ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

ミャンマーの旅 2011年 夏 (14)

2011-09-25 05:31:12 | 旅(ミャンマー)



この街ではふつうに子どもたちがこのように路上で遊んでいます。





だいぶ建物がいたんでいますね…。



日本では、このようなものを担ぐ姿ってのはまず見かけませんよねえ、でもヤンゴンではそこらじゅうで見かけました。





屋根を見ると、けっこうアンテナがありました。







尼僧が托鉢をしています。思わず私「おお!」です。



これはアパートなのでしょう。家賃はいくらくらいなのかな。

(つづく)

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ミスユニバース 2011 出場者をご紹介(6)(これでおしまい)

2011-09-24 00:00:50 | 美女探求
















米国代表のアリッサ・カンパネラです。この写真は再掲です。











最後はシンガポール代表の方です。

これはAFPの写真をそのまま載せたものなので、優勝した方が紹介されていませんね。彼女の写真は、後日また紹介するかも。

それでは来年のミスユニバースまでさようなら。
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いったいぜんたい何をどうすればいいのか

2011-09-24 00:00:11 | 社会時評
たぶん記事をお読みなった方が多いと思いますけど、いくつか引用してみます。はじめはこちらから。

><16歳少女>実母に勧められ「覚醒剤と売春」
毎日新聞 9月20日(火)20時40分配信

覚せい剤取締法違反(使用)容疑で8月に北海道警に逮捕された札幌市内の無職少女(16)が、調べに対し「母親に勧められて覚醒剤を打った。母には『売春で金を稼いでこい』と言われ小学6年から売春をしている」と供述していることが20日、捜査関係者への取材で分かった。売春で得た金は全て母親に渡し、母親の覚醒剤購入に充てられることもあったという。

 捜査関係者によると、少女は数年前から40代前半の実母と再婚相手の養父(35)=覚せい剤取締法違反(使用)で起訴=らと生活。養父の捜査の過程で、少女の使用容疑が発覚した。母親は覚醒剤使用で逮捕歴がある。

 少女の道警への説明によると、少女は小学6年から母親に言われて1回1万円程度で売春し、全額を母親に渡していた。母親は働いていなかった。少女は中学にもほとんど通わず、中学1年から2度中絶しているという。

 母親の服役中は児童自立支援施設で過ごしたが、出所後は母親の求めで再び同居した。最近になって体調を崩し、母親に「薬をやったらすっきりする」と言われて6月ごろから覚醒剤を打ち始めた。養父の注射でこれまで約10回使用したと供述している。

 道警は20日、この少女にいかがわしい行為をしたとして札幌市豊平区の男(36)を道青少年健全育成条例違反容疑で逮捕した。この男は覚醒剤の密売人とみられ、実母の指示で覚醒剤を購入するため接触していたという。

 少女は少年鑑別所で調査を受け、間もなく少年審判が開かれる見通し。母親は養父の家庭内暴力を受けて事件前から別居している。少女から母親への恨みや怒りの言葉は無いという。【伊藤直孝、小川祐希】

(引用ここまで)

もうひとつ

>母にすすめられ覚醒剤、命じられ売春の16歳
読売新聞 9月20日(火)14時34分配信

先月中旬、札幌市の無職少女(16)が、札幌西署に覚醒剤取締法違反(使用)の疑いで逮捕された。

 少女は、小学6年の頃から実母に命じられて売春をし、そのほとんどを実母に渡していた。覚醒剤も実母に勧められて始めた。道警捜査員は「あまりにひどい家庭環境」と虐待ともいえる生活実態に言葉を失う。

 同署は20日午前、少女にわいせつ行為をしたとして、暴力団関係者の男(36)を道青少年健全育成条例違反容疑で逮捕した。

 少女が逮捕されたのは8月中旬。札幌市内の自宅アパートにいたところを任意同行を求められ、尿検査で覚醒剤成分が検出された。実母の再婚相手に注射されたという。

 捜査員にした少女の説明では、両親は幼い頃に離婚し、実母と生活していた。きょうだいは何人かいるが、父親が誰なのか説明できないほど複雑。実母は覚醒剤の乱用者で逮捕もされている。

