ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「日野皓正さんへ あなたが今回暴力を振るった子どもに言わなければならなかったことを教えます」

2017年09月03日 | ひとりごと
数日前、トランペット奏者の日野皓正氏が、中学生に暴力を振るったというツイートを見かけてから今日まで、自分の考えをまとめようと思っているのだけど、なかなかまとまらない。

音楽教育の現場で生じる言葉や手足による暴力については、生徒だった頃の自分自身が経験しているし、まだ教え始めの未熟な教師だったわたし自身が、暴力(口撃)を振るったこともある。
そういう教え方が良しとされていた時代に、散々嫌な思いをし、ご飯が喉を通らないほど怖かったにも関わらず、自分が教える立場になった途端に、度を越した厳しい言葉を投げつけている自分に、何度失望したことか。
だから、自分自身を改めようと、いろんな心の訓練をした。
けれども、自分の中に深く刻まれてしまった経験則を崩すには、思いの外長い時間がかかった。
教師生活が始まってからの数年間の頃のわたしに、運悪く教わった人たちの中には、ピアノそのものを嫌になった人がいるのではないかと、今でもとても後悔している。

そしてこちらに移り住んでからの17年半の間にも、失敗と後悔と反省を繰り返し、今もまだ、これでいいんだと思える教師になることができないでいる。
けれどもここでは、付き添いで来る親御さんや生徒たちが、わたしの振る舞いに疑問があればすぐに指摘してくれるので、お互いにそのことについて話し合えるようになった。
こんなことは日本では全く無かったので、はじめは面食らってしまった。
特に、レッスン中における生徒からの反論や苦情は、わたしの生徒&先生感の中には存在していなかったので、初めて言われた時などは、驚きのあまり頭の中が真っ白になった。

今なら言えるごめんなさいも、最初はなかなか口から出てこなかった。
人の親になり、小さな子どもといえども一人一人の人格があり、思いがあり、社会が存在するということを学び、
いくら躾だとしても、過ぎたことを言ったりしたりした時は、言い過ぎてごめん、悪かったと謝れるようになったのに、
自分の教え方(それはいつも口調だったり態度だったりした)に苦言を呈する生徒に、すぐにごめんなさいと言えるようになるには時間がかかった。

まあ流石に、こちらに来て17年になった今では、ごめんなさいを言うことも無くなったのだけれど…。

そんなわたしなので、日野氏が振るった暴力について、いろんな思いが交錯した。
アメリカでもし同じようなことをしたら、まず逮捕されることになる。
そういう、文化や常識や、世間的な空気の違いについても考えた。
そして、ジャズ音楽そのものや、学校教育や学校行事に対する大人たちの受け取り方や考え方についても考えた。

日野氏は後日、他の子と違い、(暴力を振るった)生徒とは父と子のような関係だからと、体罰を肯定するコメントを出した。


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日野皓正「俺とアイツは父と息子なわけ」“中学生ビンタ”を釈明
【デイリースポーツ】2017年9月2日
http://news.livedoor.com/article/detail/13553920/

ジャズトランペット奏者の日野皓正(74)が1日、仕事先の韓国から帰国。
羽田空港で取材に応じ、先月20日のコンサート中に中学生をビンタした件について、あくまで教育として行った、と話した。

日野は、ドラムの腕前を評価しているという当該の中学生について、「1年前から深い関わりがあった」と説明。
当日は、ドラムソロを他の生徒と順番に行うはずが、その生徒が制止を振り切って続けたという。
日野は「『他にも待ってるだろ?』と言ってもやめないから、『バカヤロー!やめろ!』と」と注意したといい、ビンタについては「軽く触っただけ」と、意図的ではなかったとした。

生徒は反省し、終演後に楽屋まで謝罪に来たという。
日野は、「俺とあいつは、父親と息子なわけ。他の生徒には絶対に手を上げない」とした上で、
「ヤツの心を立て直してやらなきゃという思いがある。だから、これからもやるよ。ビンタもね、アントニオ猪木の方が数段痛いと思うよ」と、愛情を持った教育の一環であることを強調した。

