ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

疑うてナンボや!「権力を持つ者を制約的な憲法によって拘束するのは、 信頼ではなく猜疑に由来する」

2013年07月05日 | 日本とわたし
アメリカの誕生日と言われる7月4日。
毎年、町のパレードや花火を観に行ったりしてたけど、今年は初めて、町から離れることにした。

奥さんと娘ちゃんたちが日本に帰省して、独り残ってるティムも誘て、旦那とわたしと3人で、ガーデンステートパークウェイをひたすら南下。
お昼過ぎから浜辺で過ごし、夕食を食べ、花火を見学した。

今までも、アメリカと日本、旦那とわたし、アイデンティティから社会や文化、慣習などなど、
旦那と出会ってから以降、毎日のように、いろんなことについて考えたり、悩んだり、困ったり、納得したり、驚いたり、怒ったり笑たりしてきた。

日本で丸43年、こちらで丸13年。

生まれた国はまちまちの、移民だらけのアメリカは、国(いわゆる権力を持ってる者が言うてるだけの)としてはクソッタレやけど、人間はほんまにおもろい。
そやから、言い方は悪いけど、日本に戻ると、懐かしいのはもちろんやけど、退屈になる。
まあええやんか別に、という、それぞれの違いを面白がる余裕が無うて、窮屈になる。

まあ、もちろん日本にも、退屈でも窮屈でもない人はいっぱいいはるのやけど。

今朝、フェイスブックを覗いてたら、友だちの目良さんが、こんなことを載せてくれてはった。
なかなか興味深い内容やし、考えてることにも共通してたので、花火のへっぽこ写真と一緒に、ここに転載させてもらいます。

それにしても、日本の現首相の答弁は、なんたるお粗末!なんたる屁理屈!
こんなんを、なるほど……とか思て聞いてる人の耳の穴から指突っ込んで、奥歯ガタガタいわしたろかしらん。


↓以下、転載はじめ

7月4日はアメリカの「独立記念日」ですが、正確には、1776年に、アメリカ合衆国が、イギリスからの「独立」を「宣言」した日です。



その「独立宣言」を起草したのが、後に、第3代の大統領になるトーマス・ジェファーソンでした。



立憲主義の本質について、このトーマス・ジェファーソンが、「独立宣言」から22年後に、喝破した不滅のことばがあります。
現在のアメリカ人の多くも忘れがちです。
まして、僕たち日本人のほとんどは、知らないでしょう。



信頼は、どこでも専制の親である。
自由な政府は、信頼ではなく、猜疑にもとづいて建設される。
われわれが権力を託さなければならない人々を、
制約的な憲法によって拘束するのは、
信頼ではなく、猜疑に由来する。

"Confidence is everywhere the parent of despotism. Free government is founded in jealousy, and not in confidence. It is jealousy and not confidence which prescribes limited constitutions, to bind down those whom we are obliged to trust with power."(1798年)



日本でも、それから79年後の明治10年に、一人の卓越した自由民権家が、立憲主義の真髄を、同様に喝破しています。
残念ながら、これをも僕たち日本人のほとんどは、知らないでしょう。



人民にして政府を信ずれば、政府はこれに乗じ、
これを信ずること厚ければ、益々これに付け込み、
もしいかなる政府にても、良政府などいいてこれを信任し、
これを疑うことなくこれを監督することなければ、
必ず大いに付け込んでいかがのことをなすかも斗(はか)り難きなり。
故に曰く、世に良政府なしと。

(植木枝盛(うえき・えもり)「世に良政府なる者なきの説」1877年)



それから136年後、日本のアベ首相は、奇しくもアメリカ独立記念日を前にしたこの7月3日、日本記者クラブでの9党党首討論で、こうもっともらしく答弁しました。



「憲法には権力を縛る側面もある。
しかし、全て、権力を縛るものであるとの考え方は王権の時代、専制主義的な政府に対する考え方であって、
今は民主主義の時代であり、権力を縛ると同時に、国の姿についても書き込んでいくものだと考えている」




アベ首相が、こんな屁理屈を、自前で考え出せるとは到底思えませんから、おそらく、側近の、悪質なブレーンから吹き込まれたのでしょう。



日本では、なぜか、憲法は権力を縛るものだという立憲主義の考え方が、やっと広がってきたばかりです。



アベ首相の屁理屈も、そうした状況での、俗耳に入りやすさを狙っています。



それにつけこまれないためには、上記のトーマス・ジェファーソンと、わが植木枝盛のことばを、
この際、広く市民的常識として記憶し、自らの思想として実践することが、ぜひ必要だと思います。

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