ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

チンギス・ハンの犯罪についてのチョムスキー発言への補足

2016-01-31 00:00:00 | 社会時評

ちょうど1か月前の2015年最後の記事で、私は次のような記事を書き、そこでノーム・チョムスキーの次のような発言をご紹介しました。

この場でチンギス・ハンの犯罪について論じても、それには何の道徳的価値もないのだ(チョムスキー)

>君も私も、君と私ができること、私たちができることについて責任を持つ。我々がどうこうできないことをやっている他人の行為について、私たちは道徳的責任を持たないのだ。それは残念なことかもしれないが、それについて私たちは何もできないのだ。たとえば、いまこの場で私たちは、チンギス・ハンの犯罪について討論をすることができる。そしてそれは正しいかもしれない。しかしそれにはいかなる道徳的価値もないのだ。歴史学としての価値はあるかもしれない。スリランカで進行中の犯罪についても同じだ。それらについて何かができるとは考えてはならない。学問上のセミナーを開催することはできるが、それに道徳的価値があると考えてはならない。タリバンについて君が私に言うのも、それと全く同じことだ。道徳的価値はゼロなのだ。(中略)私たちがすることに私たちは関心を持つべきだ。それが私たちができることだ。道徳についての公理があるとするなら、このことだ。もしこのことが理解できないのであれば、道徳の領域にたちいることは出来ないのだ。

これを読んだ読者の方は、あるいは「え!? じゃあ日本軍の戦争犯罪を批判することも『いかなる道徳的価値もない』ってことになるのかい?」とお考えになるかもしれません。実はチョムスキーは、別の場で同じことを言う中で、この件についてもきっちり話をしています。それを引用します(魚拓)。しかしこのようなものがあるのなら、わざわざ苦労して翻訳する必要はなかったな。

>Q: パキスタン訪問中に、あなたと接触した多くの人々は、パキスタンが直面しているすべての問題に対する既製の解決策を聞けることを望んでいました。しかし、あなたはその人々に対して、様々な問題(その可能な解決策はもちろんのこと)について一生懸命そして批判的に考えるよう要求されているのだと私は受け止めました。あなたの祖国アメリカの役割に関して、あなたは、ある方策や行動を取る責任がご自身にあるとお考えになり、他の方たちにも同じことをすることを望んでおられました。間違いないでしょうか。 

チョムスキー: そのとおりです。「私たち自身の行動(あるいは行動しないこと)による将来の結果については、私達に責任がある」というのは、おそらく最も初歩的で道義的にわかり切った公理です。

ジンギスカンの罪を研究することはすばらしいことかもしれませんが、その罪を非難することはあまり倫理的な価値はありません。なぜなら、私達はその罪について全く何もできないからです。

パキスタンの内部の大変に重大な問題に関しても、私にできることはあまりありません。いや、実際、事実上、何もないのです。私は、できる限りそのことについて学び理解したいとは思っています。そして、遠慮なく私が思うことを言わせていただきます。 

Q: (a)なぜ、倫理的価値とジンギスカンの罪を非難することが、つながらないのでしょうか。同じような残虐行為をした者たちが、その罪をうまく隠せないようにするために、その罪を非難し続けることは、その罪の調査をすることと合わせて、等しく重要であると、あなたはお考えになりませんか。

(b)また、現存する世界の帝国の権力に関する限り、彼らの犯罪が直接に私たちの国の人々に多大の苦しみを与えているので、私はその犯罪を非難するのに有り余る正当性を持っていると思っています。様々な形での西側諸国の企業の繁栄や支配が、パキスタンの経済つまり我が国の貧困とつながっています。したがって、このことはパキスタン人によって非難がなされなければならないと私は思います。 

チョムスキー:私は自分の意見については、自分にとって道義的に当たり前のことだと考えられることを根拠としています。私達の行動の道義的な評価というのは、将来起きてくる結果によって決まってくる。私達が議論していることで言えば、そのことが人間の将来の結果にどんな影響を及ぼすかということです。

もし私が、ジンギスカンの罪を再検討して非難する論文をここで出版しても、人類の将来の結果はほとんど何も変わらないでしょう。私は一般的によく言われてきた非難に加わり、その非難の山にさらにひと粒の豆のような非難を加えても、そんなことはジンギスカンの犠牲者達を(あるいは他の誰をも)助けることにならないでしょう。

世界のどこかで、例えばモンゴルで、ジンギスカンの罪が隠され、(彼の行動が)賞賛され、現在の行動のモデルに使われることがあれば、その時にこそ、ジンギスカンの罪を非難することは大きな価値があるでしょう。なぜなら、それは人類の将来の結果と関わりがあるからです。(後略)(太字化は、引用者)

いかがでしょうか。チョムスキーの発言はまさに、安倍晋三稲田朋美櫻井よしこ、産経新聞その他のような歴史修正主義者を批判する際の大きなバックボーンになるし、またチョムスキーが語るまでもなく多くの人々がこの精神にのっとって歴史修正主義を批判しているのではないでしょうか。私(たち)が日本の戦争犯罪を批判するのは、まさに日本が再び戦争犯罪を犯さないための手段としてのものだからです。

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6 コメント

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Unknown (Rawan)
2016-01-31 03:18:03
「子や孫の世代に謝罪させない」なんて言っている安倍なんかが、いかに頓珍漢かつ本当の意味で「将来」を考えていないマヌケであるかがよく分かりますよね。
Unknown (ブラウ)
2016-01-31 12:09:54
チョムスキーのこの指摘の意味するところは、分かっている人たちにはほとんど自明のものとして、すでに数十年前から共有されてきた話なんですよね(本多勝一だって言ってましたw)。
>Rawanさん (Bill McCreary)
2016-01-31 23:01:21
まあ安倍というのはそういう人間ですよね。まさにそうやって生まれて育って成人して政治家をやっているということでしょう。どうしようもない馬鹿です。
>ブラウさん (Bill McCreary)
2016-01-31 23:02:33
本多さんは、1971年に、中国取材中に、自分は謝罪しない、っていう話をしたって書いていましたよね。私もチョムスキーのこの話を読んでいて、あれ、本多勝一と同じことを語っているなあと思いました。
Unknown (月夜)
2016-02-03 23:11:08
日本の戦争犯罪について論じようという時に、チンギス・ハンの犯罪を今更ほじくり返してモンゴルを責めるような不毛なことだ、という発言が出ることがありますが、
一見チョムスキーの発言に似ているように見えるものの、そんな発言がどれだけ軽薄で、倫理的かつ知的不誠実なものかがよく分かります。
補足が必要になったのも、そんな言説が蔓延っているからでしょう。
Rawanさんが指摘しているとおり、安倍晋三の発言もこの変奏曲に過ぎないようですね。
>月夜さん (Bill McCreary)
2016-02-04 07:37:10
そんな発言は、チョムスキーのものの対極にあります。そのような認識では、まさにチョムスキーではないですが、道徳の領域には入れないということです。安倍晋三などには死ぬまで理解できないことでしょう。

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