さらに、「音楽や集団行動っていうのは、和を考えないと。周囲をリスペクトしないと」と持論を展開。
結果として、手をあげたことについては、「行き過ぎたところは分かる。それは謝る」としつつ、「でも、必要な時もあるんだよ。それだけのこと」と主張した。

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ネット上では、あらかじめ決められていた小節数を大幅に超えたソロを、延々と演奏し続けた中学生の生徒が悪い、という意見が寄せられ、
当人の中学生やその父親が、自分が悪かった、息子が悪かった、このことが原因で、この企画が無くなってしまうようなことになって欲しくない、と言っていた。


いやあ、やっぱオカシイわ。
っつか、あんなにジャズジャズって強調しておいて、実は『中学生の音楽会』という枠の中で収まっとかないといけないもんだったんだ。
それならそれで最初っから、日本ジャズ界の大御所なんて呼ばなくていいだろうに。
そういうふうに、ジャズには当たり前の枠をはみ出すようなことをしないよう、場をまとめるのがうまい講師ならいっぱいいるんだから。
でも、そもそもこの企画の名称は『Dream Jazz Band』なんだよね。
『せたがやこどもプロジェクト2017《ステージ編》 日野皓正 presents “Jazz for Kids”』
Jazz for Kidsってはっきり銘打ってる。

こっちでもそういうのいっぱいあって、いろんなとこでコンサートしてるから、わたしも何回か聞きに行ったことがある。
今回の中学生のように、トレーディングって呼ばれる、ドラムと他の楽器のソロ交換(大抵長さが決まっている)で、決まってる長さを無視して演奏しちゃう子がいたり、
もっと激しいのだと、興奮し過ぎてか、とっくに最後の締めに入らなければならないのに収拾がつかなくなって、ソロがやめられなくなってしまう子がいたりするけど、
そんな時、ディレクターはどうするかっていうと、たいていの場合、手のひらを上にして肩のところまで上げるジェスチャーで「ボクにはお手上げでーす」と笑わせたり、
他の楽器の子どもに「おい、あいつをなんとかしろ」と、演奏で止めるよう指示したり、
いずれにせよ、そこにはユーモアと、何よりも演奏する喜びや興奮を体中で表現している子を尊重する愛情と、外すことを悪としないジャズの自由さを受け入れる寛容さがある。

それに、いくらソロが長過ぎるからって、延々と10分も演奏できるわけもないし、たかだか数分延びたところで、他の子が演奏できなくなるってのも理解できない。
させてあげればいいじゃない。
会場だって、区がやってるプロジェクトなんだから、曲の長さがその子がソロを長引かせた数分オーバーしたからって、全く問題にならないだろうに。

いずれにせよ、今回のことは、わたしが超〜未熟な教師だった頃の失態と、あまり差がないなと思った。
あ、でも、わたしの失態は日野氏のような、演奏道具を奪い取って床に投げつけたり、髪の毛を鷲掴みにしたり、頬をぶったりなんかではなくて、あくまでも口撃のみなので誤解しないでくださいね。

だから日野氏は、ちゃんと謝らなければならないと思う。

あの時は、つい激情に走ってしまって、あんなふうに暴力を振るったり、きつい言葉を投げつけてしまって悪かった。
ああいうことは絶対にしてはならないことだった。
他の子に比べて深い関わりがあり、自分の中では父のような気持ちで接していたこと、そして日頃から君のドラムの腕前を評価していたとしても、あんなことをするべきではなかった。
僕は君より、体も手も大きい。
そういう物理的に大きい者、立場的に強い者は、絶対に暴力を振るってはいけないのに、あろうことか子どもたちの目の前で、舞台の上で、怒りに負けてやってしまった。
どんな事情であれ、どんな理由であれ、絶対にやってはいけないことだった。
ただただ反省し、申し訳ない。


そして、こうも伝えてほしい。

ジャズという音楽の中では、君の態度は間違っていなかった。
あの時の興奮と喜び、収拾がつかなくなった緊張感を忘れないでほしい。
このことで、君のジャズに対する夢や目標が、傷つくことなく復活してくれることを祈っている。


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フェイスブック友のてっちゃんが、彼のFBページに載っけてた記事。
今回の事件について、ジャズミュージシャンとしての見解を書いてくれていて、とてもわかりやすいので紹介する。