 少女は、実母に命じられ小学6年の時に初めて売春をした。自分で出会い系サイトにアクセスして相手を探し、もらった約1万円は実母に渡した。実母からは「覚醒剤が欲しいので、やってきて」と命令されることもあったという。

 実母が覚醒剤使用で逮捕された数年前、少女は児童相談所に保護された。しかし、実母が出所すると再び同居を始め、中学にはほとんど通わず、実母や暴力団関係者とのつながりの中での生活が続いた。

 少女は、中学1年から2度の中絶を経験。肩や胸には母親と再婚相手に入れられたアルファベットのタトゥーが痛々しく残る。少女に、これまで逮捕歴はなく、こうした生活実態は、取り調べの中で判明した。

 少女が覚醒剤を始めたのは今年5月から。実母に勧められ、逆らえなかったからだという。20日に逮捕された男は、覚醒剤の売人とみられている。

 捜査員によると、少女は「家賃は大丈夫かな」と、住んでいるアパートの家賃の支払いを大人のように心配することがある。最近は「専門学校に行って仕事をしたい」と将来について話すようになったという。

 少女は先月末、家裁に送致された。今月下旬にも少年審判が開かれる。 最終更新:9月20日(火)14時45分

(引用ここまで)

上の記事の続き

>覚醒剤・売春強要、少女保護の児相は虐待見逃す
読売新聞 9月21日(水)11時51分配信

 覚醒剤取締法違反容疑で逮捕された札幌市の無職少女(16)が、実母から売春や覚醒剤の使用を強要されていた事件で、児童相談所が3年前に少女を保護しながら、虐待を把握できていなかったことが20日、わかった。

 少女は実母に言われて小学6年の時から売春を始め、中学校にほとんど通っていないが、虐待と認識していなかった。深刻な家庭環境の中で続いていた虐待は見逃されており、教育委員会や学校側の対応にも課題を投げかけている。

 北海道警によると、40歳代の実母は覚醒剤の乱用者。少女は小学6年の時から、実母が使用する覚醒剤の費用を稼ぐため、売春を強要されていた。3年前に実母が覚醒剤使用で逮捕され、少女は1年以上、児童自立支援施設で暮らした。その後、実母、少女とも同居を望んだことから再び一緒に住み始めたとみられる。児相の職員は「性的虐待を把握していれば、同居はさせなかったはず」と話しており、当時、少女の売春は把握していなかった。

 今年5月に実母から「気分が悪いときに使うとすっきりする」と勧められ覚醒剤を始めた。児童自立支援施設では、薬物乱用防止教室もあり、少女は「覚醒剤の恐ろしさを学んだつもりだったが、母の勧めに逆らえなかった」と話しているという。

 少女は母親の再婚相手に覚醒剤を注射されたり、少女にわいせつ行為をしたとして20日に道青少年健全育成条例違反容疑で逮捕された元暴力団員山本憲彦容疑者(36)の元へ、覚醒剤を買いに行かされたりしていたという。中学校にはほとんど通わず、高校には進学していない。少女は先月末、家裁に送致され、今月下旬にも少年審判が開かれる。 最終更新:9月21日(水)11時51分


(引用ここまで)

いかがでしょうか。引用が長すぎたかもしれませんが、可能な限り情報を共有していただきたいと思いまして3つの記事を全文引用しました。

これ、しかし、なんとも論評できませんよねえ…。

記事が事実であれば、少女は中学も満足に通えず、2度も中絶し、

>きょうだいは何人かいるが、父親が誰なのか説明できないほど複雑。

>実母からは「覚醒剤が欲しいので、やってきて」と命令されることもあったという。

>肩や胸には母親と再婚相手に入れられたアルファベットのタトゥーが痛々しく残る。

彼女は被害者ですが、今後の人生はいったいどうなるのでしょうか。母親とはこれで縁を切ることになるとすると、たぶん身寄りはないか当てにならないかのどちらでしょう。

>専門学校に行って仕事をしたい

とのことですが、その道のりもきわめて厳しいでしょうね。

小学校6年生から売春を強要されたということですが、買った奴も人間のクズですが、それにしてもねえ…。どうしてここまでひどい目にあわなければいけないのか。

私の勝手な想像では、たぶん彼女の母親は、精神障害があるのだと思います(知的障害もあるかも)。おそらく自分のやっていることがよくわかっていないんでしょう。あるいはわかっていても、事態の重大さを把握していないのかも。

それにしてもですよ、児童相談所もねえ、

>児相の職員は「性的虐待を把握していれば、同居はさせなかったはず」と話しており、当時、少女の売春は把握していなかった。

とのことで、それは確かにそうなのでしょうが、個人的な意見を言わせていただくと、

覚せい剤使用で逮捕された母親を未成年の娘と同居させちゃまずいんじゃない!? 

