ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

認知症予防のために、頭のトレーニングを試みる

2014-10-30 00:00:00 | Weblog

そんなことをして役に立つのかどうかはあてにならない気もしますが、認知症予防のためにいろいろ推奨されていることがあります。糖尿病になるなとか(最近は、インスリンを気体にしてそれを吸引して脳にまわして認知症に対応するということも研究されているとか。NHKの番組でやっていました)、いろいろなことに興味を持てとかなんてことも言われます。

余談ですが、認知症予防のためには、ネットではツイッターよりブログのほうが役に立つという話を聞いたことがあります。つまり、140字以内で自分の言いたいことを書き連ねるツイッターより、いろんなネタを各々が仕入れて、ブロガーなりにそれを社会に提起するブログのほうが、頭を鍛えるにはいいのだとか。そうするとツイッターはしませんがブログはしている私には都合がいい話ではあります。まあツイッターをはじめてもいいんですけどね。しかし仮にツイッターをはじめたとしても、ブログは原則毎日更新の方針は変えないことにします。

ブログはともかく、私が外国語や数学の勉強をしているのも、頭の退化を防ぐ意味あいもあります。私の周囲でも、日々情報収集に余念がなかった人が、そういうことをしなくなったらとたんに元気がなくなり、認知症の症状が出たかなと思われる人がいました。鶏と卵の関係みたいなもので、認知症の症状が出たからいろいろなことに興味を失ったのか、失ったから認知症になったのか、どちらが先なのかは分かりませんが、やはり人間いろいろなことに興味をなくしたら、それはけっこう危険な段階に入ったということでしょう。

それで、過日私が見た記事に、2日後に日記を書くというのが推奨されていました。つまり、日記を当日でなく2日後に書けということです。それが脳のトレーニングにいいのだとか。当日なら容易に思い出せることも、2日後ですとなかなか難しい。そこで頭をしぼりだして書くというのがいいそうです。それを読んで、私も日記は毎日つけているので、さっそく実行してみました。けっこう面白いですね。私は、1日の日記を平均800字くらいにまとめたいと考えていますが、旅行とかをしていると1日の記述が詳細になります。それで、今現在900字弱くらいの平均字数です。2日後日記を書き始めたら、1日の字数が減るかなと予想したのですが、私の場合むしろ増えています。理由は、どうも主観的な意見を書くことが増えたということが1因のようです。時間を経ることによって頭の中で解釈や感想をもったからかなと考えますが、記憶の減衰とこういうことは(私の場合)ある時期までは反比例するということもあるのかもしれません。

で、ほかにも認知症検査のために使われるさまざまな方法を自分なりにやってみるということもします。100から7を引くとか、野菜を10個いうとかです。野菜ばかりではつまらないので、魚をいってみたりもしました。私が苦手なのが、無関係な単語を3つ(桜、はさみ、電車とか)いって、それを復唱するというやつです。これは、自分ではあんまりやったことがないのですが(自分で思いついたものでテストしても、あんまり意味がなさそうだし)、なかなか難しいかなとか考えます。

それで私が面白そうだと思ってさっそくやってみたのが、10時10分の際の針時計の絵を描くというものです(こちらこちらこちらなど)。つまり短針と長針の位置関係、紙の大きさと時計の大きさがつりあっているか、その他いろいろなことがこの検査でわかるそうです。読者の皆さまもやってみたらよろしいのではないでしょうか。

さてずいぶん以前私、数学者の秋山仁という人について書かれたを読んでいて、その本の中で数学が苦手な人はどのような人かというくだりで、カレーライスを作れない人、というのがありました(すみません、現物がいまないので、記憶で書いています。間違っていたらごめんなさい)。それを読んだ時は、「はあ、そんなもんかいな」と思っただけでしたが、最近になって「なるほどなあ」と考えました。つまり、認知症になった人の症状の一つとして、調理をする際に味付けが悪くなった、メニューが単調になった、買い物に際して適正な量の食材を購入することができなくなった、ということがよく言われます。つまり、料理をするという過程は、頭の中で膨大な情報量を適正に処理することですから、認知症になることによって脳の情報処理能力が低下することにより適切な調理ができなくなるということになるわけです。

明日どういうメニューにするか、その料理に使う材料は何か、家には何の食材があって何がないか、どの店に買い物に行くか、予算はいくらくらいか、何時くらいから料理を始めるか、料理の手順はどうか・・・。盛り付けは何の食器にするかということにいたるまで、こういったことを人間は、経験その他から適切な手順で進行させます。調理というものは想像以上に人間の知的能力に依存していますから、認知症になって脳の機能が悪くなると、そういったことも難しくなり、へんてこな味付けの料理を食べ、冷蔵庫その他には使い切れない食材が押し込まれる・・・ということになってしまうわけです。

こういったものをいくらやっていても、しょせん遺伝で決定する部分が大きいんじゃないかという気が強くしますが、これも一種のお遊びという考えでいれば悪くないかもしれません。世の中いろいろなことに興味を持っているほうが退屈しないで済みます。だから私のブログは、政治の問題から、美女のヌードにいたるまで記事の幅が広いのです。

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