ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

災害時ほかの緊急事態には、鬼にならなければいけないこともある

2015-11-25 00:00:00 | 東日本大震災 2011

私が直接見た話ではありませんが、ずいぶん昔私の家の奥の部屋に、ネコが上がって居座ったことがあります。置いてあった布団の上にネコが乗っかっていたというのです。

で、私の親が、ネコを追い出そうとして、手で払ったら、絶対動きません。しまいには、ほうきで頭をたたくことまでしたそうですが、やはりじっと親のほうをにらんでいます。

ここまでしてネコが逃げないというのは、もしかしたら・・・というので、1度外して、ネコがいなくなった(餌でも探しにいったのでしょう)隙に布団をみてみたら・・・。いました、ネコの子3匹。

母は私に、大要「動物の愛情というか、本能ってすごい」と語りました。それはそうですよね。もちろん我が家はネコを殺したりはしませんが、ネコはそんなことを判断できないもんね。

けっきょく布団は外に出しておいたそうですが、その後ネコは子ネコを連れて去ったそうです。

子どもをつれた動物は必死です。小グマをつれた母グマに遭遇したりしたらやはり危険です。

さて、以上は動物の話ですが、一説によると本能が壊れた動物ともいわれる人間も、子どもについてはやはり必死になります。子どもに関しては、必ずしも合理的対応ができない。そういうことの関連で、この間、災害の対応についての講演会をきく機会がありまして、講師の人がくりかえし力説したのが、ともかく逃げろということです。他人よりも自分の命を優先させろということです。

すると、ここで大きな難問が出てきます。親子の問題です。

他人なら、さすがに自分の命を犠牲にして助けるというのは現実性に欠けますが、親子ですとそういうことがありえます。親が子どもを捜して津波にやられたということは2011年の災害の時も指摘されたことです。

それで、講師は、そのような災害教育を児童にする際、次のように話をするそうです。

(大要)「お父さんとお母さんには、ぼく(私)は自力で逃げるから、大丈夫だ、といいなさい」

親の立場からすると、確認が可能な距離にいれば子どもを助けたいのが人情というものでしょうが、そこで子どもを捜しにいくと津波の被害にあってしまうわけです。親も、子どもを信じるしかありません。

たぶん親としては子どもが無事か確認してから自分が逃げたいというのはやまやまでしょうが、そこは心を鬼にして、自分を第一に考えて逃げなければいけません。あるいは子どもはどうにもダメで死んでしまうかもしれませんが、それは親の力でもどうにもならない場合だということです。「あの時自分が・・・」と考えたくなるのは、人情としては理解できますが、そこは残念ながら割り切らなければいけません。人間、時間的、距離的その他の制約で、どうにも助けられないこともたくさんあるのです。

ずいぶん以前ですが、ヨットだかなんだかで、子どもが1人海に落ちてしまい、それを親が飛び込んで助けようとしたら、やはり亡くなってしまったことがありました。そしてその時ヨットには、別の子どもが乗っていました。そういう場合、やはり親は、海に飛び込んではいけないと思います。その人は泳ぎに自信があったのかもしれませんが、子どもを1人(あるいは他の子どもともども)ヨットに残してはいけないでしょう。そこは、まさに心を鬼にしなければいけない瞬間だと思います(なお、いまの話は、私の記憶で書いていますので、いつのどのような事件だったかは書けません。事実と違っていたら、その点はお詫び申し上げます)。

いずれにせよ、火事で燃えさかる家に「子どもがいる」といって飛び込もうとする親がいたら、私は「やめろ」と止める人間でいようと思います。

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2011年3月11日の想い出(3月10日発表)

2015-03-11 00:00:00 | 東日本大震災 2011

本日は、4年前大地震があった日です。というわけで、お亡くなりになった方の冥福を祈るとともに、被災地と被災者の方々の1日も早い復興と生活の安定を祈念いたします。

さて、本日は、この地震の件で忘れられないことを。

地震のあったちょうどその時、私は当時のオフィスで、カウンター越しに、来客に図面を見せて説明をしていました。するとひどい地震が起きて、ひどく揺れました。私の勤務先は、18階だったので、よく揺れるのです。