日本の児童相談所というか行政が、このような場合に母子の同居を特に問題視していないのかどうか知りませんが、子供に売春を強要するとまではいわずとも、覚せい剤使用で刑務所暮らしした(実刑ではなかったようなので、「逮捕された」、に訂正します)母親にまともな子育てができるとは思えませんね。ていうか、日々の食事といった基本的なことすら難しいかもしれない。この少女が

>家賃は大丈夫かな

と言っていたというのも、たぶん母親なり養父なりにそんなことばかり言われていたということでしょう。で、覚せい剤を使用しているということは、家賃や食費その他の基本的な部分も覚せい剤につぎ込んでいたのでしょうから、ほんと家賃や食事にも事欠いていたのかも。

この少女の将来は、いったいどうなるのでしょうか…。この少女自身、精神の状態は大丈夫でしょうか。中学も満足に出ていないのでは、仕事を見つけるのも難しいかもしれません。専門学校に行きたいとしても学費の工面も大変でしょう。そして成人してから彼女はどうやって生計を立てて行くのでしょうか。考えれば考えるほど絶望的になりますね。私のような赤の他人は何もしてあげられないから、周囲の人と行政でなんとか支えてあげるしかありません。しかし何をどうすれば彼女にとって最善なのか…。

そして家庭裁判所は、

>母から覚醒剤など強要の少女、中等少年院送致に
読売新聞 9月22日(木)13時52分配信

 覚醒剤取締法違反容疑で逮捕された札幌市の無職少女(16)が、実母から売春や覚醒剤の使用を強要されていた事件で、同法違反の非行事実で家裁送致された少女の少年審判が22日、札幌家裁であり、池田好英裁判官は、中等少年院送致の保護処分を決定した。

 少女は8月中旬、同市内の自宅で覚醒剤を使用したなどとして、道警が同法違反容疑で逮捕した。道警幹部によると、少女は小学6年の時から、実母の覚醒剤購入費をかせぐため、売春を強要され、今年6月に実母にすすめられて覚醒剤使用を始めたという。

との決定を下しました

>少女は少年院で更生するための教育を受けることになった。

ということです

この少女が幸せな人生を送ることを願って今日の記事を終えます。
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更新が難しくなるかもしれません

2011-09-23 15:05:04 | Weblog
すいません、いろいろありまして更新が難しくなるかもしれません。そうなった場合はまた皆様にお知らせします。
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なんてこともないが、ジャッキー・リンという人のことを突然思い出したので記事を書いてみた

2011-09-23 13:26:28 | 音楽関係(CD、コンサート、歌手、楽器その他)

1987年に、ジャッキー・リン&パラビオンなるバンドが登場し、そのデビュー曲の「Stranger's Dream」はなかなかのヒットを飛ばしたのですが(ドラマ「ジャングル」のエンディングテーマでした)、彼女が日本の芸能界に嫌気がさしたらしく香港に帰ってしまい、そのまま解散したということがありました。



いまでも彼女のことを覚えているのは私並みのそうとうな物好きのみでしょうが、ちょっと彼女の情報を集めてみました。すると、中国語のサイトにいくつか貴重な情報がありました。彼女の中国名は、林河廷であることを知りました。



