昨日記事にした森川正太氏に続き、2日連続で亡くなったばかりの方の記事を書くのも少々気が引けますが、作曲家の筒美京平氏が亡くなりましたね。記事を。
>作曲家 筒美京平さん死去 80歳 昭和を代表する歌謡曲を作曲
2020年10月13日 13時57分
「ブルー・ライト・ヨコハマ」や「また逢う日まで」など昭和の歌謡界を代表するヒット曲を生み出した作曲家の筒美京平さんが今月7日、誤えん性肺炎のため亡くなりました。80歳でした。
13日は筒美さんとペアを組んで数々のヒット曲を世に送り出した作詞家の松本隆さんが死去の知らせを聞いたときの心境をつづりました。
筒美さんは昭和15年に東京で生まれ、青山学院大学在学中にジャズに親しみ、その後、大手レコード会社で音楽ディレクターとして働きながら作曲活動を始めました。
昭和42年、グループサウンズのヴィレッジ・シンガーズが歌う「バラ色の雲」がヒットして名を上げ、翌43年には、いしだあゆみさんが歌った「ブルー・ライト・ヨコハマ」が大ヒットし、作曲家としての地位を不動のものにしました。
大学時代の先輩だった橋本淳さんをはじめ、阿久悠さん、松本隆さんら著名な作詞家とペアを組み、いずれもレコード大賞を受賞した尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」やジュディ・オングさんの「魅せられて」など、昭和の歌謡界を代表する名曲を世に送り出しました。
1970年代以降はアイドル歌謡も多く手がけ、南沙織さんの「17才」、近藤真彦さんの「スニーカーぶる~す」や「ギンギラギンにさりげなく」、松本伊代さんの「センチメンタル・ジャーニー」、小泉今日子さんの「なんてったってアイドル」など、黄金期を彩る数々の曲を生みました。
さらに、のちの「JーPOP」にも大きな影響を与え、1990年代には小沢健二さんの「強い気持ち・強い愛」などを、2000年代にはTOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」など世代を超えた人気楽曲を手がけ、これまでに作曲した作品数は3000曲近くにのぼっています。
このほか、国民的テレビアニメ「サザエさん」のオープニングとエンディングのテーマ曲も手がけています。
筒美さんは、こうした功績で平成15年に紫綬褒章を受章しています。
家族などによりますと、筒美さんは、自宅で病気療養を続けていたということですが、今月7日、誤えん性肺炎のため亡くなりました。
80歳でした。
(以下略)
記事の続きは、作詞家の松本隆氏の談話です。そういえば私も、「作詞松本隆 作曲筒美京平」というクレジットを、歌番組なんかでずいぶん見た記憶があるな。
さて筒美氏の死を知った際、私が最初に思い出したのがこの本です。
この本については、Wikipediaにも項目があります。
1987年にデータハウスから出版された本で、日本のさまざまな歌謡曲、今日でいうJ-POP が、さまざまな盗作、パクリ、インスパイア、焼き直し、模倣、土台、素材、ドロボー(たくさんの呼び名があります)によって成り立っていることを記しています。たぶんですが、このような書籍の日本での走りじゃないかな。
それでこの本のなかで繰り返し取り上げられているのが筒美氏の作曲した曲でした。1987年というのは、たぶん筒美氏の権勢がかなり強かった時期だと思うので、これは社会的なインパクトも結構あったのではないかと思います。
ではこの本の中で筒美氏が強く非難されているかというと、必ずしもそうでもないのです。手元にこの本がないので直接引用できないのですが、ネットで確認したら、こちらに本の記述を写した写真がありました。そこから引用してみます。
>彼のパクリ方は、職業作曲家としては、もう信じられないくらいストイックな姿勢に裏打ちされたものだ。彼のパクリの基本となっているものはまず”日本でもそこそこのヒットになった洋楽”を扱っている、ということなのだ。で、そのメロディーがある程度浸透したであろう時期(約半年後)に作品を発表するわけ。なぜか? 売れる曲にするためである。すごい計算に裏打ちされたパクリなんだ。
これを最初に読んだときは「はあそんなもんかいな」という印象だったのですが、ある程度人生経験を積んだ現在では「なるほどねえ」と思いますね。前なんかの本(たぶんこちらの本)を読んでいたら、宮川泰氏が筒美氏のことを「天才作曲家」と書いていた記憶がありますが、おそらくですが宮川氏の言う「天才作曲家」というのは、上のようなパクリの才能、既存の曲から売れる曲を作る才能といった部分を(も)評していたのかもしれません。最初は、「(も)」は入れず、また最後も「いたのでしょう」という表現だったのですが、やはり差しさわりがあるので、このような表現にしておきます。
世間的には当然森川正太氏よりも筒美京平氏のほうがはるかに大物ですが、個人的にはやはり森川氏の訃報のほうが衝撃があったので、森川氏の記事を先に書きました。筒美京平氏のご冥福を祈ってこの記事を終えます。
同日の追記:bogus-simotukareさんがコメント欄で興味深い記事をご紹介してくださいました。引用いたします。
>Unknown (bogus-simotukare)2020-10-15 06:58:22ご指摘の件については
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO64894350S0A011C2BC8000/
大学時代はジャズに打ち込み、就職したレコード会社で洋楽担当のディレクターを務めるなど、もともと洋楽好きだった。作曲家に転じてからは、関係者が「とてつもない勉強家だった」と口をそろえる通り、古今東西のレコードを聴いて勉強し作曲の幅を広げていった。まだ輸入レコードが手に入りにくかった60~70年代当時、新譜が入荷すると、いち早くまとめ買いして聴きあさった。ディレクターやプロデューサーが「夏のビーチのムードの曲をお願いします」と依頼すると「夏」や「海辺」などとテーマごとに仕分けした棚から何枚ものレコードを取り出して、それらを参考にしながら、全く新しい洋楽風の楽曲を生み出したと関係者から聞いたことがある。