日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャズミュージシャンが考えてみた
【八幡謙介ギター教室 in 横浜講師のブログ】2017年8月31日
http://k-yahata.hatenablog.com/entry/2017/08/31/日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャ

ジャズトランペッターの日野皓正がコンサート本番中に舞台上で中学生のドラマーからスティックを取り上げ、さらに往復ビンタという暴行に及んだ件について、元ジャズミュージシャンという立場から考えてみました。

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世界的ジャズ・トランペット奏者、日野皓正が男子中学生をビンタする驚愕動画
【週刊新潮WEB】2017年8月30日
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170830-00529717-shincho-soci&p=1

「日野皓正」暴行動画
 
74歳の世界的ジャズ・トランペット奏者が、4カ月にわたって中学生のビッグバンドを指導。
そして、1夜限りで夢の共演を果たす――この企画なら、人気も当然だろう。

「せたがやこどもプロジェクト2017《ステージ編》 日野皓正 presents “Jazz for Kids”」は、世田谷パブリックシアター(東京都世田谷区太子堂)で毎年8月に開催され、今年で13年目を迎える。

8月19日に開かれた、『日野皓正 Quintet Live』も話題となったが、やはり本命は、翌20日に開かれた『Dream Jazz Band 13th Annual Concert』だ。
公募で集まった世田谷区立中学の生徒たちが、日野皓正氏など一流のミュージシャンから、指導を受けた成果を発表するのだから、人気を集めないはずがない。

今年も、数百人の観客がシアターを訪れ、ビッグバンドの奏でるジャズに聞き惚れた。
演奏者の中学生にも、最高の夏休みが保証されていたはずのイベントは、突然、暗転する。
公開中の動画を見て頂きたいが、本番も本番、観客の前で、ドラマーが演奏している真っ最中にもかかわらず、ただならぬ雰囲気を漂わせながら、日野氏がステージ上を歩いていく。

日野氏は、ドラマーの背後に回り込むと、スティックを取り上げる。
ジャズのエンターテインメント性は高い。
何より演奏を楽しんでいた観客が、これから暴行事件が起きるとは予想できるはずもない。
何か面白いハプニングが起きていると誤解し、笑い声が上がるのが極めてリアルだ。

スティックを日野氏は放り投げるが、ドラマーが手で叩き続け、観客の誤解も解けない。
再び笑い声が起きるが、日野氏がドラマーの髪の毛を鷲摑みにしたあたりから、シアター中を困惑が急速に広がっていく。

ドラマーの顔のあたりで、日野氏の手が2回ほど動く。
ビンタをしているとしか思えない。
更にドラマーに向かって、「なんだ、その顔は!」と罵倒するに至って、演奏中であるにもかかわらず、世界的ジャズミュージシャンが、観客の目の前で中学生に暴力をふるうという、異常な状況を記録した動画だと分かるのだ。

世田谷区役所は「行過ぎた指導であったと…」
 
我々は、世田谷区役所に取材を申し込み、教育委員会から回答を得た。
まず、日野氏の暴行については、

〈ソロパートでなかなか演奏を止めなかった子どもに対して、コンサートの進行に支障が出ると日野氏が判断し、演奏を中断させるということがありました。
その際にとった行為につきましては、教育委員会としましても、行過ぎた指導であったと捉えております〉

と、事実関係を、ほぼ認めた。
今後については、

〈日野氏の事務所とは、今後も事業を実施するために、話し合う機会をもつ予定です〉

と、暴行問題の解決を目指し、それが実現した場合は、来年以降もコンサートを続けたいとの意向を示している。
回答は最後に、

〈教育委員会としましては、今回の件について、重く受け止め、「新・才能の芽を育てる体験学習」の趣旨に沿った事業運営をとなるよう、運営に努めてまいります〉

との一文で締めくくられている。

日野氏の所属事務所にはFAXを送り、担当者の携帯などにも電話をしているが、8月30日午後4時に至るまで、回答はなかった。
(週刊新潮WEB取材班)
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日野の行為が児童虐待であることは間違いありませんが、それでもなぜか、日野擁護論がネットに多く見られます。

