おんなだって、やればできる

やってやれないことはない

日は昇り、日は沈む。

2008-09-14 23:33:05 | Weblog
9月9日の重陽の節句もすみ、望<もち>月の満月も、雨だった。

そして、なによりも、悲しいことに、先輩の議員さんが、
突然、亡くなられた。

男気のある、こころやさしい人だった。
病院から、自宅に、戻られるのを待たせていただき、
最後のお別れを、することができた。

奥様が、やりたいことがまだまだあっただろうに といっておられた。
本当に、悔しいおもいだ。

志半ばで、旅立たれたご本人も、残念にちがいないが、
今は、心からご冥福をお祈りするほかはない。

悲しいこと、つらいことがあるなかで、季節は巡る。

自分のなかで、粉々に噛み砕き、咀嚼しながら、
耐えて、ゆくしかない。

やがてまた、<日は昇り、日は沈む。>

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小林虎三郎の決断!

2008-09-07 23:23:05 | Weblog
今日は二十四節気のひとつ「白露」

角界では、「露鵬」「白露山」の大麻に陽性反応で、喧々諤々の有様

やはり、外国人力士が、日本の伝統文化を継承してゆくのは、
問題がありすぎるのではないだろうか

かといって、今の私たちに問題がないわけではない。
ひとつの物事を、側面的、いわゆる立体的に、物事を見る
能力に、欠けてきているように、思う。

今ここに、山本有三の「米百俵」がある。

戊辰戦争で、焦土と化した城下町、長岡。
その窮状を見かねた、支藩より、見舞いの米百俵が届けられた。

だが、配分を心待ちにする藩士が手にしたのは、「米を売り学校を建てる」との
通達。
いきり立つ、藩士を前に大参事小林虎三郎は「百俵の米も、食えばたちまち
なくなるが、教育にあてれば、明日の、一万、百万俵になる」と諭す。

軒別にすると、1700軒、頭数にすると8500人、一軒のもらい分は、2升そこそこ。
一人当たりにすると、4合か5合、一日か二日で食いつぶしてしまう。

一日や二日で食いつぶした後に、何が残るのか。
その日ぐらしでは、長岡は立ち直らない。先の見えた人物がいたら、
餓えて苦しむことはなかった。

国が興るのも滅びるのも、町が栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。
ひとつのことを、追いかけていたのでは、何時になっても、建て直しの大本が決まらない。

まず、大本を決めることである。

こうして、藩士を説得し、学校を建てて、藩の子弟の教育をし、
人材を育ててゆくのである。

ややもすると、目先のことだけに、とらわれがちで、先の見えない話は、わかりずらいものである。

今の人たちは、あまり本を読まない。

文学少女だった、おばはんとしては、じつに、なげかわしい。

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繭とし眠る

2008-09-05 23:47:48 | Weblog
<このごろな、髪が、くせ毛になって、前髪が、決まらんで、いやじゃあ>

<あんな、年よると、髪もほそうになって、くせ毛に、なるんじゃと>

<わしもなあ、このごろ、髪が、もつれて、櫛が、とうらんで、
       こまっとうんじゃ>と わが背の君が、のたもうた。

> だれも 声なし。

ほなってな、ここだけの、話じゃけんど、
丹生谷でな、だれやらと、だれやらが、<ハゲます会>つくる、ゆうたとき、

わが亭主殿にも、まず、お声がかかったんでよ。

ほんでな、たまごの白身で、朝な、夕な、ていねいに、こころをこめて、
みがきなはれ、と
お知恵も、いただいたんでよ。

ほんなんじゃのに、<もつれるほど>あるとは、だれが、みても、
おもわれへんでよ。

きもちって、不思議ナモンヤナア

あるとおもえば、そこに、ないもんが、あるんやけんなあ。

まあ、これもそれも、主観の相違やなあ<まったく、まったく>

死はつねに
生に寄り添いわが内に
在りしと思う
緑浴みつつ    橋本 喜典

昨日より
雨ふりやまず
寒ければ
ひとつふとんを
繭とし眠る    河野裕子




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おまえ百まで!

2008-09-04 23:40:59 | Weblog
自民党の総裁選に、

麻生太郎、小池百合子、石原伸晃、与謝野薫などの、名前が
挙がってきた。

麻生太郎がこのまま単独トップで、このレースを、押さえてゆくのか。

わたしの、近況は、またまたぎっくり腰再発。

這って歩くわたしを見て、孫が大喜び

おかげで、亭主をおおっぴらに使うことができる。

でもまあ、なんというても、
ありがたい、ありがたい<亭主殿>じゃなあ!