こちらの記事より。

>林河廷,
中韩混血儿。少女时代于瑞士读书。18岁时放暑假回港度假,适逢无线电视举办健美小姐竞选,林河廷报名参加,入选30名后凭着其精致可人的面孔,立即被传媒追捧成顶头大热,顿变风头人物。林河廷首先于准决赛中先拔头筹,夺得性格小姐,而最后更在总决赛上荣膺亚军(注:冠军-马清仪、季军-刘美娟、殿军-何美婷、第5名-黄景珍)。可是当司仪宣布结果的时候,林河廷却流露不悦之色,似对结果很不满意。果然在比赛翌日,林河廷举行记者招待会,公开斥责大会偏袒马清仪,并即时宣布放弃亚军名衔。林在记者会上泪如雨下,表示会立即返回瑞士继续升学。谁知一年不到林河廷就现身香港接拍电影『歌者恋歌』,此举令观众觉得她其实矢志进入娱乐圈,放弃荣衔只是为做新闻而已。『歌者恋歌』后林河廷便销声匿迹,原来她悄悄地转战东瀛。87年4月30 日林河廷以英文名『ジャッキー‧リン』(Jackie Lin)推出首张细碟『Strangers Dream』。虽然这张细碟在无声无息下推出,但由于是电视剧集ending song关系,一上榜即占细碟榜第10位(最高第9位),销量累积超过10万张。细碟推出后日本艺能界对她的报导亦不多,后来更销声匿迹,不知去向。

私は中国語はぜんぜんだめですが、(ついこの間まで、中国人の友人もたくさんいたんですけどね)むりやり翻訳サイトで訳してみると・・・

>韓国のハイブリッド。スイスの女子校。 18歳Jianmeixiaojieキャンペーンを開催香港の休日、夏の休日は、30がその繊細な、感じの良い顔で、選択した、とすぐにホットヘッドにメディアで引っ張りだこの後に入学するためにTVB、林亭川と一致する、デイトンは脚光の人々を変えた。林亭川の頭は、準決勝で最初にスタートミスの人格を獲得し、最終的に決勝で次点受賞(注:チャンピオン - 馬の清の楽器、二番手 - 劉Meijuan、次点 - 彼はMeiting、第5番 - 黄Jingzhen)。しかし司会者は時間の結果を発表したとき、林亭川は色の不快感を明らかにしている、それは非常に結果に満足だ。確かに十分な試合で次の日、林亭川会議は、レポーター、馬明確な楽器を好む総会の公共の非難を開催し、そして即座に次点のタイトルを放棄する。林は、彼らはすぐに彼らの研究を継続するためにスイスに戻ってくるという、記者会見で泣き出した。誰が映画"ストーリーを"撮影で香港ラム川の山から出てくる年未満を知っている、それは彼女が実際に、エンターテイメントのサークルに入るだけだけニュースを作るために栄誉を与えることにコミットしている聴衆が可能になります。 "ストーリーは、"林川の山の後に消えたされる、彼女は静かに東営市に移動していた。 1987年4月30日、林亭 - 英語の川の名は"寺ャッキ‧リーン"(ジャッキーリン)細かいデビューCD"ストレンジャーズドリーム"。この微細なディスクは、サイレントの下でリリースしながら、しかし、エンディング曲関係のドラマ、シングルスリスト10号(最大9号まで)を占めているリストは、1000万枚以上を販売したとして。日本の舞台芸術界のシングルの発売、彼女の物語の多くの、そして後に消えていないが、姿を消した。


つまりは彼女は中国と韓国人との混血で、スイスの学校に通っていて、ミスコンテストで2位になったが納得できず、映画「歌者恋歌」に出演、1987年に日本で歌手デビューをしてヒットを飛ばすも芸能界を去りその後の消息はわからない、っていうところですかね。

こちらは日本の歌番組に出ている動画。

Jackie Lin and Par Avion - Strangers Dream


島田紳助氏が司会をしているのも、いまとなっては貴重かも・・・。これは1987年5月の動画ですが、彼女は去年の5月に日本にきて8ヶ月日本語学校で学んだ、っていっています。

こちらは同じ曲のPV。

Strangers Dream / Jackie Lin and Par Avion [PV]


こちらのコメントによると、彼女は現在ソウル在住とのことです。へーえ、私は米国にでも移住したんじゃないかなと勝手に考えていたんですが、そうすると彼女の来歴とも重ならないではないですね。お元気で暮らしていればいいのですが。