その根拠は、この中学生ドラマー(以下:少年)が場を乱した、ルールを破った、指示を無視したから殴られて当然、ということらしいです。

だとすれば論点は、少年のプレイにどこまで非があったか、となります。

さらにこれは、ジャズという音楽を演奏する上での出来事なので、ジャズ的にどれほどの非があったかと考えるべきでしょう。

そこで、ジャズミュージシャンの専門的な見地が必要となるのですが、事件がネット上で話題になってから一晩たっても、ジャズミュージシャンの意見が聞こえてきません。

まあそれも当然で、下手なこと言って大御所中の大御所ににらまれでもしたら、仕事していけませんからね。
ということで、ジャズをやめた元ジャズミュージシャンの僕が、この件について解説したいと思います。



まず、少年がルールを無視したとされる問題の場面について。

ここはどうやら<トレーディング>というセクションでの出来事のようです(ツイッターで検索したところ、実際にそのコンサートにいた人が書いていました。ただし面識のない人なので引用は控えます)。

<トレーディング>(日本では4バースとか8バースと呼ばれますが、ここでは英語圏の共通用語であるトレーディングで統一)とは、楽曲の後半でドラマーとソロイストが、交代で任意の小節間ソロを披露する場面です。

例えば、

トランペット4小節ソロ(伴奏あり)

ドラム4小節ソロ(ドラム以外は全員休む)

アルトサックス4小節ソロ(伴奏あり)