澤田ふじ子の「討たれざるもの」再読。

わたしは、時代ものが好きです。

なぜかというと、ふじ子もいっているが。
現代も古い時代も、人間の根元の因子は同じで、作中の人物に
心情や生活のありようが、自分に重ねることができ、共感ができるからです。





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おどろき、もものき、さんしょのき

2008-09-03 16:32:56 | Weblog
福田首相辞任

一年間に二人の首相が、自分の仕事を投げ出すなんて
ゆっるっせなあーい(怒)

でもまあ、われわれ下々では、はかりしれない、
魑魅魍魎が、永田町では、跋扈しとるんだろうが。

国民不在の、伏魔殿と化した国会に、
だれが未来を託せるだろうか



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ていしゅの”鑑”

2008-09-01 14:16:43 | Weblog
滝口康彦の「上意討ち心得」を、再読中。

なかでも(「拝領妻始末」)は、昭和42年に映画化され、主演に三船敏郎と、仲代達也 加藤剛、ヒロインに司葉子が、出演している。

司葉子の<いち>は、白芙蓉の花のように、きりっとして、美しい。

それに白黒の映画なので、なんともいえない郷愁が、ある。

あらすじは、ヒロイン、<いち>が、許婚者のある身でありながら、
お家のためという名目で、藩主の愛妾となり、子どもを生む。

ところが、藩主の心変わりから。お市のかたは、家臣 笹原与五郎の妻に、下げ渡されることとなる。
いわゆる、拝領妻である。


与五郎といちの間に女の子が産まれた幸福もつかの間でしかなかった。
お市の方が生んだ子が、お世継ぎとなり、与五郎は、いち の返上を、
藩命として迫られるのである。

女性蔑視、軽視が当たり前の、武家社会の非人間性に、身を持って、いちは
抗議する。それがおんなの幸せを踏みにじったものへの「せめてもの意地」
だった。

そのいちを、お家断絶の覚悟をもって、藩命に拒否するのが、与五郎と、
舅の伊三郎であった。

与五郎といちが、家臣に殺害されたのち、伊三郎は、孫のとみを背負って、
江戸に、この不条理を訴えでようと、脱藩を企てる。

それを、阻止するのが、原作にはない、仲代達也の関所番である。

三船の伊三郎と、仲代の決闘は、白黒だからこその、
迫力満点のシーンだった。

心に迫る、いい原作であり、いい映画である。

慶二さんがいう

<昔だったら、だんなの前だろうと、どこでもここでも屁はこく。いびきはかく。鼻くそは、ほじる。ほんな、お前の首や、なんぼあっても、たらへんぞ。>

<はあー。だれにいうとんで。

血漿の
さらさらさらと
夢の夢     時実 新子




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一字違いで、大違い!

2008-09-01 00:41:05 | Weblog
今日の「出逢いのパーテイー」は、男性女性、100名弱という、大盛況。
その大勢のなかから、7組のカップル成立。

7組のうち、どちらか片方は、縁むすびの会員で、一組は、両方が会員という、
まったくもって、うれしい結果がでた。

ほれはほれとして、
はたまた、わたしのはやとちり

<あの~ 字がまちごうとんです けんど>
<ほなって、ロウソクの蝋って いうたでえ> 

<あの~ロウドクの朗って いうたんじゃけんど>
<ン ン、、、、、、、、、>

ロウソクとロウドク  にてまへんか?
漢字で書くと。<蝋燭と朗読>



<晃一蝋やのうて、晃一朗です!>






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おばはんの品格 とは?

2008-09-01 00:02:29 | Weblog
今日は、2回目の「きらめきサポート講座」開催

<魅力的な女性へ変わるヒント>
~女性は一瞬にして変われる~  講師 山根 理絵氏

メラビアンの法則によると、人の第一印象は
視覚からの情報が、55パーセントである。
その1  身だしなみ
その2  笑顔の連鎖
その3  正しい姿勢

聴覚からの情報が、38%である。
その1 話すスピード
その2 語尾をはっきり
その3 イントネーション
その4 声の質

ということから
濁音や、小さい<つ> 略語は、あまり多用しない。
ていねいに、落ち着いた話し方をする。

心をひらくクッション言葉として、
恐れ入りますという固い言葉より、大変お手数ですが とか
済みません(謝罪の言葉)よりも、有難う(感謝の言葉)
ごめんなさいよりも、申し訳ございません という言い方をする。

要するに、相手が感じよく受け取れる言葉を、選んで使うことである。

ということは、

いつでもどこででも大口で、わはっは と わろうたり

敬語も丁寧語もへったくれもない

わたしらの、おばはん言葉は、あんまり、いかんちゅうことじゃなあ。

いまさら、ガラッパチが、なおるはずもなし。

まあ、わたしら、<おばはんの品格>については、
黄門さんの印籠みたいなもんで、
天下のお墨付き いただいとるようなもんやしなあ。

なんちゅうても、わたしやさっちゃんが、淑女になってしもうたら、
世の中、真っ暗になってしまうんと、ちがいまっか?














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