先日のノイズムの公演についての私の感想が、知り合いのお気に召さなかったらしい。
まあ、書いたときから想像がついていたので
>見ている最中に「自分にはこの作品のよさを認識する才能がないのかもしれないな」
>と、思わせられたからだ。
と、付け加えておいた。
ただ、スタッフワークに加わっていた経験からすると
前衛であろうと、正統派であろうと
いいものはよく、そうでないものは、何かしら問題があるのだ。
ノイズムの問題は、抽象化されなければならないものに
説明が入ってしまったところではないかと思っている。
理系でいえば理学と工学の違いだ。
理学は理論が証明できればよく、工学は理論ではなく実用に問題なければいい。
というわけで、理学を応用する工学はあっても工学を応用する理学は成立しない。
踊りとか音楽は、突き詰めていくと理学に該当し、抽象化されるものだと、私は思っている。
だから、演劇に踊りを取り込んだミュージカルは成立するけれども、踊りに演劇的要素を組み込もうと思うと
その部分を説明しなくてはならなくなり、抽象性が薄れるのではないか
と、考えている。
もちろん、バレーに物語があるのは承知しているが、それは演劇的に説明するためのものとは
少し違う気がする。
と、彼のいないところで、自分の考えを整理してみた。
特に第2部『囚われの女王』 を観ているときに
ずいぶんと説明的な踊りだなあ
と、思ったのだ。
まあ、安田理英の「だいこんさま」という踊りを観にいった友人が
どこがだいこんさまだったのか、分からない。
と、書いていたこともあり、ノイズムぐらい親切なほうが一般受けするのかもしれない。
客はほぼ満席だったもの。
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