で、揺れながらも私が対面していた客は帰らないのです。別にその日に決着をつけなければ絶対だめな仕事とかそういうものでもないのですが、彼は帰りません。

が、私の口からついに言いました。

私「申し訳ございません、本日はこのような状況ですので、お引き取り願えませんか

私、社会人になってこんなこと人に言ったことないぞ(苦笑)。もちろん言われたこともありません。その後の状況を考えれば「苦笑」ではすみませんが、しかしこの時は内心苦笑しました。

すると、その人もさすがに状況がよくないと思ったのか、何も言わずに帰っていきました。

別にそのあとその人から苦情が来たということもないようだったので、これはこれで決着がついたのですが、しかしあの地震は本当にすごいものだったのだなとあらためて思います。18階から歩いて降りて深夜に帰宅したのも、いまとなってはすさまじい思い出です。

なおこの記事は、3月11日付の記事ですが、10日午後7時40分ごろの発表です。

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今日であの日から1年たった

2012-03-11 01:51:48 | 東日本大震災 2011
今日、あの地震から1年たちました。

地震だけでなく原子力発電所も大きなダメージを受け、ある意味日本の今後についていろいろなことを考えさせられた1年だったと思います。

すいません、本日はあまりくどくど文章を書くことをせず、無念の死を遂げた、そしてまだ行方のつかめない方々のご冥福を祈って記事を終えます。やすらかにお眠りください。
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東日本大震災から半年、同時多発テロから10年

2011-09-11 09:11:15 | 東日本大震災 2011
いまやっている関口宏の番組でも最初にやっていたし、日本中のブロガーその他が書いているように、今日2011年9月11日は、東日本大震災から半年、2001年の同時多発テロから10年です。

昨年の9月11日の記事では、私が世界貿易センタービルを訪れた最初で最後の日の話を書きました。私は日本の自室で、くずれおちるビルを声も出さずに見てしまいました。10年前に物心のついている方は、たぶんだれもがそれなりの想い出があるのではないでしょうか。

そして今年の3月11日…私が働いているビルの揺れもひどく、私たちはキャビネットを抑えたりするのに必死でした。もっとも後で、キャビネットより自分の安全のほうを考えろとだれかが言っていました。

私は現在のところ直接震災復興関係の仕事をしているわけではありませんが、詳細は書きませんけど私もそのようなこととまったく無縁な立場にいるわけではありませんので、これからも東北方面に行く可能性はあります。

あの日、地震がいちおう落ち着いた後テレビをつけたら津波が襲ってきて、だれかが飲み込まれそうになった映像(飲み込まれる前に画像は変わりましたが)を見たとき、「これは大変なことになるな」と日本中だれもが考えたことを思いましたがその後の原発事故などちょっと唖然とするばかりです。

2001年の9月11日も、その後のアフガニスタンやイラクなど、大変な事態が起きました。人為的なものであるテロと自然災害の地震ではずいぶんちがいますが、どちらも多くの方が亡くなり、そしてさまざまな問題が派生しました。日本の政治にも、2001年の事件はずいぶん影響を与えましたし、今年の地震もいろいろなことで後世「あの地震が…」と語られるのではないかと思います。

いつの日かはわかりませんが、私もニューヨークのグラウンド・ゼロに行き、地震の被災地に脚を運ぶかもしれません。その日には、私なりに「あの日」のことを想いだして、犠牲者その他の方々を追悼したいと思います。

追記:本当の偶然ですが、「9時11分」の更新になりました…。
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いまとなっては何ともむなしいものがある

2011-06-28 05:34:10 | 東日本大震災 2011
直接には地震と関係ないのですが、たぶん先日の地震が最終的にこの種のものへ引導を渡したと思うので記事にします。

拙ブログの記事を紹介していただいたりといろいろ世話になっているogatさんのブログ記事を見て「おや」と思いました。このような記念切手の写真が紹介されていたのです。





写真は独自のものを探しました。

1977年の高速増殖炉常陽の臨界記念の際に製作されたという記念切手です。

切手というのは国営もしくは準国営あるいはそれに近い事業ですから、切手の図柄というのはその時代にその国の政府(あるいは社会)の込めるさまざまな思惑というものが映し出されます。郵便学者の内藤陽介氏は、まさに世界の国々のいろいろな切手を解析して、その国の実情に迫ろうとしている学者さんです。

