ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

高校生平和大使のみなさん、世界に向けて堂々と、核兵器禁止条約を推進すべきだと主張してきてください!

2017年08月22日 | 日本とわたし
もうね、高校生平和大使のみなさん、しっかりと用意した演説を、堂々とやってきてください。
核兵器禁止条約を反対しているような、世にも愚かで情けない日本政府のことなど無視して、
日本にも、まともな考えや願いを持つ人間がたくさんいることを、どうか世界に伝えてきてください。

なにやら、安倍氏の腰巾着が同伴するようですが、そいつはこれまでにもこそこそと根回しするのが得意であるところから、
『核兵器禁止条約に反対する米側と歩調をあわせ、国連でのネゴシエーションや、国内の世論調整を担わせるため』に抜擢された男のようです。
だから、色々と裏で動くでしょうけれど、会議のスタッフに直接談判して、演説の機会をもぎ取ってください。

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「20代目の節目なのに」 高校生平和大使の演説見送り、長崎から落胆の声
【西日本新聞】2017年8月20日
https://www.nishinippon.co.jp/sp/nnp/national/article/352071/

スイスのジュネーブ軍縮会議で、高校生平和大使による演説が、今年は見送られる見通しとなったことを受け、毎年、平和大使を派遣している被爆地の長崎では、大使経験者や被爆者らから、「残念」「意見の違いを尊重して」などの声が上がった。

長崎市では19日、今年の高校生平和大使22人のうち、長崎から派遣される3人の出発式があった。
彼らは演説を想定し、英語力を鍛えてこの日を迎えた。

引率する元教師の平野伸人さん(70)=同市=は、取材に対し、
「正式に見送りを伝えられたわけではないので、何とも言えない」と絶句。
その上で、
「政府が反対している核兵器禁止条約を、平和大使が『推進すべきだ』と主張してしまうことを、外務省側が恐れたのではないか」と推測した。

議事内容次第では直前の変更もあるといい、「演説ができることを期待している」。

出発式に参加した被爆者の井原東洋一さん(81)=同市=は、
「条約への言及を懸念しての対応ならば、政府と市民社会の溝が、もっと深まる結果になるだろう。
立場に違いがあるからこそ、互いを尊重する寛容さが必要だ」
と懸念を示した。

昨年、長崎の平和大使として、ジュネーブ軍縮会議で演説した大学1年の永石菜々子さん(19)=東京=は、
「(演説の見送りに)驚いたし残念に思う。今年は核兵器のない世界に向けて前進した年で、平和大使も20代目の節目。演説には絶好の舞台だと思っていたのに」と、険しい表情を見せた。

昨年も、日本政府と平和大使の温度差を強く感じたという永石さんは、
「双方の考え方のギャップを埋めるのは難しいだろうが、頑張っている高校生が活躍できる場を途絶えさせてはいけない」と訴えた。


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高校生平和大使の核廃絶演説中止の背後に、安倍腹心の軍縮大使…集団的自衛権にも暗躍した、防衛官僚が軍縮会議の代表者に
【LITERA】2017年8月22日
http://lite-ra.com/2017/08/post-3403.html


軍縮大使に就任した高見沢将林氏(軍縮会議日本政府代表部公式 HPより)

スイスのジュネーブ軍縮会議で、「高校生平和大使」による演説が見送られたことが、波紋を広げている。
 
高校生平和大使は、日本の高校生が国連に赴き、核兵器廃絶を訴える活動。
1998年に始まり、近年では2014年から3年連続で、核兵器廃絶の演説の機会が与えられ、ジュネーブ軍縮会議の本会議で、高校生がスピーチを行っている。
また、活動20年目にあたる今年は、核兵器の廃絶と平和な世界の実現を目指すための署名が、過去最高の21万4300筆も集まった

 
8月17日には、高校生平和大使に参加する長崎県の高校生3人が、田上富久長崎市長を表敬訪問。
軍縮局幹部の前での演説を予定していた女子高生が、
「微力ながらも、世界に核兵器の廃絶を、精いっぱい訴えてきたい」と抱負を語っていた(毎日新聞8月18日長崎版)。
 
ところが、その核廃絶の願いを届ける高校生の演説が、今年は不可解なことに、直前で白紙になってしまったのだ。
 
いったい何が起きたのか。
当初、高校生平和大使は、22日に国連へ決議文を提出し、軍縮会議の場でスピーチをする予定だったが、

共同通信によれば、18日に、急遽取りやめとなったことが判明。
軍縮会議日本政府代表部は、「今年は軍縮会議の議事上、適当でないと判断した」としている。

一方、東京新聞は、
〈関係者によると、大使を派遣する市民団体「高校生平和大使派遣委員会」が、今年も軍縮会議での演説を打診したところ、外務省の担当部局である軍備管理軍縮課から「今回は難しい」と回答があった。明確な理由の説明はなかった〉、と報じている。
 