洋楽の最新ヒット曲のエッセンスを巧みに取り入れ、斬新な日本の歌謡曲として成立させる手腕は傑出していた。外国の文化を取り入れるのがうまいという意味では、極めて日本的な作家だったともいえるだろう。
例えば、南沙織が歌った「17才」の曲想は、米国のリン・アンダーソンの世界的なヒット曲「ローズ・ガーデン」をほうふつさせたが、本土復帰直前の沖縄から来た17歳の女性が歌うにふさわしい快活な和製ポップスになっていた。岩崎宏美の「ロマンス」「ファンタジー」といった一連の初期のヒット曲も、世界的なブームになっていたディスコサウンドを日本の青春歌謡と融合させたものだった。
(引用終わり)
という指摘がありますね。
まさに、拙記事の関係が書かれていますね。bogus-simotukareさんは、下のような記事も書かれていますので、乞うご一読。私のような素人でも知っている話ですから、音楽業界ではもちろん有名な話だし、筒美氏も、自分の曲が洋楽の大きな影響を受けているということは認めていますね。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO64894350S0A011C2BC8000/
大学時代はジャズに打ち込み、就職したレコード会社で洋楽担当のディレクターを務めるなど、もともと洋楽好きだった。作曲家に転じてからは、関係者が「とてつもない勉強家だった」と口をそろえる通り、古今東西のレコードを聴いて勉強し作曲の幅を広げていった。まだ輸入レコードが手に入りにくかった60~70年代当時、新譜が入荷すると、いち早くまとめ買いして聴きあさった。ディレクターやプロデューサーが「夏のビーチのムードの曲をお願いします」と依頼すると「夏」や「海辺」などとテーマごとに仕分けした棚から何枚ものレコードを取り出して、それらを参考にしながら、全く新しい洋楽風の楽曲を生み出したと関係者から聞いたことがある。
洋楽の最新ヒット曲のエッセンスを巧みに取り入れ、斬新な日本の歌謡曲として成立させる手腕は傑出していた。外国の文化を取り入れるのがうまいという意味では、極めて日本的な作家だったともいえるだろう。
例えば、南沙織が歌った「17才」の曲想は、米国のリン・アンダーソンの世界的なヒット曲「ローズ・ガーデン」をほうふつさせたが、本土復帰直前の沖縄から来た17歳の女性が歌うにふさわしい快活な和製ポップスになっていた。岩崎宏美の「ロマンス」「ファンタジー」といった一連の初期のヒット曲も、世界的なブームになっていたディスコサウンドを日本の青春歌謡と融合させたものだった。
(引用終わり)
という指摘がありますね。
私なんかも、モロそれで育った世代なので、彼の作曲歌なら悠に100曲以上は歌えるでしょうね。
ほんと、筒美氏はそういったことに関しては、他人にまねのできないプロだったということですね。彼ほどそれに徹することのできた人間はほかにいなかったのでしょうね。
>なんかも、モロそれで育った世代なので、彼の作曲歌なら悠に100曲以上は歌えるでしょうね。
そうですね。ぴたりとはまった世代でしたら、実にたくさんの曲が、彼の作曲ですよね。
別の見方をすれば、こうしたある種、普遍的に人の耳になじみやすく心地よいポップスメロディラインというのは一定のパターンがあるゆえ、そういったものを時々に上手く取り入れた音楽シーンを作り上げられる作家たちの有無は、そのまま、その国の音楽シーンを反映することになろうかと思われます。
現在、韓国のいわゆるK-POPが世界的な音楽シーンで活躍しているのは、やはり国内市場の限界から世界市場に目を向け、起業者たち自らがEDMをはじめとした欧米の先進音楽を直接吸収し、自らがプロデュースして、先進的音楽とパフォーマンスを一体化させる手法と育成システム(細部の是非はここでは触れません)が成功しているからであり、世界二位の国内市場で安住してしまい、ジャニーズタレントや二流の歌謡バンド、素人アイドルに満足してしまった日本の歌謡界は、そういう意味では大きく水をあけられたということになるでしょうね。
おっしゃる通りですね。引用した本でも、思想のあるパクリと書いていて、いわば安易に「面倒だから」とかでの盗作とは分けています。で、そういういいかげんな態度でパクっている人間は、その本で紹介されている人たちにかぎれば、やはりその後あまり活躍できていないですね。
>世界二位の国内市場で安住してしまい、ジャニーズタレントや二流の歌謡バンド、素人アイドルに満足してしまった日本の歌謡界は、そういう意味では大きく水をあけられたということになるでしょうね。
携帯電話にかぎらず、死刑制度などもふくめた法制度、芸能界なども、日本ではなまじ人口が多く国内だけでそれなりの市場が成立することもあり、だいぶアナクロニズムな傾向が否めないですね。死刑制度も、日本がやたら固執できるのも、日本独自で1つの小宇宙が成り立つことが、存続している理由の1つだと思います。
まったくそのとおりで、こんなもの、国家権力に民衆に対する生殺与奪という絶対権力を与えているだけのお上絶対のアナクロであると同時に、「理由があれば他者の命は奪えるもの」という心理の共有性、思考回路にしか結びつきません。
>「理由があれば他者の命は奪えるもの」という心理の共有性、思考回路にしか結びつきません。
ほんと、こういう部分がいまだに残るのが、日本のだめなところだと思います。米国なんか、現職が大統領選挙で自分たちの支持票を固めるために連邦政府による死刑を執行しているなんていう話もあるくらいでお話にもなりません。