さてさて、常陽の歴史をwikipediaから見ていきますと…。

>1977年4月24日 第一段階であるMK-I炉心が初臨界を達成。日本で最初、世界で5番目。

とあります。上の切手は、この時のものを記念するものです。

1977年ですから、スリーマイル島チェルノブイリも起きていない時代です。それにしても、この切手が発行されたのはやはりogatさんもおっしゃるように

>常陽切手には未来への期待が込められていたのでしょう

ということですが、しかしいまとなっては…。なんともむなしいですね。

ogatさんのブログのコメントにも書きましたように、日本でこのような原子力関係のものの記念切手のたぐいが発行されることはたぶん永遠にないでしょうね。切手というもの自体すでに時代の流れでかつてほどの重要性はありませんし、日本の郵便事業もすでに国営ではなく位置づけも(いい悪いはともかく)大いに変化しています。そういった要因もふくめて、原子力というものが切手という媒体に取り上げられる日はもはやありません。

この記事のヒントをいただいたogatさんに感謝を申し上げます。
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かなり身も蓋もない記事ですが

2011-06-24 06:50:58 | 東日本大震災 2011
ちょっと前の「毎日新聞」に興味深い(ていうか、だいたい想像のつく内容ですが)記事がありました。全文引用しましょう。

>ザ・特集:悩む原子力専攻学生
原子力に未来はあるのか--。福島第1原発で起きた最悪の事故は、この国の原子力産業の先行きに暗い影を落としている。そうしたなか、この国の未来を切り開くエネルギーであると信じて、原子力を専攻する学生たちの目に、今回の事故はどう映っているのか。若き原子力エリートの悩める心に迫った。【浦松丈二】

 ◇「今こそ専門家必要。自負持ち勉強したい」 でも…揺らぐ進路「皆迷っている」
 東京大学五月祭の初日(5月28日)。カラフルな看板の模擬店が並ぶキャンパスに黒いスーツ姿の学生たちがいた。「東大生と学ぶ原子力」フォーラムを企画した工学部有志約20人。旧原子力工学科の流れをくむシステム創成学科環境・エネルギーシステムコース(学年定員48人)の3、4年生たちだ。1960年に創設された原子力工学科時代から脈々と業界リーダーを輩出してきた。福島の事故後、有名になった武藤栄・東京電力副社長や近藤駿介・原子力委員長らはOBだ。また、原子力安全委員会の班目春樹委員長は原子力工学科(当時)で教えてきた。とかく閉鎖的と批判される「原子力村」だが、東大の原子力学徒OBが中核を担っている、というのが大方の見方だ。

 「福島の事故後、(原子力分野に)就職するにしても進学するにしても、覚悟が必要になったのは事実です。ただ、今こそ専門家が求められていると思います。そういう自負を持って勉強していきたい」。フォーラムを中心になって企画した4年生の杉山達彦さん(21)はそう話す。

 100人以上の聴衆が大教室を埋めた。学生5人が登壇し、事故経緯や放射線が健康に及ぼす影響、火力や太陽光など代替エネルギーについて、あらかじめ準備したスライドを映しながら説明していった。5人は「一人一人がエネルギーを自分の問題として考えてほしいのです」と締めくくった。

 福島問題の関心の高さを示すように、この日のフォーラムでは活発な質疑応答が繰り広げられた。その多くは、放射線量の単位など専門的な知見に関するものだった。そして、最後に4列目に座っていた横浜市の会社員(49)が質問に立ち、こう切り出した。「原子力は長期的に日本のためになるかどうか。ご意見をお持ちであればお聞かせ願いたい」。空気の流れが少し変わった。

 壇上の学生たちが顔を見合わせる。押し出されるようにしてマイクを握った杉山さんは「私が大事だと思っているのは、0か100か、という強い議論に押されることなく、総合的に今後のあり方を考えていくことです」と答えた。緊張した様子が見て取れた。これで時間切れだった。