ついでに彼女が出た1985年のミスコンの動画を(これがアップされていたのにはちょっとおどろき)。

經典回憶- 1985無線健美林河廷操


經典回憶- 1985無線健美林河廷玩鐘・機


經典回憶- 1985無線健美林河廷?裝


經典回憶- 1985無線健美林河廷泳裝


彼女がこのミスコンで起こしたトラブルについては、中国語版wikipediaの「健美小姐の「林河廷不服賽果拒獎事件」に記されています(彼女自身の記事はありません)。ほかに香港のブログで見かけた写真を。出典はこちら





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ミャンマーの旅 2011年 夏 (13)

2011-09-23 06:28:55 | 旅(ミャンマー)



路地というほどではありませんが、ごちゃごちゃしていてなかなか魅力的です。





この人たちは、たぶんかなり裕福だと思います。



こんなカバンが売られていました。



アパートです。家賃は高いんでしょうね、きっと。





物乞いの女性です。わりとお金はもらっていたみたいですね。





時計か「聖子」と関係あるかどうかは不明。







これはモスクです。



中には入りませんでしたが、礼拝の人がたくさんいました。

(つづく)

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興味深い記事

2011-09-22 18:56:50 | 映画
すいません、今日は単に記事を紹介するだけです(魚拓)。

8月24日の「大分合同新聞」に次のような記事が掲載されました。

>臼杵にいた 伝説の監督「曽根中生」さん
[2011年08月24日 14:24]

日活の映画監督として昭和の映画界で活躍した「曽根中生」こと曽根義忠さん(73)が、由布市湯布院町で開かれる第36回湯布院映画祭のシンポジウム(26日)にゲスト参加する。映画界からこつぜんと姿を消し、失踪や死亡のうわさも流れていた“伝説の人物”。現在は臼杵市で物作りに携わりながら暮らしており、「少しでも映画祭を盛り上げる助けになれば」と約20年ぶりに表舞台に立つ。

26日、湯布院映画祭にゲスト参加
 曽根さんは群馬県出身。漫画が原作の「嗚呼(ああ)!!花の応援団」シリーズや「夜をぶっとばせ」などの名作を残し、鈴木清順監督らと脚本家集団を立ち上げたことでも知られている。
 1960年代から80年代まで多くの作品に携わったが、経営する映画関係の会社が倒産したことから、90年ごろ映画界を離れた。
 その後は「ずっと臼杵にいたよ」と曽根さん。知人の紹介で臼杵に移り住み、ヒラメ養殖の仕事に就いたという。

 人の縁に恵まれ、物作りにも挑むようになり、環境に配慮した燃料の製造装置などを共同開発して特許を取得。現在は会社役員として、装置の研究などに取り組んでいる。
 「映画に絶望し、映画と断絶しなければ身が持たなかった。昔の自分は今の自分ではない。昔の自分は海の上に浮かんでいるのかもしれないねえ」と曽根さん。「漂着した人間に対する地域の人々の温かい心に支えられた」と話す。

スタッフが捜し当てる
 今回の映画祭で、自身が監督を務めた「博多っ子純情」(78年)の上映が決まり、スタッフがつてを頼りに曽根さんを捜し当てた。原作者の長谷川法世さん、主演した光石研さんもゲストに名を連ねている。
 シンポジウムは午後3時15分から湯布院公民館で。曽根さんは「何を話すかも決めていない。(久しぶりで)おっかない気持ちもある」としながらも、「法世さん、光石君に会うのが楽しみ」と当日を待ち望んでいる。

(引用ここまで)

さらにこちらの記事も。

多額の負債で失踪…曽根中生監督、死んでいなかった!「ヤクザに殺された」など安否が都市伝説化!20数年ぶりに公の場に!