つまり、日本政府側が高校生平和大使側に、説明もなくストップをかけたというのだ。
20日付けの西日本新聞では、引率する元教師が取材に対し、
「正式に見送りを伝えられたわけではないので何とも言えない」とした上で、
「政府が反対している核兵器禁止条約を、平和大使が『推進すべきだ』と主張してしまうことを、外務省側が恐れたのではないか」と推測しているが、実際、そういうこととしか思えない。


▪️対米従属の先兵だった元防衛官僚を、軍縮大使にした安倍政権

周知の通り、日本は“唯一の被爆国”であるにもかかわらず、核保有国であるアメリカなどとともに、核兵器禁止条約に反対の姿勢をとり続け、交渉にすらも参加しなかった
今月7日の国連採択後も、日本政府として「署名しない」と明言するなど、世界の潮流である核軍縮へ、強固に反発している
 
さらに安倍首相は、今年の広島と長崎での平和式典でも、露骨な態度を見せた。

松井一実広島市長が、
「日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して、核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい」と求め、

田上長崎市長が、
「核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません」と強く批判したのを尻目に、

安倍首相はあいさつで、核兵器禁止条約に一切言及しなかったのだ。
 
そう考えてもやはり、今回の高校生平和大使の件では、政府側が強くプレッシャーをかけて、高校生による国連での核廃絶スピーチを、阻止したと考えるのが自然だろう。
 
さらに、このスピーチ取り止めには、軍縮会議日本政府代表部大使(軍縮大使)の人事が関係しているのではないか、ともいわれている。
 
この軍縮大使というのは、その名のとおり、ジュネーブ軍縮会議の日本政府代表なのだが、
昨年12月の人事で、その責任者に、安倍首相と近い防衛官僚の、高見沢将林氏が就任していたのだ。
 
軍縮大使に、外交官ではなく元防衛官僚が就任するのは、異例中の異例
実際、ここ20年をみても、民間から起用された猪口邦子氏(現・自民党参議院議員)を除いて、全員が外務省出身者だった。
 
しかも、高見沢氏は、昨年の退官まで、一貫して日米安保畑を歩んだ、元エリート防衛官僚で、
第二次安倍政権では、安全保障担当の内閣官房副長官補として官邸入りするなど、安倍首相の覚えがめでたい人物。
集団的自衛権の行使容認を議論する、首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の事務局を仕切り、
2014年の閣議決定の際には、高村正彦・自民党副総裁や、横畠裕介・内閣法制局長官らとの「秘密会合」で、政府案を練り上げた
ほか、
日米安保体制=対米従属の固定化を目指す、安倍政権の裏方をつとめてきた


▪️軍縮大使は民主党時代、米国に沖縄基地を県外移転しないよう提言していた

その高見沢氏が、いかに“日米安保の権化”であるかを示す、こんなエピソードもある。

沖縄の基地負担減を目指した民主党政権が、米軍普天間基地の「県外移設」を掲げた際、
当時、防衛政策局長だった高見沢氏が、2009年10月、当時のキャンベル米国務次官補に、
「(民主党の県外移設案に)あまり早期に柔軟性を見せるべきではない」と耳打ちした
ことが、ウィキリークスが公表した米国の公電によって、明らかになっている。

また、1996年の、辺野古代替施設建設の日米交渉時には、オスプレイの配備を念頭に置きながらも、地元側に明言しないよう米側と想定問答集を調整したとされるなど、
高見沢氏は、米側を慮る日本政府の方針を、陰に陽に実行に移してきた
 
こうした経緯を踏まえれば、安倍政権が高見沢氏を、軍縮大使に異例の起用をしたのは、
あきらかに、核兵器禁止条約に反対する米側と歩調をあわせ、国連でのネゴシエーションや、国内の世論調整を担わせるためだろう。
 
今回の高校生平和大使の演説取りやめも、その延長線上にあると考えるべきだ。
もっとも、高見沢氏による直接の指示があったかは、現段階では不明だが、
少なくとも、安倍政権のもとでは、市民が核兵器廃絶の思いを述べる機会さえ、奪われてしまうことは間違いない。
こんな政権が被爆国にふさわしいのか、わたしたちはいま一度、よく考えるべきだろう。
(編集部)

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