     ■

 原子力の専門教育が始まって半世紀余。「この間、さまざまな変遷があった」と話すのは、フォーラムに来ていた東大大学院工学系研究科総合研究機構長の寺井隆幸教授(57)。杉山さんらの先輩に当たる。「システム創成学科は、原子力だけでなくエネルギー全般について広く学んでいます。その前身の原子力工学科時代は、原子力だけを勉強してきたのですが……」

 学科再編のきっかけは、スリーマイル島(79年)、チェルノブイリ(86年)という、二つの原発事故の影響だったという。

 東大の原子力工学科は93年、「システム量子工学科」に再編され、2000年には再び他学科と統合され、「システム創成学科」として生まれ変わった。門外漢が見たら、これが原子力関係の学問とは想像できないかもしれない。学問の名前から「原子力」の文字を消し去ることで、何やら物事の本質を見えにくくしているよう。

 こうした動きは東大だけでない。京大など他の旧帝大でも相前後して、開設されていた原子力・原子核工学科などといった学科名から「原子力」「原子核」といった文字が消えた。

 「それでも」と寺井教授は言葉を継いだ。「5年ほど前から、世界的なエコエネルギーの潮流に乗って原子力が見直され始め、『原子力ルネサンス』なんて呼ばれていたのですよ。やっと風向きが変わってきたと思っていたところに、今回の福島の事故が水を差してしまった。主に米国メーカーの基本設計でつくられた、福島第1原発は津波の想定が甘かったのです。女川原発は被災した住民が避難してきたというのに……」と悔やむ。言葉の端々から、米国依存の設計ゆえに壊滅的な事故につながった--と言っているふうにも聞こえた。

     ■

 一方、学生たちは原子力をどうみるのか。フォーラムで原子力を論じた杉山さんは「卒論では原発の安全評価など、大学院は電気系かなあ」と、意外なことを口にする。そして「僕だけじゃないんですよ。原子力国際専攻を目指していた同級生たちも迷っているようです」と打ち明ける。詳しい理由は明かさなかったが、福島の事故が影を落としているのは間違いあるまい。

 同級生の田儀(たぎ)和浩さん(21)は「がんの治療に役立つ放射線や陽子線の研究をしたいと考えています。事故を受けて放射線が健康に及ぼす影響に関心を持つようになりました」と話す。

 業界も学生の原子力離れに危機感を募らせる。業界団体の日本原子力産業協会は学生を対象に就職説明会を開催している。担当の政策推進部統括リーダーの木藤啓子さんは「昨年は来場者がぐんと増えたのですが、正直、今年はやってみないと分からない状況です」と顔を曇らせた。昨年12月に東京と大阪で開催した説明会には前年比7割増の1903人が参加した。今年は東電が募集を見送り、浜岡原発を停止した中部電力もどうなるか分からないという。

 原子力産業の人材不足は日本だけの問題ではない。国際原子力機関(IAEA)が04年にフランス原子力庁のサクレー研究所で初開催した人材育成に関する国際会議。核燃料サイクル開発機構企画部長として派遣された森久起さん(62)=現・原子力研究バックエンド推進センター専務理事=は指摘する。「先進国の原子力産業は本格的なスタートから40年が経過して世代交代期に入っていますが、若手の人材確保が国際的な課題になっています」。ドイツなどの脱原発の動きも影響しているようだ。

 森さんは名古屋大学工学部原子核工学科2期生。黎明(れいめい)期に原発の研究者を志した。「私が大学に入ったころは四日市ぜんそくの公害が大きな社会問題になっていました。公害問題から原子力に魅力を感じたのです」とふり返る。

 福島の事故では、東電の工程表通りに収束したとしても原子炉処理までの長いプロセスと放射性廃棄物の回収、処理、管理という課題が横たわる。これを解決できるのは原発の専門家しかいない。

 森さんは話す。「まだまだ学問としての原子力工学は必要なのです。日本の原子力が試練に立たされているなか、若い学究者の英知が求められているのです」

 前出、東大生の杉山さんによると、今回のフォーラムにかかわった約20人の3、4年生のなかで、大学院で原子力専攻を決めた学生はいないという。

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 「ザ・特集」は毎週木曜掲載です。ご意見、ご感想はt.yukan@mainichi.co.jp ファクス03・3212・0279まで

毎日新聞 2011年6月2日 東京朝刊

(引用ここまで)