ドラム4小節ソロ(ドラム以外は全員休む)……


といったルールでソロを回していく。

全員が同じ小節だけソロをしていくというのも、ルールの範疇です。

そしてここは、ある意味、ドラマーが目立つためのセクションといってもいいでしょう。

なぜなら、ドラムソロの間は、完全に自分だけになるので。

ですから、ドラマーにとっては、「ここぞ!」という場面になります。

当然かっこよく目立とうとするし、そうあるべきところです。

少年が問題とされる行為をしたのはこのセクションであることを、押さえておく必要があるでしょう。



では次に、ジャズという音楽の、<精神>について述べておきます。
これを理解しないと、問題の本質が見えてこないからです。

ジャズには、<逸脱>という暗黙の精神が存在します。

これは、「ちょっとぐらい人と違っててもいいんだよ」といったレベルではなく、「逸脱しなければジャズじゃない」といった、ほとんど強制に近いものだと考えて構いません。

例えば、「礼節を重んじない者は日本武道をやる資格がない」というのと同じです。

ジャズが面白いのは、この<逸脱>が単なる精神論ではなく、音楽的手法として存在していることです。

例えば、「アウト」という技法がそれです。

「アウト」とは、コードにない音(外れた音、指示されていない音)をわざと使って、独特の浮遊感や緊迫感を出す、ジャズの必須テクニックです。

メロディやハーモニーにおける「ジャズっぽさ」というものは、この「アウト」の産物であり、<逸脱>の成果です。

リズムにおいても、ジャズでは少し遅らせたり揺らしたりし、正しいリズムから<逸脱>することがよしとされます(これは目指す演奏によって違ってきますが)。

歌もそうです。

ジャズシンガーで、譜面通りに歌を歌う人はいません。

ジャズを歌う場合は、正しいメロディから<逸脱>し、その場その場で自分らしく作り替えることが必要となります。

このように、ジャズという音楽には、あらゆる演奏(歌)、あらゆる場面に、<逸脱>が求められるのです。

そうした<逸脱>の歴史が、ジャズの歴史と言っても過言ではないでしょう。

ちなみに、日本人のジャズが面白くないというのは、日本人含め世界の共通認識ですが、なぜかというと、<逸脱>したがらないからです。

仮に<逸脱>するとしても、過去の前例やその場の空気、指導者のGOサインを見てからようやく、という人がほどんどです。

日本のジャズシーンに、仮に<逸脱>があるとすれば、それは根回しされ事前に許可されたものです。

そうでないと空気が読めないとされ、使ってもらえなくなるからです。

プロのジャズミュージシャンでも、誰かが<逸脱>したら怒る人がよくいます。

日本人にはそういう人が多いです。



最後に、ジャズのルールとして、もう一つ説明しておきます。

ジャズは<逸脱>する音楽ですが、同時に、そこからの<回復>も必要です。

<逸脱>しっぱなしではめちゃくちゃになるだけです。

コードやリズムからいっとき<逸脱>しても、また元にひょいと戻れるスキルも、絶対に必要とされます。

この<逸脱>と<回復>をきっちり使いこなせるのが、一人前のジャズミュージシャンです。

<逸脱>は勇気さえあれば誰でもできますが、そこからの<回復>はスキルや経験値がなければ難しいです。



では、改めて話を戻しましょう。

少年の行為は、

1、ドラムが目立つセクションで

2、尺を守らずに<逸脱>し

3、そこから<回復>できずに場が崩壊してしまった。


というものですが、僕からすれば、この少年はジャズの精神をしっかりと持っている、立派なジャズミュージシャンだと思えます。

おそらく彼が<逸脱>したのは、トレーディングの場面のみでしょう。

それは、自分が<逸脱>してもいい場面をきちんとチョイスしていたことの裏付けとなります(トレーディングはドラムが目立つ場面)。

そして、「おのおの決まった小節ずつ平等にソロを回す」という決まりを本番で無視し、自分だけのドラムソロとして食ってしまうことは、<ジャズ的>には全然ありです。

ただし、その後に<回復>できなかったのは彼の責任なので、その点は叱責されてもいいと思いますが、中学生ということを鑑みれば、仕方ないで十分済ませられます。

それにしても、この少年の勇気には脱帽です。

考えてみてください。
日本人の中学生が、世界的アーティストの監督する舞台の本番で、自らルールを破り、ジャズの精神に則って<逸脱>したのです!(しかもスティック取り上げられても、髪を掴まれても反抗してる!!)

この一点だけ見ても、僕には彼が、そこらへんのプロよりも立派な「ジャズミュージシャン」である、と思えます。



ここで疑問が生じます。

ではなぜ、生粋のジャズミュージシャンである日野皓正は、少年を称えずに暴行を加えたのか?

正直、僕には全く理解できませんが、おそらく、監督である自分の指示に従わなかったのが気にくわなかったのでしょう。

あるいは、みんなが平等な尺でソロを回しているのに、少年がそのルールを破ったことに怒ったのか。

何にせよ、日野の怒りは、<ジャズ的>に不当であり、私には見当違いに思えます。

バンドメンバーの誰かが、本番で打ち合わせと違うことをやりだしたなんて、彼の長いキャリアで数え切れないほどあっただろうし、それを本番中になんとかまとめあげ、着地させるスキルも持っているはずです。

そういった音楽的解決をせず、感情にまかせて、舞台上で児童暴行に及んだ日野皓正を、擁護する価値はありません。

「世界的ジャズミュージシャンが怒るほどだから、少年の行為が<ジャズ的に>間違っていたんだろう」と考える人もいるでしょう。

それは権威主義というものです。

この少年は、今回の事件にめげずに、今後も本番でどんどん<逸脱>してほしいと思います。

それこそがジャズなのですから!



以下は余談として。

ベッキー不倫事件以来、こうした問題に対して、必ずといっていいほど、「当事者間の問題なので、部外者が口を挟むべきではない」とする当事者論が起こるようになりました。

不倫はともかく、本件に関しては、当事者間の問題では済まされません。

なぜなら、日野皓正は、「ジャズミュージシャン」あるいは「ミュージシャン」という肩書きを背負った上で、児童虐待を行ったのであり、
結果として、世間的に、「ミュージシャンは子供に平気で手をあげる」といったイメージを流布したからです。

これは、音楽講師としてはとばっちりです。

ミュージシャンに子供を預けるのは怖い、何されるかわからないと考える人が増えれば、音楽教室全体が不振になりますし、音楽教育も進まなくなるでしょう。

また、子供が音楽に興味を持っていても、今回の件を受けて、親が習いに行くのをやめさせるという事例が、将来的に起こるかもしれません。

このビンタ事件は、決して当事者間では済まされない問題を内包しているのです。

本件が、日野皓正個人が起こした暴行事件であり、ミュージシャンや音楽講師全体の問題ではなく、彼自身の問題であると、広く世間に認識されるよう、適切に報道されることを、いち音楽講師として望みます。

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