーダ』で一番エッチに感じたシーンは、吉蔵と定が結婚式の真似事をするシーンで2人が始めてしまい、それで松田瑛子の表情が徐々に変わっていくところです。これを見て、なるほど、うそではこれは出ないなと思いました。彼女の表情が次第に悦楽のそれに変わっていくところがたまらなくエッチだと思いました。

彼女からすれば決して楽しい想い出ではないかもしれませんが、でも私には忘れられないシーンです。

彼女の近影も、拙ブログで紹介したものくらいしか私は知らないし(この写真がなぜ中国語のブログに出ていたのかよく分からないのですが)、いまひとつ彼女の消息も明らかでないのですが、彼女の肉声をご紹介できれば幸いです。
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