常識的に考えて、これからの時代に原子力の分野に優秀な学生が集うってことはほとんど望み薄でしょうね。

(コメント返しはもうすこしお待ちください)
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災害時に命が助かるためには、他人にかまっていてはいけないらしい

2011-06-19 06:17:00 | 東日本大震災 2011
東日本大震災から3カ月すぎまして、それで私もそんなにその関係のテレビや新聞報道を見ているわけではないんですが、識者(学者、ジャーナリスト、その他さまざまな方々)が発言していることで皆さん共通して力説していることに

「災害時は、とにかく自分が助かることを優先させろ」

ということがあるかと思います。もちろんそんなことははじめからどんな素人でも分かっていることですが、今回の地震ではまさにそれが残酷なまでに浮き彫りにされたということでしょう。今回のような自然災害に話は限りません。火事その他でも同じでしょう。

私は何回か消防学校の話をこのブログで記事にしたことがあります。で、厳しいので有名だという大阪府立消防学校の教官が、なぜそこまで厳しくするのかという質問に対して大要次のように答えていました。

「ともかく、自分が助からなければいけない。自分が助からなければ他人も助けることができない」

それは当然でしょう。救助の際いちいち自分の命を賭けていたら、文字通り仕事になりません。

同じようなことは、海上保安庁の人も(いま手元に私が読んだ本がないですが)言っていました。自分が助からなければ危なすぎて他人も助けられません。

人を救うのが職業の人でもそうなのですから、ましてや素人はなおさらです。災害時には、ともかく自分が助かることを第一に考えなければなりません。こういうことを書くのはよくないのでしょうが、他人よりも自分を優先させるべきです。

しかし、そうなると、私が動けなくなったら他人が助けてくれなくてもうらみっこなし、っていうことになっちゃいますよね。それは仕方ないですね。素人さんに「私を助けるためにあなたの命を賭けてくれ」とは言えないよね。本当に死ぬのなら、他人が自分を助けてくれないのを怒ったり憎んだり恨んだり悲しんだりする時間もそんなに長くはないわけで。

もっともそれで万万が一助かっちゃって私を見捨てたのが友人だったら、はたしてそいつと今後友人関係を続けられるのかという疑問は生じます。ほかにも友人はいるからいいか。

そんな話はともかく、私も某国で自分の泊まっているホテルが火事になったりとか散々な目にあっているので、危険と無縁ではありません。非常時には、なんとか自分は助かるつもりでいます。
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震災の余波がここにも

2011-04-09 05:56:07 | 東日本大震災 2011
数日前の記事ですが、個人的には興味深いものを見ました。

>日本料理店、大量倒産も=原発事故受け―香港
時事通信 4月5日(火)17時17分配信

香港時事】日本にとって最大の農水産物輸出市場である香港で、これまで人気が高かった日本料理店が、福島第1原発事故の影響を受けて大量に倒産する恐れが出てきた。
 九竜地区の繁華街にある高級日本料理店の経営者は「仕入れ先を関東以西に替えているが、影響は免れない。客が全部で2、3人の日もある」と嘆く。香港人の来客はほとんどなくなったという。
 地元各紙によると、同じ地区にある別の高級日本料理店は1日、売り上げが7割も落ちたため閉店に追い込まれた。一部の日本料理店は食材を日本産から米国産などに切り替えて、安全をアピールしている。
 香港飲食業協会の黄家和会長は地元紙に「約600軒の日本料理店のうち100軒以上が倒産してもおかしくない」と語った。立法会(議会)では「政府が日本料理店に緊急融資を実施すべきだ」との声も出ている。
 香港メディアは連日、日本の放射能汚染問題を大きく報じており、日本食品離れは今後、料理店だけでなく、スーパーなど小売店にも広がる可能性がある。

(引用ここまで)

日本料理じゃなくてもアワビその他も気仙沼あたりから輸入しているわけで、これは香港の外食産業に与える影響は想像以上に大きいかもしれません。

香港に行くと、想像以上に日本文化とかの看板とかポスターとかが多いんですね。拙ブログにのっけた写真からいくつか引用してみましょう。

 