2011年8月27日 13時43分

[シネマトゥデイ映画ニュース] 26日、大分県で開催中の第36回湯布院映画祭で、死亡説や行方不明説が飛び交っていた伝説の映画監督・曽根中生がおよそ20数年ぶりに公の場に姿を現し、謎のベールに包まれていた空白の期間を激白した。

 曽根監督といえば、『天使のはらわた 赤い教室』『新宿乱れ街 いくまで待って』『嗚呼!!花の応援団』『博多っ子純情』など1970年代、80年代の日本映画界で数々の傑作を生み出してきた伝説の映画監督。しかし、多額の負債を抱えた80年代後半にプッツリと消息を絶ってしまって以来、映画業界でその行方を知るものはいなかった。そんな曽根監督が20数年ぶりに公の場に登場、報道陣の前で会見を行うことになった。

 映画関係者の間でも「借金が返せずにヤクザに殺された」「北九州で敵対するヤクザ組織の親分になった」「ダンプ(タクシー説もあり)の運転手をやっていた」など、まことしやかなうわさが次々と飛び交い、いわば都市伝説化。その辺の真相を直撃してみると「東京にいたころ、借金でよくヤクザに呼び出されていた。その様子を見ていた人がそういううわさを流したのかもしれないですね」と返答。さらに運転手説も「だいたい僕は運転が下手くそですから」と一笑に付していた。

 曽根監督はなぜ映画界と距離を置いたのか。「ちょうど(自身が手掛けた制作会社)フィルムワーカーズを倒産させた後で、借金があった。そんなときに競艇の映画(現時点で曽根監督最後の映画となる『フライング 飛翔』)にお金を出してくれるところがあって、それにすがった。そしたら本職の競艇選手に『あなた競艇を知らないでしょう』とこっぴどくやられた。実際、出来た映画もひどかったし、これ以上映画を撮ることは罪悪だと思うようになった。それと西村隆平というプロデューサーが若くして亡くなったことも大きかった。片腕を亡くしたような気持ちになって。そんなこともあって、とにかく映画に捨てられたという意識が強くなり、映画から離れなければならないと思った」と明かす。

 その後は九州で、ヒラメの養殖所で働いたり、競艇場で出会った羽振りのいい怪しい男に小遣いをもらったりしたりと、映画とは無縁の生活を続けた曽根監督。そしてその後、九州大学で出会った電子工学の先生のもとで磁気の勉強をしたという。その過程で二つの特許を取得。一つは、火力・電気を使わずに鉄・ガラス以外の物質をことごとく灰にする「磁粉体製造装置」、もう一つは油と水を混合して新しい燃料を作る技術「エマルジョン燃料装置」。現在は大分県でその実験を続け、その収入で暮らしているのだという。

 そんなときに、この湯布院映画祭で『博多っ子純情』を上映すると知ってしまい、いても立ってもいられずに、曽根監督自ら、映画祭事務局に連絡をとったのだという。その流れでつい最近、『(秘)女郎市場』『嗚呼!!花の応援団』などで組んだ脚本家の田中陽造と再会。「(この空白の期間に)会えなくなった人間がたくさんいる。生きていて良かったなと思った」としみじみ語る。

 このような数奇な人生を送ってきた曽根監督も御年73歳。このような元気な姿を見せられたら、新作を期待する向きもあるだろうが、「まあ、時間が合えば来るものは拒まずですが……。ただ、まだまだわたしの研究を待っている人がいますし、普段は洗濯や食事の準備など主夫業で結構忙しいんですよ」と煙にまかれてしまった。(取材・文:壬生智裕)

(引用ここまで)

偶然ながら私も上にも題名が出ている『博多っ子純情』を今年見る機会があり、監督さんが行方不明という現状だったのは知っていました。で、なんとか消息がわかって公の場に姿を現したというのはともかくよかったと思います。さらにこちらの記事も。

>『博多っ子純情』主演・光石研×原作者・長谷川法世×監督・曽根中生!伝説&奇跡の3ショットが実現!
2011年8月27日 16時27分

[シネマトゥデイ映画ニュース] 26日、大分県の由布市湯布院公民館で開催中の第36回湯布院映画祭で「光石研特集」が開催され、光石の転機となった『Helpless』の青山真治監督、そして光石のデビュー作『博多っ子純情』の原作者、長谷川法世、そして死亡説も飛び出していた伝説の映画監督、曽根中生監督が光石の晴れ舞台に華を添えた。

