津々浦々 漂泊の旅

「古絵はがき」 に見える船や港。 そして今、バイクで訪ねた船や港のことなど。       by ななまる

「軍用船宇品丸慰霊塔」を訪ねて

2011-08-12 | 旅行
終戦間際の昭和20年8月10日、「宇品丸」は新潟港内で米軍機の空襲を受けた。新潟市内に
ある慰霊塔は、以前から気になるも場所が判らず、なかなか訪れることが出来なかった。
ようやく参拝する機会を得たので、手持ちの「宇品丸」画像も整理してみた。



軍用船宇品丸慰霊塔は、新潟市船見町という、信濃川河口(左岸)に程近い町の公園にある。
慰霊塔の向かって左に歌碑があり、その後側に慰霊塔建立趣意書が建てられている。
(歌碑)
ああ悲壮 世界平和を夢に抱き
玉砕しけり 宇品の勇士




宇品丸慰霊塔建立の趣意書
大東亜戦争の終戦間近い昭和20年8月10日米軍の戦斗機(グラマン)
数機により新潟港湾附近の空襲を受けた際、偶々同港山田町側に
停泊中の軍用船宇品丸の兵士は敢然としてこれを迎撃奮戦した為に
米軍機も攻撃目標を宇品丸に集中して弾丸のほとんど全部を撃ち尽
して逃走した。その為港湾施設及び市街は最小限度の被害で済んだが
宇品丸の乗員はほとんど玉砕した。
昭和29年地元山田町外有志相図り新潟市の救神となった宇品丸勇士の
英霊を慰めようと慰霊塔建立の議あり。茲に当時の市長村田三郎氏の
筆を得てささやか乍ら建立を実現し、以来毎年町内会にて慰霊祭を
執り行ない英霊に感謝の意を表している次第である。

嗚呼悲壮 宇品の勇士花と散り
その名も数も無きあとの
霊なぐさむと伏し拝む


宇品丸については、『陸軍船舶戦争』の中で、陸軍運輸部が民間商船を購入した経緯やその
活躍が紹介されているので参照されたい。ここでは、画像と共に、来歴の概略を記す。

1919年5月、米国ミネソタ州スペリオル湖岸の Mcdougall Duluth Ship Building Co. で
United States Shipping Board の「CERRO GARDO」として竣工した。
1927年(S2)に大阪市西成区松原通の宗像商事が購入し、「宗安丸」(SOAN MARU)と改名。船籍は
京都府府中(宮津)に置かれた。この時2,214G/T、船舶番号33213、信号符字TMCQ。



陸軍省が購入した年月は把握できないが、帝国海事協会のレジスターは1929年版は「宗安丸」、
1930年版は「宇品丸」であることから、1929年(S4)前後と思われる。陸軍省は購入して直ぐ、
陸軍運輸部本部のあった宇品の地名を命名している。
陸軍省所有となるもレジスターから抹消されなかったのは、N.S.を取得していたからではなかろうか?
ただし、日本船名録からは抹消される。同時期に抹消された「第五室蘭丸」と混同されることが
多いが、ほぼ同じ船型、似通った経歴の故か? こちらは1930年6月13日に占守島で座礁し全損に
帰している。



船の前には多くの兵士が並ぶ。船倉を居住区に使ったためか、大型の通風筒が目を引く。舷側には
四本の大型タラップが掛けられている。



飯野産業舞鶴造船所において修復中の「宇品丸」。操舵室窓部分に数人が取付いて作業中である。
操舵室周辺は、戦後の復旧にあたり造り替えられている。

以下、船歴について、細かいことだが記しておきたい。
S21/22年版船舶明細書(S21.7.1現在)及びS23年版船舶明細書(S22.7.1現在)には「宇品丸」は
採録されていないが、S24年版船舶明細書(S23.7.1現在)には、「国有鉄道公社」所有として掲載
されている。この時2,401.84G/T。後年の版に確認した船舶番号67475、信号符字JIGQだが、船舶
番号は1951年(S26)頃の付番である。船名録や船舶明細書で追いかけていくと、後身の「栄海丸」
終末期に室町海運から永元海運(神戸)に売却、国籍喪失により1966.6.21付で信号符字は抹消され
ている。
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