ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

昔はどうだったなんて話はしたくないが、さすがに昔はこんなに暑くはなかった

2022-08-12 00:00:00 | Weblog

先日、仕事をしていて、午後2時過ぎに日陰で作業をしたのですが、風が吹きました。

そしてそれは・・・熱風でした(苦笑)。シロッコみたいでした。

体温より暑ければ、風が吹いたって暑いだけですからねえ。群馬県館林市が、ひところやたら暑かったのは、フェーン現象の故のようですが、ただここは、気温の測定場所が変わったら、ひところほどのすさまじい値はでていないんですかね?

おととい(8/10)OS-1を飲んだら、今までにないくらい甘く飲めました。ってことは、私は相当に脱水状態で、体から塩分が抜けている状態だったんですかね? どうもそのようです。聞いた話によると、本来ならOS-1を飲んだらしょっぱく感じるはずですが、甘く感じるとそれは、脱水状態だそうです。これは私も、熱中症一歩手前のような気がします。

それで私の年齢をここで明らかにするつもりもありませんが、年齢がわかっちゃうかもですが、私が子どものころは、さすがにこんなに暑くはなかったぞ。私は太っているので、暑いのはもとから苦手ですが、さすがにこの暑さは危険ですね。熱中症になって死んだりしてもしょうがない。私も実は、かなりやばい熱中症になったことがあります。

熱中症になった時のいやな記憶

この時は、富山県高岡市でなりました。帽子をかぶらずに40度くらいのフェーンで焼け付いた日に行動したのだから、なってもぜんぜんおかしくない。上の記事から自分の書いた文章を引用すれば、

>途中から明らかにおかしくなりました。歩こうとしても、ほんの数メートル歩けないのです。頭がぼうっとして、思考状況が悪くなり、気分もひどくなりました。

「これはまずいな」

と思いました。たまたま近くの、たしかそこは、ホテルニューオータニ高岡だったかと思いますが、ホテルにとびこんで、すぐコーヒーショップだったかで頭を冷やしました。しばらくは身体を動かすのもきつく、しかも自宅から遠い高岡でしたから、帰宅も容易ではありませんでした。

という事態だったわけです。あれは、いまにしてみても、死ぬという最悪の事態も考えられなくはないなと思いました。これはあまりに恐ろしかったので、昨今の私は、やばい天気の際は、最大限日陰に入るようにしています。東南アジアの人たちもそうしています。彼(女)らは、怠惰だと思われている部分が無きにしもあらずですが、炎天下に無理に働いていて熱中症になる危険を防いでいる部分もあります。怠惰とかだらしないということばかりの問題ではない。これは沖縄などもご同様。

いずれにせよ人間命は大事です。読者の皆様も、最大限の注意をお願いします。

コメント
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