 17歳、デビュー作にして主役を飾った傑作『博多っ子純情』から33年。それ以降の主演作品は現在公開中の『あぜ道のダンディ』のみ、という役者人生。日本映画界屈指のスーパーサブとして、時には映画に溶けこみ、時には主役を喰うような存在感で画面を圧倒。最初は彼の存在を意識していなかった観客も、気づくといつの間にか印象が植え付けられてしまうという稀有な存在だ。今回の特集上映は、そんな俳優・光石の魅力に迫ろうという趣旨で企画された。

 光石のデビュー作となった『博多っ子純情』のメガホンをとった曽根監督には、死亡説・行方不明説などが都市伝説のようにささやかれていたが、このたび20数年ぶりに公の場に登場。原作者、そして主演俳優がご対面を果たすという「日本映画史的な事件」を目撃しようと、湯布院には全国から多くの映画ファンが来場した。本作を久々にスクリーンで鑑賞したという曽根監督は「恥ずかしくなりますね。今度新しく撮る機会があったらもっと面白い映画を作ります」とあいさつ。また光石の演技についても「芝居がうまいんですよね。うますぎるんで、それを押さえることが精いっぱいだった。もっと下手な役者ならよかったなと思ってましたよ」と絶賛し、光石が「いやいやいや」と謙遜する一幕も。

 またトーク中には「『博多っ子純情』に続編の予定はなかったのか?」という質問が飛び出し、長谷川の高校の後輩である石井聰亙(現・岳龍)監督で製作される予定があったという秘話が明かされた。「『あんた、カメラを固定して撮れるか?』と聞いたら大丈夫だというんで(笑)。それは資金的な問題で話自体が立ち消えとなったが、観てみたかったですね」と残念そうに語る長谷川だった。

 そんな光石が、デビュー作の『博多っ子純情』と並んで、役者としての転機となったと挙げるのが『Helpless』だ。両者には「九州弁」という共通したキーワードがあるが、光石も「今は東京暮らしの方が長いんですけど、いまだに変換作業をしなくても、そのまま瞬発的に言葉が出てくるんですよね。ストレートに演技が伝わるような気がします。自分のターニングポイントになっているのは九州弁を話す役だったんで、九州の地が味方をしてくれる気がします」と述懐。光石が駆使する九州弁は、その言葉のリズム、響きなども含めて、映画の画面に躍動感を生み出しているが、光石と同郷の青山監督は光石の九州弁に心酔しきっている様子で、『EUREKA ユリイカ』『サッド ヴァケイション』と合わせて「北九州サーガ3部作」と呼ばれる傑作を生み出している。「別に北九州でやることを自分から求めているわけでなく、光石さんとやりたいから北九州でやるんです。こういう俳優さんはいないですよ。こんなことを言うと北九自慢、光石自慢にしかならないけど、僕にとっては宝みたいな存在」と光石愛をせつせつと語る青山監督だった。

 常々、光石が「恩人」と語る人たちに囲まれ、終始、恐縮していた光石。「まだまだ俳優として頑張っていきますんで、よろしくお願いします」と決意を語ると会場からは大きな拍手が起きた。(取材・文:壬生智裕)

第36回湯布院映画祭は8月28日(日)まで由布市湯布院公民館で開催中

(引用ここまで)

で、昨日(21日)発売された『映画秘宝』11月号に、氏のインタビューが掲載されています。

現段階では未読ですので、明日にでもさっそく読んでみたいと思います。
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サッカーとラグビーの人気の落差にいまさらながら苦笑する

2011-09-22 06:18:51 | スポーツ
昨日9月21日は、日本でサッカーのロンドン五輪の予選、ニュージーランドでラグビーのワールドカップ、日本対トンガ戦が行われました。

で、サッカーのほうは民放のゴールデンタイムの生放送(NHKもBSで中継)、ラグビーのほうはCSでは生でしたが、民放は録画で11時過ぎの放送で、まさにサッカーとラグビーの人気というか国民の関心のちがいを残酷なまでに示しました。

なにしろ、サッカーのほうはワールドカップより格が低いオリンピックの予選(笑)だし、ラグビーのほうは予選プール(ラグビーのワールドカップは「リーグ」でなく「プール」という呼び方をします)とはいえ、本番なんですからねえ。とうぜんラグビーのほうが希少価値はあると思いますが、つまりは人気がないってことですね。