日本医学ってのが宣伝文句になるんですかね。それから「の」というひらがなまで使われています。





観光宣伝ですが、かなり日本文化が浸透していないとこのような広告はつくれません。













このポスターは日本文化とは関係ないか(笑)。



このポスターはばしばし日本語が使われていますね。



韓国とかではこのようなものは香港ほどはとても見かけないもんね。案外香港人というのは日本の文化に対する興味が強いんですかね。台湾がかなり強いという話はよく聞きます。

しかしそのようなところにも、震災の影響は容赦しません。日本国内ばかりでなく、自動車メーカーの海外工場の生産も多大なダメージを受けているみたいだし。

拙職場にも、先日出入りのメーカーさんがやってきて、やはりかなり生産が困っているみたいな話をされていました。スポーツも開催困難です。先日4月2日に関西に行った時、JR西日本(東日本にあらず)の鉄道に乗っていたら、地震の影響で車体のメンテナンスその他に重大な影響が出ているので間引き運転をし、終日女性車両の導入もしばらく見送るみたいな車内放送がありました。私思わず「うひゃー」です。ジェーン・バーキンも、家族(ルー・ドワイヨン? シャルロット・ゲンズブール?)から日本に行くことをずいぶん思いとどまるよう説得されたとか。

そういえばこのブログも最近美女とかヌードの写真は遠慮しています。これは11日をすぎたら再開することとしましょう。
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「おいおい」の記事

2011-04-02 12:42:46 | 東日本大震災 2011
こんな新聞記事を見かけました。

>元ソフトバンク選手ら逮捕=原発近くで切れた電線盗む―福島県警
時事通信 3月31日(木)23時49分配信

福島第1原発(福島県双葉町、大熊町)から半径30キロ圏内の屋内退避地域で、電柱の電線を切断し盗んだとして、福島県警南相馬署が窃盗容疑で住所不定、福岡ソフトバンクホークスの元選手伊奈龍哉容疑者(22)ら3人を現行犯逮捕していたことが31日、分かった。3人は「金が欲しくてやった」と話しているという。
 逮捕容疑は30日午後3時40分ごろ、同県南相馬市原町区で、東北電力が管理する電柱から垂れ下がった電線約10メートル(時価9330円相当)を切断し、盗んだ疑い。
 同署によると、犯行を目撃した通行人の男性が110番した。電線は震災の影響で切れており、3人は地面に垂れ下がった部分を巻き取り、切断していたという。
 伊奈容疑者は2月末にも、知人女性の財布を盗んだとして、兵庫県警淡路署に逮捕されたが、被害届が取り下げられたため、釈放されていた。
 2006年に滋賀県の近江高校からソフトバンクに入団。07年に戦力外通告を受け、08年には独立リーグの四国・九州アイランドリーグ(当時)の徳島インディゴソックスに入団したが、同年退団した。 

(引用ここまで)

おいおい。

住所不定というのが、この人の現状を如実に物語っているかなと。

私は野球に詳しくないので、この伊奈という人にもまったく知識はありませんが、wikipediaによると―

>プロ入り後2007年10月27日、高卒1年目のルーキー選手ながら戦力外通告を受ける。高校時代から右肩に故障を抱えており、4月に右肩関節の手術を行ったが状態は上向かなかった。球団は来季以降の戦力として見込めないと判断し、11月30日付で自由契約が公示された。同年12月、四国・九州アイランドリーグの徳島インディゴソックスに入団。

2008年はシーズン開幕後、指名打者を中心に5試合に出場したが、右肩の回復が思わしくないことから5月31日付で選手契約を解除。練習生としてチームに残る形で右肩の療養を行うことになった。出場5試合での打撃成績は、14打数2安打2打点1盗塁。のちに退団する。

(引用ここまで)

とあります。

こちらのブログさんからの記事より、入団当時の新聞記事から。

>福岡ソフトバンクは1日、高校生ドラフトで3巡目指名した滋賀・近江高の伊奈龍哉外野手(18=182センチ、85キロ、右投げ左打ち)と滋賀県米原市のホテルで仮契約を結んだ。契約金5000万円、年俸600万円。高校通算74本塁打のスラッガーは、小川スカウト担当部長らを前に「背番号は55を着けたい」と堂々と宣言。王監督の年間本塁打記録の「55本」を超える意気込みをみせた。 (金額はいずれも推定)

 74本塁打を誇る長距離砲としての自負に、みじんの揺れもない。プロのユニホームに初めて袖を通したときの照れた表情とは対照的に、打撃の話になると自信満々だ。「野球をやっていて一番、気持ちいいのはホームラン。1年目からどんどんアピールしたい」と気の強さを垣間見せた。

 背番号「55」は現在、ソフトバンク野手最年長の大道が着けている。阪神の金本を尊敬し「プロの世界で太く長く」を狙う伊奈にとっては、大道もまた見習うべき師匠の1人。大道からの、こだわりの背番号“禅譲”を現実にするために、1日も早く実績を築く必要がある。

 甲子園出場直後の2年秋には滋賀県の秋季大会で、スコアボード直撃のライナー性の本塁打を放った。「高校生活で一番、記憶に残る本塁打。センターの頭を抜けたかな、と思ったら打球が伸びた」。地元新聞などにも取り上げられたという逸話のスケールの大きさは、伝説の名選手、中西太(元西鉄)級。「博多の怪童」「中西2世」の称号ゲットも虎視眈々(たんたん)と狙う。 (森竜太郎)

=2006/10/02付 西日本スポーツ=
(西日本スポーツ) - 10月2日10時28分更新

(引用ここまで)

なーんかね、歳月というほどの歳月も過ぎていないわけだけど、残酷ですね、人生って時には。

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かなり復旧は厳しいかも

2011-04-01 07:17:34 | 東日本大震災 2011
本日4月1日、拙宅の庭でウグイスの鳴き声を聞きました。他では聞いていますが、私が聞いたのは今年はこれがはじめてかも。

だいたい予想はしていましたが、かなり前途が厳しいと思われる記事を見ました。

>23駅、線路22キロが流失=津波被害の在来線―JR東
時事通信 3月31日(木)17時29分配信

JR東日本は31日、東日本大震災で津波を受けた大船渡、気仙沼、常磐など東北地方の在来各線を緊急点検した結果、23駅が流失し、18カ所で総延長約22キロの線路が流失、埋没していたと発表した。
 同社によると、30日までに、津波を受けた7路線の約400キロのうち、約152キロの線路と、111駅のうち95駅の点検を終えた。
 その結果、駅や線路、電柱、信号など約720カ所に被害があった。
 気仙沼線の志津川など9駅、大船渡線の陸前高田など6駅、山田線の大槌など4駅、常磐線の富岡など3駅と石巻線の女川駅が津波で流されたり、跡形がないほど破壊されたりした。ほかに19駅の駅舎が損傷した。
 気仙沼線の津谷川橋(約460メートル)など7本の橋が流され、約160カ所でレールが変形、約360カ所で電柱が折れるなどした。
 JR東は復旧の見通しと被害額について「分からない」としている。 

(引用ここまで)

タイトルには「かも」とつけましたが、間違いなく復旧は非常に厳しいですね。線路はまだ4割弱の点検しかすんでいません。損害の激しいところを選んだのかもしれませんが、152キロの線路のうち、22キロが流出ということですから、これは復旧までとんでもない時間と費用がかかるでしょう。そして一番困るのは、これらの線路が完全復旧するというのは私の見たところとても難しいだろうということです。このまま廃線になってしまう鉄道もあるかもしれません。

鉄道はけっこう災害で復旧のめどが立たずそのまま廃線になってしまうことがあります。有名なのは、高千穂鉄道でしょう。2005
年9月の台風で甚大な被害をうけ、けっきょく運行停止→廃線になってしまいました。

今回の地震も損害はちょっとやそっとではすみませんから、かなり残念な結果になることを覚悟しなければならないでしょう。はたして莫大な復旧費を支出してまで鉄道の営業を継続するかどうかです。

前にも書きましたように、ほんと地震の余波はすごいですね。地震はさまざまな人々の希望や夢どころが日々の暮らしまで踏みにじりました。原子力発電所の事故はその最たるものです。

これからもこの地震の被害について私なりに考えていきたいと思います。

同じ日の追記:けっこうかっこいい写真を見つけたのでご紹介します。東北へ石油を運ぶJR貨物の写真です。





写真の出典は、こちらこちら
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