80年代絶頂と言ってもよかったほどの人気を誇ったラグビーでしたが、サッカーの人気の上昇と95年のオールブラックスとの惨敗で、大勢のファンから見限られてしまいました。昔は、大学の対抗戦でものすごい観客を動員できましたが、それはいまではだめです。ラグビーの場合、大学の人気が極端だったせいもあり、とうに大学サッカーなどの人気など皆無であってプロ化に邁進せざるを得なかったサッカー界よりも危機意識が少なかったのかもしれません。いずれにせよ日本のラグビー界は、その後のプロ化の波にもひどく遅れてしまいました。おそらくこれは、日本のラグビー界の幹部たちがプライドが高く、我々はアマチュアであることを誇りにするみたいな観念がかなり強かったという側面もあったと思います。しかしこれは強化のためにはたいへんなマイナスでした。

体格の問題もあるのでいっしょくたに論じるのは無理ですが、サッカーが欧州のリーグでも活躍できる選手をいろいろ出しているのに対して、ラグビー界はなかなか難しいですね。たまに欧州に行く選手もいますが、厳しいのが現状です。

さて、サッカーのほうは、当然ながらマレーシアに勝ちました。日本が負けていてはどうしようもないので、これは勝って当然だし勝たなければ困ります。でも2-0ですからマレーシアもよく守ったというところでしょうか。

私は民放で見ていましたが、やはりアナウンサーも解説者(セルジオ越後さんと松木安太郎さん)も、あと1点はほしいというニュアンスの発言をしていたと思います。ホームですからね、もうすこし圧倒するような試合を見たかったかなという気もします。サッカーのレベルもあがっていますから、そんなに大差で勝てる時代ではないんでしょうが、もうちょっと華々しく勝ってほしかったかなと。

さてさて、ラグビーのほうはというと、18対31でトンガに完敗しました。トンガ相手に13点差の敗北はちょっと厳しいですねえ…。この試合は、前のニュージーランド戦で主力を温存してまでして臨んだ試合ですから、かなりきつい敗北です。僅差の敗北ですらないわけですから。カナダ戦は勝ちたいものですが、どうなることか…。
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ミスユニバース 2011 出場者をご紹介(5)

2011-09-21 03:50:26 | 美女探求












ガーナ代表の方です。













ベネズエラの代表の方です。



タイの代表の方です。





今日の女性たちでは、フランス、デンマークの方が私の好みですかね。またアフリカの女性たち(ガーナとタンザニア…エジプトの女性もアフリカか)もどちらもきれいです。日本の方は…いまひとつですかね。あとクロアチアの女性は妙に肌が白いですね。

さあ、いよいよラストスパートです。
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ミャンマーの旅 2011年 夏 (12)

2011-09-21 03:45:21 | 旅(ミャンマー)



ちょうど昼時のせいかどうか、食事をしている人たちも目立ちます。



日本みたいにコンビニがあるわけではありませんから、このようなところで清涼飲料を買い求めます。





鮮やかな青い服がきれいだったので思わず写真をとってしまいました。



おばあさんが(たぶん)孫のロンジーを直してあげています。奥にしゃがみこんでいる男たちは、賭博でもしているんですかね。







こんな時間です。ミャンマーは日本より2時間半時間が遅いので、日本は3時過ぎです。



IDを首から下げていますから、それなりの仕事をいている人たちなのでしょうね。



薄くてよくわからないでしょうが、側面に日本の会社の名前がプリントされています。それを私が目をこらしてじっと見ていると、助手席に座っていた女性が自分をじっと見ていると勘違いしたらしく、私ににこっと微笑んできました。私も微笑み返しましたが、勘違いさせて悪いことしたなと思いました。美人でしたけどね。

それにしても、一見して外国人とわかる男からじっと見つめられたらほかでは嫌がられたりするでしょうが、この国の女性は微笑んでくれるのだからなかなかフレンドリーです。



この近辺は、このような新しい建物が多い地区です。



外資系のトレーダーズ・ホテルです。この旅では何回となく出入りしました。



こんなような看板もあります。経済制裁が解除されれば、欧米系の広告も増えるのでしょう。それがいつの日かはわかりませんが。

(つづく)

コメント (4)
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